楽々雑記

「楽しむ」と書いて「らく」と読むように日々の雑事を記録します。

Secondhand Sureshots

2010-03-25 00:22:49 | Weblog

昼食のために外に出ると「どこにしましょうか」というのが合言葉になっている。沢山ある飲食店のいくつかを順番に回っているけれど、やはり「どこにしましょうか」と尋ねてしまう。開花宣言を聞いた翌日の冷たい雨が降る日の昼食も同じように一瞬悩んだふりをしながら近所の喫茶店のような店に入り、ランチメニューにはないナポリタンを注文して、入口にあった『週刊現代』を読んでいると、おそらく有線放送だろうムードミュージックが耳に入ってきた。スピーカーのせいで低音は弱いけれど、ドロシー・アシュビーを思わせるようなハープが格好良い。思わずグラビアを捲る手が止まった。
かつて安価な中古レコードを求めてリサイクルショップを回っている時に、古いムードミュージック集をいくつも買い求めた。ジャケットだけでゲンナリしてしまうものや、ジャケットすらもどうしようもない物など、指を真っ黒にして長時間レコードの山と格闘して見つけ出す悦びは思い出すと楽しいけれど、今もう一度チャレンジするかどうか問われると「Yes」と即答する自信はない。
『Secondhand Sureshots』がDVDになったことを知った。1ドルの中古レコード5枚を使って、4人のプロデューサーが音楽の奇跡を起こすというドキュメンタリー。DVDのおまけで貰ったJ RoccのMixCDも全く想像もしていなかった内容が最高。映画の詳細を書いても、正しい説明にはならないだろうから、ここには書かないけれど、レコードショップが無くなって、CDすら時代遅れのメディアになろうとしている中で、久しぶりにヒップホップのアイデンティティを感じた。
自分も屑レコードの山でバーブラ・ストレイサンドに何回会ったことだろう。そしてリサイクルショップでどれだけのアリスや安全地帯のレコードを見たことか。もう一度、あの埃まみれのレコードの山に挑むのは遠慮したいけれど、おまけのMixCDを聞いていると、神保町のレコード屋辺りならば覗いてみようかと思ってしまう。雨はいつ上がるのか、週末の天気が急に気になってきた。

暇の過し方

2010-03-20 23:07:46 | 気になる。
猪熊弦一郎 展 『いのくまさん』
会期 2010年4月10日(土)~2010年7月4日(日)
月曜日休館(5月3日は開館)
午前11時~午後7時
金・土曜日は午前11時~午後8時(入場は閉館30分前まで)
会場:東京オペラシティアートギャラリー
東京都新宿区西新宿3-20-2
※ http://www.operacity.jp/

ルーシー・リー 展
会期 2010年4月28日(水)~2010年6月21日(月)
火曜日休館(5月4日は開館、5月6日は休館)
午前10時~午後6時
金曜日は午前10時~午後8時(入場は閉館30分前まで)
国立新美術館 企画展示室1E
東京都港区六本木7-22-2
※ http://www.lucie-rie.jp/outline/index.html


暇はそんなに簡単に潰していいのもではない、という言葉をもっともなことだと思いながら、三連休ものんびり起きだして、目を通していない新聞に目を通して鋏を入れる。いくつか気になる記事とともに、いろいろな展示の予定も切り抜いていく。

ルーシー・リーに猪熊源一郎、出光美術館の次の展示も気になる。その他にもいくつかの切り抜きが手元にある。どの順番で行くべきだろうか。春の嵐が吹き荒れるのを自室の小さな陽だまりから眺めながら、この暖かさの中でぼんやりと本を読む時間と同じように、いろいろな展示をのんびりと眺めたい。短期間で数十万人を集める名画を見に行く余裕はないけれども、暇が過ごせるように、できることならば混雑していないと良いのだけれど。

