楽々雑記

「楽しむ」と書いて「らく」と読むように日々の雑事を記録します。

ニールス・トーソンの器。

2007-10-27 12:48:32 | 買いもの。
北欧の匠に出かけた。先日、代官山でリンドベリのスピサ・リブのカップ・アンド・ソーサーを買い、相方はアラビアのパラティッシのボウルを買ってきたりと北欧ものの買い物が続いているけれど、何とはなしに銀座で少し時間ができたので立ち寄った。店に入ると我々以外に誰もいない。依然来た時と同じようにのんびりした空気が漂っている。息子らしき人が色々と解説をしてくれるので、ボンヤリと眺めていても商品がわかったような気になってくる。目当ての二階に上がっても良いかと尋ねてから階段を上がった。

二階に上がると小さめの焼き物を中心に北欧のアンティークが所狭しと並んでいる。取り立てて知識があるわけではないので、気になるものを手にとっては「いいなあ」と思うだけ、値段がついているものもあれば、ついていないものもあるので、なかなかその先には進みがたいのだ。そうして眺めていると、後から入ってきた常連らしき人と店主がなにやら話をしている。「上の階を開けるからどうぞ」と声をかけていただいたので、三階にあがると扉が開いている。中に入ると木工品が並んでいた。常連らしき男性は小さな木の器を手にとって「素晴らしい物を見つけましたね、値段も素晴らしいけれども、値段以上に素晴らしい」と話す声が聞こえる。確かに形も仕上げも美しい。聞けばハンス・ウェグナーの作だと言う。ハンス・ウェグナーは友人に自らが作った木工品をプレゼントしていたらしい。何だか素敵な話だ。

二階に戻って再び器を眺めながら店主に質問をしていると、同じ作者の器に目が行っていることに気付く。ニールス・トーソンというウェッジウッドを代表する作家だという。いくつかある中のひとつを購入しようかどうかと悩む。他に気になった器と見比べていると「そちらのほうがいくらかお安いですよ」と言う。青が素敵な器だ。相方の誕生日を言訳に購入しようと伝えると「ニールス・トーソンの1960年、その年は私たちが結婚した年ですね」と微笑んだ。今は実家の近くで拾った木の実が入っている。

リコーダーの音色。

2007-10-26 00:55:19 | 雑記。

久しぶりに相方と実家に戻った。母親と前から話していた染色をするためだ。前日の夜に実家に戻って翌朝はいつもより早く起こされた。染色をする相方を送り出してからボンヤリと過ごす。前週の寝不足が祟ったのかボンヤリとしているうちに眠ってしまった。コーヒーテーブルの下に「アルプ」を見つけた、串田孫一特集とある。三年前に亡くなった串田孫一のアンソロジーともいえる内容。ひと眠りした後なので面白く読んでいるうちにあっという間に昼になった。作業をしている近所の公民館まで出かけて皆で昼食をとっていると父親がやってきた。懐にリコーダーが見えた。隠すわけでもないのだろうが、堂々と手に持っているのではなく、リコーダーが懐に入っている。どうするのかと問うと、公民館の裏を流れる川のそばで笛の練習をするのだという。川の流れの音があるから迷惑にはならないと言うが、どこまで本気かわからない。

食事を終えてから再び眠る。少し寒いと思いながらもぐっすりと眠った。公民館の職員がブラインドを下げてくれたことも全く知らない。本当によく眠ったが、近くから笛の音も聞こえてこなかったようだ。もしその音に気付いていたら果たして眠れたのだろうか、と少々気になる。再び家に戻り「アルプ」を読んでいると尾崎喜八が文章を書いていた。矢内原伊作のことも尋ねれば何か出てきたことがあったのだから、尾崎喜八だって何かあるだろうと思い、尋ねると当然のように「沢山あるよ」と答えが返ってきた。ちょっと待つように言われて二階に上がって戻ってきた父親の手にはレコードがあった。尾崎喜八の朗読のレコードだという。既にプレーヤーのなくなった実家では聞くこともできないから持っていくように言われて鞄に詰め込んだ。

