楽々雑記

「楽しむ」と書いて「らく」と読むように日々の雑事を記録します。

ユニクロの姿見

2009-10-31 12:13:54 | Weblog
会社からの帰りに寄り道をした。少し前に案内をもらっていたトークショーの会場はかつての職場の1階だったからいくつかの見知った顔に会っては挨拶をする。まるで表敬訪問に来たようだ。既に混みあっている会場の端に空いた場所を見つける。やってきた給仕からシャンパンをもらって会場を見回す。流行の服装をした人たちが沢山いるのを見て、少々場違いだったかと気後れしながら、グラスを空ける。するとスーッとシャンパンが差し出されるから、そのまま受け取って良い気分で対談に耳を傾けた。
対談の中で「とにかく鏡を見ることは大事」という言葉が耳に残った。姿見でも良いが、三面鏡があれば最高、ということだけれど、自分の家には姿見すらない。ずっと欲しいと思いながら、あれこれと理由をつけて購入を見送っていたけれども、いよいよ鏡を買わねばなるまい。そう思っている矢先にちょうど良さそうな鏡を見つけた。幅は広くなく、奥行きもないけれど、高さはそこそこにあって枠の感じも悪くない。納得のいくものはそう見つからないから、喜んで散歩のついでに購入しようと売り場へと向かった。しかし、それらしい商品は見当たらない。忙しそうに動き回るスタッフを捉まえて尋ねると在庫がないと言う。がっかりしながら別の店を見ようと銀座に向かう。
四丁目の交差点を渡ると右手にあるユニクロに人だかりができていた。ブルックスブラザースだった場所までユニクロになっているのを見て、リニューアルオープンがあったことを思い出した。何だか象徴するような景色の変化だと思いながら携帯電話のカメラのボタンを押す。ユニクロのフィッティングルームには三面鏡があるのだろうかという疑問がふと心に湧いた。

旅に出る理由

2009-10-27 00:31:30 | Weblog
昨年の今頃は空白の時間を過ごしていた、と言うと何だか聞こえは良いけれど、実のところは、昨年の10月は仕事を辞めてから次の仕事まで無職の状態を過ごしていた。晴れた昼下がりに京橋の裏通りをフラフラと歩いていると向こうから以前に仕事をしたことのある人を見つけた。声をかけると驚いた様子で立ち止まった。転職した会社を1年と経たずに再び辞めたことを伝えると、少々呆れ顔で私の様子を見て手短に話を切り上げた。その後、その人に再び会ったことはない。
辞めた翌日からブータンへ行く予定は飛行機のチケットが取れずに諦めたから、目的地を変更してパリを旅した。それから一年が過ぎていることを相方に話すと「そういえば、どこにも行ってないね」という返事が返ってきた。決してそんなことはない、と思ったのだけれど、海外旅行に行っていない、という意味だと少し経ってから気付いた。確かに外国には行っていないし、残念ながら今のところ外国に行く予定もない。今は仕事があるから、行けなかったブータンへの距離は昨年より遥かに遠くなった。
今週末も同じように京橋のあたりから銀座にかけて歩く。平日ではないから多くの店は閉まっているし人通りも少ない。この10月も後半になって少し寒くなってきたから首に巻き物を巻いて、靴下を履いてからサンダルで出かけた。去年の今頃と全く同じ格好だけれども、休日だから怪訝そうに眺める知り合いに会うこともない。清々とした秋の休日だ。
東京駅の長距離バス乗り場の遠くに向かう人たちを羨ましく眺めながら通り過ぎ、線路に沿って歩いていくと右手を新幹線が通り過ぎた。新幹線では外国には行けないけれど、旅は遠くにいけば良いというものではあるまい。ならば、近場には出かけているから旅に出る言い訳が見つからない、と混乱しながら通りがかりの書店に入って手にした本に「遠くへ行くほど旅らしくなるのは当然であるけれど、日常性からの脱却が旅であるとの観点からすれば、「旅」はどこにでもある。」という一節を見つけた。思わぬところに旅に出る理由を見つけて嬉しくなった。

※宮脇俊三『終着駅』(「身近なところにも『旅』はある」)
 上の文章の最後は「金もなく暇もなくても「旅」はできるものだと私は考えたい。できれば、金がないほうが良質の旅ができるというところまで。」と結ばれていて、繰り返し読んでは旅への想いを巡らせています。

