楽々雑記

「楽しむ」と書いて「らく」と読むように日々の雑事を記録します。

空港への道のり。

2007-01-28 22:43:46 | 散歩。
マニアではありません。


所用があって成田空港に向かった。少し早めの時間に家を出て地下鉄とJRを乗り継いで日暮里からはスカイライナーに乗る。改修中なこともあり、いつも以上にホームが混乱している。大勢の人が狭いホームに並んでいるのはいつものことだけれども、どうもいつも以上に人が多い。そして放送も混乱して何を言っているのかわからない。気付くと旧式の電車がホームをすり抜けていく。少し前に一日限りで運転するリバイバル列車についてのNHKのニュースを思い出した。この混雑はマニアのせいかと納得する。しかし、世界の空への玄関口としての日暮里駅はどうにも使い勝手が悪い。

到着便が遅れていることが分かったので到着ゲートをフラとしてみる。滑走路が眺められるデッキがあったので、近くのコンビニでビールを買ってベンチに腰掛ける。陽がないせいか少々肌寒い、そんな中で飲むならばビールよりも旨いワンカップのほうが良いのかもしれないが、家族連れが楽しそうに飛行機の離発着を眺めている横でワンカップを片手に本を読んでいる30過ぎの男など悪い見本の典型だろうと思い、大人しくビールを飲む。飛行機が目の前で飛んだり着いたりしているのを眺めるのは面白い。それを喜んで見ている子どもと違うところがあるならば、可愛げがないことと酒を飲んでいることくらいだ。酒を飲まずに飛行機の写真を撮っているマニアとも違う。そうしてあっという間に1時間ほど経ったので到着ロビーへ向かった。空港の到着ロビーというところは待ち構えている人たちが多いからか何だか幸せな雰囲気だ。悲壮感に満ちてやってくる人も少ないし、待ち構えている人と顔を会わせて喧嘩を始める人もいない。到着を待つ間というのも悪くないと気付いた。

楽しげに旅から帰る人たちを見ていたら、やはりどこかへ行きたくなった。空港に入るための検問のためにバッグの中にパスポートを入れてきたのだが、やはりパスポートを持っているだけの旅気分は旅ではない。海外への道はなかなか遠いのか。

店との距離。

2007-01-27 23:59:59 | 散歩。
新しい4heroも良い。


天気が良い。外へ出なければと思いながらも家の事をしてグズグズしていると電話がなった。JNBが銀座へ出てくるので昼飯をどうかという誘いだ。まさに渡りに船、支度を整えて家を出た。本当に暖かくて気持ちが良い。銀座の人出もいつもより多く見えるのは気のせいか。すぐ後に予定が入っているというので近くの「春日」へ行く。土曜日にもいつもの「天丼」という看板があると思っていなかったので少し嬉しい。

平日の昼飯ではしばしば立ち寄っているので、店の人に何となく認知されているような気はするのだが、だからと言ってサービスが変わるということもないので、いつものとおりにカウンターに座ると、「天丼ですね」と言われる。横では常連らしき壮年の紳士が店の人と楽しげに話をしている。私たちの後に入ってきた若い女性の二人組みもお付き合いがあるようで何だか親しげな感じだ。別に話がしたいというわけではないのだけれども、認知されていることを確認したい気持ちが湧いてくる。平日の天丼にはついてないデザートが食後に出てきたが、これはサービスではない。しかし特別扱いされなくても、土曜日の店の雰囲気は十分に良い。いつもより値段が200円高いことなど気にならない。

銀座から神保町、渋谷とレコードを見て歩く。いつものとおりJazzySportというレコード屋に寄る。レジに立つ女性店員を見て「募集していたアルバイトが決まったのだなあ」などと思いながらボンヤリと棚を眺めていると、DJに向かう店のスタッフが「久しぶりじゃない」と話しかけてきた。確か昨年の正月にも店に向かうエレベータで一緒になって話しかけられた。きっと誰かと人違いをしているのかもしれないし、もしかしたら昔に会っているのかもしれないのだが、思い出せないまま、まるで知り合いのように手を振って見送った。お気に入りの店で上手に振舞う方法というのが、まだわからない。

95年のカレンダー。

2007-01-25 23:42:29 | 雑記。
誰かとお付き合いをするとレコードを買いに行く時間が減ってしまうかもしれない、などと言っていた頃もあったが、別にレアなレコードを集めていたわけではないので、棚に並んだレコードを改めて眺めると何だか複雑な気分になる。「何の役にも立たないなあ」とは思いながらも、やはり本屋とレコード屋には変わらず足を運んでいる。こうした行動パターンはいつまで続くのだろうか。