家に帰って早速聴いてみる。山と鳥と森が好きだというような話、相方と面白いと顔を見合わせているとスピーカーからリコーダーの音が聞こえてきた。60歳を過ぎてから始めたという話が続いている。父親が川のそばで笛の練習をする気持ちが少しわかったような気もしたが、自分も吹いてみたいというところまではまだまだ至らない。

浜松町のシミズサイクル。

2007-10-24 00:26:18 | 雑記。

古い自転車をどうにかしようと思いながら結構な時間が経った。恐らく三ヶ月は経過してしまったような気がする。その間にも古い自転車で出かけたりしているので、もうこのままでも良いかなどとも思う時もあったが、やはりどうにかしなければとは思い続けていた。先日、車で遊びに来たJNBが「自転車屋まで乗せていきますよ」と声をかけてくれたので、これ幸いと黄色い自動車のハッチバックに自転車を積み込んだ。

浜松町から大門方面に行ったオフィスビルが並ぶ場所にシミズサイクルという自転車屋はあった。来る前に下調べをしておいたのでパッと見が街の自転車屋であることには何も驚きはしなかったが、店に入るとその外観とは異なり、輸入フレームや古いパーツ類が並んでいることに驚いていると、お茶が出てきた。昔、実家の近所の自転車屋に来たような気分になる。お茶を飲みながらレストアされた自転車の写真を見せられる。随分と年季の入った東叡のランドナーが見事に磨き上げられている。持ち込んだのはそれほど年季も入っていなければ、ヴィンテージにもならないような自転車だけれどもやはり気持ちよく乗るためにはそれなりの手間はかけなければならないだろう。

「まずはサドルとバーテープですね」と言われサドルはこっち、バーテープはあっちの棚を見るようにと指示される。フレームの色は大体イメージがついていたのだけれども、やはり実物が無くてはバーの色もサドルの色も悩ましい。あれこれと悩んでいると見るに見かねたのか「フレームの塗り替えが仕上がったらもう一度来て選べばよい」と言われる。確かに頻繁に出入りする店先で悩まれては迷惑だろうし、JNB一家を近くに止めた車の中に残していることを思い出した。緑の皮サドルが素敵だ、これにしようと思っていると「次回の入荷分から値上がりしますよ」と後ろから声を掛けられた。サドルはこれに決めようと思いながら、とりあえずフレームの色見本を渡して店を後にした。しばらくは悩む楽しみが続きそうである。

相応しい言訳。

2007-10-08 20:44:07 | 雑記。
もやは毎月の美容院とセットになっていると言ってもいい目白のブックオフだが、髪を切った後に立ち寄るとちょうどセールをやっていた。いつもセールのようなものではないかと思いながらも、吉田健一や白洲正子の本と共に読んだことの無い山口瞳の文庫を見つけて買って帰った。家にいた相方に見せると、既に同じ物を持っていると言う。家の本棚には無かったと思ったのだけれども、実家の本棚にあるのだと言う。自分の知らないことは何についても果てしなく広がっている。

買ってきた本を読んでいると「遅刻の言訳」と題された文章があった。その前に池波正太郎との対談が載せられていて、その中で約束の時間の20分前には到着しているというような話も書いてあったが、笑ってもらえることを期待しているような遅刻の言訳はいかにも嘘でシラジラしく不快であり、余計なことを言ってうそつきだと思われるよりも「申し訳ありません」と言って深々と頭を下げればよい、というようなことが書いてあった。しかし、いつもどこかで言訳を探しているような自分のような人間にとっては、ただ頭を下げればよいと言われてしまうと、頭を下げればよいのか、と思ってしまうが、事はそう簡単ではないはずだろう。

チェンマイから帰って既に半月以上が経った。写真を現像したもののアルバムを作るための資料がまだ棚の上に載っている。お土産は配ったものの記憶の整理はつかないまま、どんどん日が経過して頭の中は毎日の諸事に占められつつある。どうしたものかと思いながら、この状況をどう言訳しようかと必要の無い言訳を探そうと頭をめぐらしている事に気付く。