二つのトートバッグ

2009-10-19 00:30:14 | Weblog
唐突だが、バッグというとトートバッグに気がいってしまう。勿論、ショルダーバッグやリュックサックも好きだけれど、極端になで肩の自分のような者には肩にかけない形の方が安心だ。通勤用は別として、外出には、やはりトートバッグの出番が多い。その中でも気に入ったものばかり使うから自然とくたびれるのも早くなる。味、という都合の良い言葉で言い訳をしながら使い続けてしまう。もう少し丁寧に使えば良いのだけれど、そう気付くのはくたびれた後になってからだ。今使っているトートバッグは、LLビーンと同じ工場で作られたキーストーン社の物だ。これは、きれいに使っているからか、まだ汚れも少なくて生地もしっかりしていて頼もしい。
ちょっと前の雑誌を改めて眺めているとトートバッグの記事が目に入った。色々な人の様々なバッグが載っている中に使い込まれたLLビーンのバッグの写真があった。30年間使っているというバッグは、くたびれるどころか魅力的で、新しいバッグのきれいさなど「未熟者め」と言わんばかりだ。そのバッグを見てから古いトートバッグのことが気になっていた。同型の使い古しのバッグが実家の車のトランクにあったことを思い出して、機織用の古布が詰め込まれていたトートバッグを実家に戻った時に無理やり持ち帰ってきた。小さいトートバッグで実家へ向かったから、帰りは小さいバッグに夕食用にもらった惣菜の包みを入れてから、大きなバッグの中に小さなバッグを入れて帰った。家に帰ってから惣菜の煮汁が漏れ出していたことに気付く。折角のきれいなバッグが魚臭くなってはいけないから、帰宅後すぐに洗ってベランダに干していると、小さなバッグを初めて洗ったことに気付く。小さなバッグが大きいバッグの出現に危機感を抱いたのか、それとも、そろそろ洗ってくれというサインだったのかは分からない。まだまだ時間はかかるけれども、使わなければ味は出ないし、使うなら味が出ているほうが望ましい。全く勝手な悩みばかりだ、と気付いて反省しながら、並んだ二つのバッグを改めて眺めた。

秋刀魚の味

2009-10-17 23:59:59 | Weblog
季節が変わるたびに聴きたくなる音楽がある。結局、自分の好みが狭いことの裏返しでしかないけれど、やはりその季節が来ると棚から取り出す。秋はピート・ロックの『Main Ingredient』の出番だ。二枚組みのLPを引っくり返すのが面倒でCDも買ってしまったから、さらに出番が増えている。HipHopに少しでも興味があれば必ず知っているアルバムだし、レヴューを書くつもりもないけれど、個人的には秋の晴れた休日の最高のBGMだ。何でこんなに秋になると聴きたくなるのかと理由を考える。
十数年前、まだ実家に住んでいた頃、自宅を立ち退いて近所に用意された小さな平屋の住宅に一年間だけ住んでいた。物置として使っていた片方の平屋の薄暗い部屋がレコード部屋だった。冬になると息が白くなるような簡素な作りの住宅で過ごした一年は決して快適とは言いがたい環境だったけれど、思いのほか悪くなかった。その小さな家の縁側で秋刀魚の塩焼きを食べながら大音量で流れていたのが『Main Ingredient』だった。その時一緒に秋刀魚を食べていたJNBも後年、秋刀魚を食べるたびにピート・ロックを思い出すという話をしていたから、きっと『Main Ingredient』は秋の音楽だったのだと確信する。
その後、秋刀魚を食べながら聴いてはいないけれど、今年もまた聴いているのは十数年前の秋刀魚の味のせいだと分かれば、自分の食い意地が恨めしい。今日も隣室を気にしながら少しだけ音量を上げてプレイヤーにセットする。また、秋刀魚とビールが頭の中に浮かんできた。

台風一過

2009-10-09 23:59:59 | Weblog
朝起きて外を見るとひどい雨風だ。昨夜遅くまで飲んだ酒がまだ残っているような状態だったから、急に通勤が面倒に思えてきた。行かなければならない理由はあっても、行かなくて良い理由は見当たらないから、支度を整えて家を出た。風は強いながらも、いつの間にか雨は上がっていたので「ついている」と自分の手柄のように喜びながら、いつもどおり最寄駅に向かった。
乗換駅に着くとどうも様子がおかしい。すぐに運転を見合わせていると分かったから、会社に遅れる旨を伝えて、貰った振替票を持って迂回ルートになる私鉄線のホームに向かった。会社とは全く逆方向に向かう電車に乗っていると何だかサボっているような気持ちになってきた。住宅街を行く3両編成の列車に乗り換えて、のんびりと会社の最寄駅に到着した。すっかり雨は上がっていた。灰色の曇り空が続いていたから青い空が眩しい。秋の空は夏よりも青が濃い。ふと台風は秋の季語だったと思い出した。きっと本格的に秋がやってきたのだろう。勤め先のビルに向かうしばしの間、秋は食欲か読書かと考えたけれど、勿論結論は出ない。楽しみはいくつあっても構わない。秋が来たことを素直に喜んだ。