レコード屋でチェックする棚やコーナーはそう変わらないけれど、本屋でチェックする棚はどんどん変わっていく。立ち読みする雑誌もどんどん変わっているし、そもそも雑誌を買わなくなった。TVを観なくなっているのと同じように手に取りたいと思う雑誌が少なくなっているような気がする。昔から眺めている雑誌は変わらずに店に並んでいるのだから雑誌よりも自分自身が歳をとったせいかもしれないが、そうとは思いたくない。目下、セレブやブランドといった文字が氾濫している雑誌よりも発行日を楽しみにしているのは「銀座百点」だし、テレビをつけっ放しにしているよりラジオをかけっ放しにしている方が心地よい。そして次々と創刊される大人の休日向け雑誌に何となく押し付けの教養知識が満載されているのを見て「いまさら何をいっているのかね」と悪態をつく時に歳をとったかもしれないとふと気付かされる。

先日、実家に帰ったときに95年に使っていたカレンダーがレコード棚に入っているのに気付いた。ちょうど12年前だから今年にピッタリだと思って持ち帰ることにした。渋谷系という言葉もそろそろピークアウトしていた頃のもの、今改めて眺めながら一年を過ごすのも良いだろうと思ったのだ。何せひと回りしているのだから実用にも供するだろう、良い思いつきだと独り感心して家に帰ってから今年のカレンダーの日付と見比べて気付いた。一日ズレている。結局、使えないカレンダーが手許に残ることになった。一回りしても使えるのは干支だけだ、そんなことにも気付かずに歳をとっているのだから全く恥ずかしい。

朝食のパン。

2007-01-22 23:36:22 | 食べもの。
銀座一丁目にて。


実家から戻る電車の中でいくつかの忘れ物を思い出した。ワイシャツをクリーニングに出してこなかったこと、そして朝食に食べるパンがないことなど。既に午後9時になろうとしていたのだから、パン屋がやっているはずもない。かといって、帰り道のスーパーマーケットで適当に買っていくといけばいいやとも思いたくないのだからまったく手間がかかる。

昼休みのチャイムとともに会社を出て、銀座一丁目のダロワイヨへ向かって柳通りを歩く。雨が上がり気持ちが良い。人によってそれぞれ好きなパン屋はあるだろうし、私も勿論、どこそこのパンでなければならないなどと言う気は更々ない。ただ手に入れることができるならば、美味しいものを手に入れたいと思うだけである。かつて独り暮らしを始めた頃に毎週パン屋を変えて色々な店の食パンを食べていた時期があった。そうして毎日食べるのに丁度良い食パンとしてダロワイヨを選んだのだ。ちょうど通勤路にあるというのも選ぶ要素になったかもしれないが、今となってはどうでも良い。場所柄か少し奥さまな客が多いのが気になる程度だ、いつも全く場違いな風体で店に入るのが辛い。

毎週色んなパンを食べるうちに、とにかく袋を開けたときに広がってくる匂いが気に入るかどうかで、大体そのパンが気に入るかどうか決まるということが分かった。食べられないほど不味い食パンというのに出会ったことはないのだけれど、袋を開けたときの匂いで「美味そう」と思ったパンは大体自分好みだった気がする。高いからといって気に入るとは限らない、毎日食べても飽きない程度に抑えた美味さというのがとても重要だ。

昼食も早々に済ませて店に向かった。看板商品のバゲットには目をくれずに食パンだけを手に取る、一安心。食パンをぶら下げて会社に戻るが、他にそんな姿の人は見たことがない。一体、皆はいつ朝食のパンを買っているのだろうか。

年賀状の行方。

2007-01-18 23:50:45 | 雑記。
またポスタルコでした。


「あんまり考えないでおこう。眠れるときに眠っておこう。」と書かれた年賀状が届いた。浅間丸の切手が貼られた私製の年賀葉書。裏面は2007年のカレンダー、これを貼り付けてしまえば年賀状が来年まで目に入るというのも気が利いている。冒頭の言葉はハーマン・メルヴィルの『白鯨』からの引用のようだ、これも読んでみたくなった。

松の内も終わり、振り返ると色々な人から年賀状が届き、そして送った。届いた数よりも送った数が少ないことは少々気がかりだが、送らなかったのに理由もあるのだから、そう気に病むことはないと言い聞かせる。もしかしたらこれを読んでいる人も目にしているかもしれないが、今年は下手くそな木版の猪が届いたかもしれない。まだ若干数が手許に残っているけれど、三回目になる木版画は年に一回しかやらないためか、全く改善されていない。

先日、東京中央郵便局に寄った。年賀状にはお年玉がついていたことを思い出し、家に帰って早速調べてみると切手シートがひとつだけ当たった。これを交換しながら、残ってしまった年賀状を記念切手と取り換えてやろうと思いつく。それにしても、下手くそな猪が描かれた年賀状でもいつしか処分されてしまうことを思うと少し複雑な気分になってしまうのは、やはり作った者の思い入れというものなのだろうか。