今日もまだ昼下がりの気分が残るうちに家を出た。風は強い。けれども、暫く外出は続きそうだ。

真鶴へ

2010-03-17 00:31:38 | Weblog
隣のスーパーの植え込みから失敬して玄関の壺に放り込んでおいた沈丁花の匂いが薄れてきたと思ったら、花弁がポロリと落ちていた。春の訪れを報せるというより、冬の寒さが終わることを教えてくれる匂いが薄くなってきたということは、春がそこまでやってきたということだろうか。くしゃみの回数が増えたのは気のせいではあるまい。
昨年、テレビで見た中川一政の絶筆となった薔薇の絵を見に真鶴へ出かけた。遠足のために早起きをするはずが、前日のワインのおかげで昼下がりの出発になってしまった。こだま号の入線時間を気にしながら、グランスタで遅い朝食を求めた。エキナカは好まないはずなのに、気付けば、すっかり重宝している自分の勝手ぶりに気付かぬふりをして、こだま号の自由席に乗り込んだ。発車間際になると、すっかり席が埋まった。今では新幹線も普段使いの電車なのかもしれない。小田原で東海道線に乗り換える。新幹線とは全く違う車窓。海がこんなにも近かったのかと感じながら、反対側を見れば斜面には梅が満開だ。真鶴からタクシーで小さな半島の坂道を登り、谷の合間の美術館で車を降りた。
中川一政のこともまた他のいろいろと同じように知っていることは少ない。向田邦子の装丁と『うちには猛犬がいる』という著作、先日求めた水上勉の『土を喰ふ日々』も装丁が中川一政によるものだったなと思い出す程度。そんな偏った知識だから、油絵よりも尾崎士郎の『人生劇場』の挿絵に目がいってしまう。閉館間近の人気のない館内をゆっくりと歩くと建物の外れに茶室があった。木々が鬱蒼と茂る谷間の向こうに相模灘が少しだけ見える。この地にアトリエを構えた理由が少しだけわかるような気がした。しかし、その手前の「達磨大師」と大書きされた掛け軸はどうにも分からない。当惑するというよりも、相方と顔を見合わせると同時に笑いがこみあげてきた。その一幅で自分たちにとって中川一政は「達磨大師の人」となった。きっと本人は「ここまでやってきてそれなのか」と迷惑しているに違いない。しかし、ここまでやって来たからこそ分かったのだと伝えたい。これもまた達磨大師の徳のお陰かもしれない。

旅慣れた隣人

2010-03-14 23:59:59 | Weblog

人前ではスマートに振舞いたい。勿論、カッコつけたいということではなく、自然な様子で当たり前のことを失敗せずに済ませたいということなのだけれど、案外に難しい。大きな事故を引き起こすことはなくても、満足いくことなど、そう多くない。
北海道から飛行機に乗った。羽田に着く直前に窓から自宅周辺が見えるのを楽しみにしているから、進行方向右側の窓側の席をいつものとおりに予約したけれど、当日は台風並みの低気圧が通り過ぎた直後、予定通りに出発してくれるだけでもありがたいと思いながら、機内へ向かった。指定された席の通路側には既に先客が座っていた。靴を脱ぎ、ブランケットをかけてくつろいでいる。
「失礼」と小さく会釈をして窓際の席に腰をかけてから、上着を脱いでいないことに気付いた。大雪になると予想されていたから、厚手のダッフルコートにダウンセーターまで着こんでいたから機中で着続ける訳にはいかない。隣席の客は再びくつろいでいた。「失礼」と言うのは気が引けたから、自席でモゾモゾと厚い上着を脱いでいたら肩をねじった。肩の痛みを感じながら、畳んだ上着の大きな塊を膝の上に置いた。やはり席を立ってもらうのは気が引ける。そのまま膝の上に乗せていると、飛行機は東京に向けて離陸した。
旅慣れた様子の隣人が大きな上着の塊を乗せた自分を横目でチラリと見たような気がした。その時、自分は機内放送を聞くためのイヤホンをポケットから取り出そうと格闘していた。やっと取れたと思ったらどこに落ちてしまったのか、イヤホンを探すためにあちこちを再びモゾモゾと探る。そんなことをしていると「飲み物はいかがですか」と声がかかった。ビールを飲みたい旨を伝えると、少し困ったような表情をして「お時間をいただけますか」と返事が返ってきた。その間に隣人は慣れた様子でスープを飲み、ジュースを飲んだ。しばらくして受け取ったビールのプルトップを慎重に引き上げて、細心の注意を払ってコップに移した。これ以上ミスを犯してはなるまい。
ようやく落ち着いた頃に着陸態勢に入った。東京の灯が見えてきたけれど、予想通り、窓は水滴に滲んでしまって街の様子など見分けがつかない。ベルト着用サインが消えると、通路側の隣人はサッと荷物を取り出して足早に出口へと向かって行った。奇妙な敗北感が漂う。自分も早くここから立ち去りたいのに、上着を着るのにもたつく内に、通路は出口へ向かう人がぎっしりと並んだ。仕方なく、広くなったシートで荷物を片づけながら、伊丹十三の本で読んだ飛行機の客の話を思い出した。さっきの隣人があれを読んでいたならば、きっと自分のことを「貧しい客」だと思うだろうと想像し、飛行機を乗るのも楽ではないな、とまだ並んでいる背広の行列を眺めながら思った。