楽々雑記

「楽しむ」と書いて「らく」と読むように日々の雑事を記録します。

旅のお供。

2008-11-10 22:04:40 | 雑記。
旅に出るときに思い浮かぶのは、まだ見ぬ土地の風景よりも移動中の交通機関のことだ。「また電車好きか」ということではなく、飛行機や列車の席について目の前の光景が頭に浮かぶ。簡易式のトレーだったり、派手な配色のシートのモケットだったり、不思議とそんなものが目の前にあるという状況が気になってくる。それがどうということはないのだけれど、とにかくまだ見ぬ景色よりも目の前のシートが気になるのは了見の狭さによるのだろうか。
だから、というわけではないけれど、長旅の場合には、旅の共となる本を選ぶのに悩む。パリへ発つ前もいつものように悩んでいると、ちょうど開いた新聞の書評にジュンパ・ラヒリの新作が出ていることを知った。第一作は旅先ではなかったけれど、前作はハノイの旅だったことを思い出した。アメリカに移住したベンガル人とその子孫の話は不思議と旅の気分に合う。本に恵まれたのは幸先が良い。きっと良い旅になるだろうと思いながら、平積みになった本のページを捲って奥付を見ると第2刷であることに気付く。他の棚を探して何とか初版を手に入れて家に戻った。
相方にその話をすると、わざわざ初版を探すのがどうにも不思議だという顔になった。確かにそんな些細なことを気にする旅の連れなど面倒に違いない。実際には読み終えずに積み重なっている沢山の本を眺めながら、再び目の前の座席のことを想像した。

機内誌の偶然。

2008-09-04 21:20:12 | 雑記。
五島に向かうため伊丹空港から福岡行きの全日空に乗った。伊丹空港も初めてなら、ボンバルディエ社のプロペラ機に乗るのも初めてだから少しだけ興奮する。日本で二番目に大きい都市の空港で地上から飛行機に乗るという気分も良い。あっという間に高度を上げた飛行機の窓の外を見るのにも飽きた頃、目の前のポケットにあった機内誌に手を伸ばす。1年前に行ったチェンマイに向かう飛行機の機内誌がチェンマイ特集で旅への期待が俄然膨らんだことを思い出しながら、通路を挟んだ反対を見ると、相方が旅の予定に頭を巡らせているようだ。
機内誌の表紙に「五島」の文字を見て驚いた。出発前に入手した五島特集の雑誌とはまたポイントが違って非常に面白い。勿論、食べたいものと見たいものはしっかりとチェックしたつもりだったが、全くノーマークの店もある。五島牛は必ず食べたいと思っていたところに焼肉屋の記事を見つけた。店名を頭に叩き込む。その翌日に焼肉屋を訪れたのだけれども、その話はまた改めて書きたい。本当に面白い夜だった。これも機内誌のお陰だろう。
その機内誌を持ったまま飛行機を降り、滞在中に何度か見返した。月を跨いでいなかったので宿に置き放しにしたけれど、五島空港から乗った帰りの飛行機のポケットを見て驚いた。最新号になってしまっている。少人数でサーヴィスするアテンダントに前月号はどうなったのかと聞くのも憚られたので、仕方なく外を眺めた。眼下に島が小さく見える。空は日没後の光で全体が虹色になった。それが徐々に墨色に変わっていく。旅は終わりだからもう機内誌は必要ないのかもしれないけれど、無いと分かると欲しくなるのはどうしたものだろう。旅は人を成長させるとは限らないようだ。

※福岡から乗った東京行きの便は最新号ではなかったので無事に入手できました...。

夏の便り。

2008-08-17 09:48:41 | 雑記。
家に戻ってポストを開けるのが毎日の楽しみだ。「何か届いているのでは」と期待しながら開けるのが楽しいのだけれど、大体その日の夕刊や請求書の類しか入っていないのも分かっているので、それらを摘み出して部屋に戻る頃には、ガッカリしたことも忘れている。そうやって小さな期待と落胆を繰り返しているが、飽きもせずまた今日もポストを開けた。思いがけない旅の便りや夏の便りが届いたことに喜ぶ。
この夏、初めて暑中見舞いを作った。しばらく会わなかった人たちに連絡をするのは気後れするけれど、年明けまで延ばしたら年賀状を出すことすら躊躇してしまうと思ったし、何よりも昨年見た活版印刷で作った暑中見舞いを自分も作ってみたかったという理由もあった。原稿を作って印刷所に持ち込み、数週間で期待通りの葉書が仕上がったけれど、その後は余白の使い方に悩み、葉書に貼る切手をどうしようかと悩むうちに八月に入ってしまった。
池波正太郎は年末になると翌々年の年賀状の心配をしていたと言うし、宮脇俊三もまた丁寧な印刷所への原稿を作っていたことを思うときっと随分前から準備していたと思われる。勿論、数や内容が違うから同じように準備する必要はないけれど、季節の挨拶を出すのは思った以上に大変だ。
考えた割には余り芸のない挨拶文を1枚ずつ万年筆で書き、相方が作ってくれたスタンプを青色のインクで押した。葉書を見て自分を思い出してもらえたら本当に嬉しいし、家のポストを開けた時に思いがけない便りが届く幸せを共有できたら幸いだ。年末はすぐにやってくることにも薄々気付きながら来年の年賀状の心配はもう暫く先にしようと思っている。

