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あと

2015-03-30 01:56:54 | メンタルヘルス
メンタルヘルスかもしれない。
あと1日半になった・と書いている時点でもう今日なので 性格には明日の昼で全て終わると言うことになる。長い間IT関連で仕事をしてきた。学校を出て最初に勤めた会社は 上司が創価学会の会員で ちょっとしたことで手を出してきたので 返りうちにして辞めたw その会社にいたのはほんの3ヶ月ほどのことである。叔母の つまり母の姉 あたしにとっては歳の離れたもう一人の母 小さい頃から叔母の家が我が家だったような家から電車で名古屋まで通った。叔母は独身で 叔母のというか母の家系は戦前台湾で果樹園をやっていたという少し裕福な家庭で 戦後引き揚げてきたのだが 叔母は看護婦だったので結婚もせず一人で暮らしていた。母はこの叔母が実質的な母代わりだったらしく それもあってあたしや あたしの弟を自分の子供のように可愛がってくれた。あたしも 叔母が自分の二人目の母みたいに思っていたし実際そんな関係であった。叔母の家は戦前にある金持ちが別荘として建てた家を含む数件の家の中の一軒で そこはあたしにとっては思い出の家 自分の家なのである。父が自衛隊だったのでしょっちゅう転勤があった。父は大阪外語をロシア語専攻で出たので 英語とロシア語が堪能で 航空自衛隊で英語の教官と対ソビエトの情報将校だった。なので 航空自衛隊の基地があるところへ3年間隔くらいで転勤があり どうしても都合のつかないときは あたしは叔母の家で居候していたのである。名古屋に通勤するあたしに叔母は弁当を入れてくれて今覚えているのはプロセスチーズにベーコンを巻いて焼いたものくらいだが。結局3ヶ月近く勤めただけで辞めたあたしは 当時東京でもう退官してスイス大使館の武官付きをしていた両親の元に戻ることになった。当時IT産業というかコンピュータの仕事は立ち上がってきたばかりで あたしは京都で仕事したかったのだが 京都には無く 職人志向もあったので手描き友禅の職人になろうともしたが叶わず 結局名古屋で就職し辞めたわけだが コンピュータの仕事となると当時は東京か大阪しかなく 両親のいた東京に来てもう久しい。叔母の家は道路の拡張工事の話が持ち上がって 市に買収されることになり家は取り壊された。叔母は岐阜に引越し その後色々あって 両親が名古屋に買ったマンションで最後の時間を過ごした。あたしが家に異常なほど執着するのはその叔母の家があったからである。戦前に立てたその家は玄関から台所まで長い廊下でつながっていて 左右に2つずつの部屋がある昔の家である。今でも目をつむると思い出す。あたしが使っていた部屋の外には山吹が植えてあり 叔母の部屋窓辺にはモクレンが植わっていた。今あたしが住んでいるのは東京の西のほうの文京都市のマンションだが 近くの一軒屋の庭にモクレンが咲いている。それを見ると叔母の家を思い出すのだ。深夜なのでちょいと感傷的なのである。
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