※写真は今回の印刷の「組み版」です。制作の過程は本当に面白かった。

※個人的な連絡で恐縮ですが「もらってないが葉書を見たい」という方がいらしたら連絡を。暑中見舞いの季節は過ぎましたが、まだ少し葉書が残っていますので…。

郵便局の移転。

2008-07-24 00:00:37 | 雑記。
帰宅してから衛星放送で「東京オリンピック」を放送していたことを思い出した。慌ててテレビをつけるとアベベが走っている場面だった。もう終わりに近いとは思いながらも、そのまま見続る。マラソン競技の後の閉会式の映像、電光表示に「SAYONARA」の文字が映った。それを見て「東京は夜の七時」のプロモーションヴィデオを思い出した。そこに映っている東京中央郵便局や東京タワーが自分にとっての「東京」に影響しているのは間違いない。
切手を買うために東京タワーに近い職場の隣にあるバス停から東京駅南口行きのバスに乗った。少し前まで通っていた丸の内を通り過ぎて丸の内南口に着いた。降りてすぐ目の前にある東京中央郵便局に入ろうとするといつもと様子が違う。入口近くでチラシを配っている人に尋ねると「移転しました」と答える。詳しく聞くと今日から店を閉じて周辺に機能を移転したという。記念切手を求めたい旨を伝えると東京駅を挟んで反対側まで行くように指示され、仕方なしに地下道を通って八重洲に向かった。
外堀通りに面したビルの1階にある事務所は小奇麗だけれど、そのギャップの大きさにがっかりする。天井が高く重厚な薄暗い古い庁舎の雰囲気は、外国のようだったし、そう思えるところがまた「東京」のようで気に入っていた。仮庁舎とはいえ、きっと新しい中央郵便局も同じようにどこにでもある日本の郵便局になるのだろう。
建物の高層化が進んだから丸の内を離れたという訳ではないけれども、9階建てのビルが並んでいた仲通りに仕事場があったことを幸運に思う。随分と明るくなった最近の丸の内が嫌いというつもりはないけれど、何か満ち足りすぎているような、そして物足りないような気持ちにさせられる。数種類の切手を目の前にしながら、結局欲しい切手が見つからなかったのは、切手の図柄のせいか、それとも郵便局の雰囲気のせいだったろうか。

砂漠の円盤。

2008-07-07 22:15:36 | 雑記。
伊丹十三が海外に出かけた際に息子に出した絵葉書が「伊丹十三の本」に載っている。伊丹が選ぶ絵葉書は、飛行機の機内用のノベルティもあれば、昔の手書きの動物図鑑のようなタッチで砂漠の野生動物が描かれたものもあって面白いのだけれど、その中に砂漠で円盤が飛んでいるものがある。裏面には、まだ幼いと思われる息子へ「さばくのうえでわ えんばんがみえる ことがあります えんばんには だれがのつて いるのかな」と、たった数行の平仮名だけが書かれている。それを読んだ息子はきっと笑顔が漏れただろう。
少し前に絵葉書が届いた。それを見て初めに思い出したのは、その円盤が飛んでいる砂漠の絵葉書のことだ。届いた絵葉書には奇妙な太い樹木と変わった岩山が描かれていた。それがジョシュアトゥリー国立公園だということがわかっても、無知な自分にとっては、それがどのような場所かもわからないので、机の上の地図帳を開いて場所を確認することくらいしかできない。裏面には、ジョシュアトゥリーからロスに到着したという旨が記されているだけだけれども、不思議と楽しそうな雰囲気が漂っている。どうしてそう感じたのか、そしてどうして砂漠の円盤の絵葉書を思い出したのかと考えてもう一度絵葉書を見て気付いた。岩山と樹木の間の空に小さな白い物体が見える。伊丹の絵葉書にあったような円盤ではないけれども、これはきっとその種の面白い絵葉書なのかもしれないと独りで納得し、部屋の目に付く場所に置くことにして、眺めては砂漠の円盤を思い出した。
最近、その絵葉書について書かれたブログの画像を見た。しかし、どうも様子が違う。自分に届いた絵葉書の空に飛んでいた白い物体がない。それよりも、その絵葉書から始まるストーリーを読んで全く自分が的外れだったことを思い知った。改めて手許の絵葉書の円盤と思い込んでいた白い物体を指でなぞると、それは僅かな凹みであることに気付く。きっと届くまでに擦れてできた傷のようだ。その事実が分かってから読み直しても、やはり楽しそうな雰囲気は変わらない。やはりジョシュアトゥリーは楽しい場所に違いない。西海岸には縁がないと思い込んでいる自分のような者でも行ってみたいと思うが、それが果たせるのはいつの日か。その時は是非、円盤が飛んでいることを祈りたい。

※写真は大分城址公園の銅像。頭と腕に鳩が乗っているように見えますが、これは本物。