私はメンタルチャットの管理人

メンタルチャットでおこるさまざまな非日常

最近の

2019-09-26 07:14:03 | メンタルヘルス
長距離の移動は ほぼ夜行高速バスだ。なんといっても指定席だから座って・・というか寝て行けるし 宿泊が一泊(往復なので2泊)浮くのがでかい。まあ 長距離と言っても今は京都に通ってるだけだけど。名古屋に実家があったころは 名古屋便も使ってたんだが 朝の6時過ぎに着くのはいいけど 戻りが23時発というのではどうにも間が持たなくて使いにくい。普通は新幹線を使うのだろうが 新幹線なら1万ちょいなのに比べて夜行高速バスなら3千円・・となれば やっぱりバスだろう。東京-京都なら13000円 バスなら早割だが6千円だ。京都の友人が東京に来る・・という。宿は友人宅らしいが 新幹線で来る・・と言う。あたしはそりゃ無駄だろう バスの方がいいよ?と言ったら 時間を買うからいいんだ・・とのこと。まあ そういう考え方も出来るのだけど どうも新幹線は嫌い。何が嫌いか?って まあ高い・・ってのが第一だけど 点と点の移動になることだ。旅は線や面の移動の方が絶対楽しい。なので あたしは特急が走ってる路線でも各停でのんびり行く。まあ 仕事が自営だから時間が自由になるからだろ?と言われたらそれまでだが・・で 各停でのんびり行くならローカル線とか青春18きっぷ・・だろう。青春18きっぷって使える期間が決まってるけど一日各停だけど乗り放題で2370円てのは美味しいので積極的に使いたいところだが いかんせん鉄道マニアでは無いのでノウハウが無い。関連する本が色々出てるので まずは図書館だ。ローカル線と青春18きっぷをキーワード検索したら良さそうなのがあったので4冊ほど借りてみた。いま乗っておきたいローカル線、ローカル線で行こう(残念ながらこれは小説)青春18きっぷで行こう19~20、青春18きっぷでゆく全国ローカル列車旅の4冊。昨日京都から戻ってきて 朝予約入れて夕方には資料確保のお知らせが来たので5時過ぎに取ってきて読んだ・・というか見たのだけど どれも使い物にならない。ローカル線で行こう!は小説だったので問題外 ローカル線がらみは乗り鉄初心者向けだ。18きっぷがらみは 細かく時刻が指定されたお薦めプランの羅列だ。旅って プランを立てるのが楽しみで 鉄道の場合は時刻表で発と着を決めて途中下車したい駅を調べて・・ってのが楽しみのうちなんだが これが無い。本来ならもっと自由であるべき乗り放題 途中下車し放題の18きっぷがまるで運賃を節約するだけのように使われていて さながら安く行けるパック旅行の有様。旅ってその日の予定は行き当たりばったりで決めるのが楽しいんであって パック旅行ではなぁ・・と思う。まあ旅行ならそれでもいいとは思わなくもないけど 旅はもっと自由であるべきだ。なんかろくにプランも立てられない人が多いのか?と思うと残念。まあ 18きっぷって元々お金はないけどいろんな旅がしたい若者向けのきっぷなわけで 最近はその辺が忘れられてて 運賃お得だけが強調されてて なんか違うんじゃない?と思うのはあたしだけか?余談だが18きっぷではないけど 貧乏旅行には強い味方だった大垣夜行だが 今はムーンライトながらって名前で季節運航で全席指定だ。指定だから必ず座れる(昔は座れないこともありw)のはいいとして この指定券が争奪戦になってるらしい。大垣駅で延々並んで・・というのも旅の一つだったけど こうしてまで乗らなきゃいかんのか?と思うと どうせ決められるなら運賃が1/2~1/3の夜行バスの方が何倍もいい。新幹線は楽だけどテレビみたいでつまんないのだ。実はお金が無いから使えないだろ?・・って言われりゃ はいそうですだがw
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全部

2019-09-25 15:13:38 | メンタルヘルス
読まないで批判するのはやっぱり良くない・・と思ったので図書館に無かったのを自腹で買ってみた・・というと積極的に買ったみたいだがw また麻生圭子である。もう書かない・・と言っておきながら また書くのかよ?と言われそうだがご勘弁を。実はヤフオクで欲しい本が数冊あったわけ。それを出してるのがブックオフヤフーオークション店なわけだ。どうしても欲しかった沢田重隆画伯がらみのが3冊だが それでは送料が390円かかる。で CDを見てたらJazzのCDで欲しいのが何枚かあって それもポチった。ここは即決落札なんで入札すれば落ちるので楽でいい。で 3千円超えると送料が無料になるので あと少しだったので麻生圭子を3冊ほどポチって3千円オーバーにした。これで送料無料になる・・というからくりである。さて 買ったのは京町家暮らしの四季 極楽のあまり風 文藝春秋刊 2001年初版 と 東京育ちの京都探訪 火水さまの京 文藝春秋刊 2007年初版 と 茶わん眼鏡で見た、京の二十四節季 日本経済新聞社刊 2007年初版の3冊 どれも税込み198円だ。まあ素直に390円の送料を払えばいいんだろうが あそこまで地元に嫌われてる麻生圭子の謎・・だったわけ。極楽のあまり風と東京育ちの京都探訪の2冊を読んで納得した。この人体で覚えた知識じゃないのね。一応エッセイストだから文章を書いてお金にかえる必要があるわけで 一生懸命資料と首っ引きで書いてるみたいで いたるところに嘘がある。まあそこら辺は地元民しかわからないし(あたしも??と思うところはあるのだ)あたしも 勘違いしてるところもあるだろうが・・ 簡単に言えば 麻生圭子見てきたような嘘をつき・・という感じ。有名人だから 中京の旦那衆なんかとコネもあるしお金もあるみたいだからそれなりのお付き合いはあるのだろう。そこからの知識と資料を漁って得た知識で 本当の京都はこうだ!みたいな決めつけがある。元になった資料が何かは知らないけど 言ってみれば原書の翻訳をしてるみたいな感じなのだ。この場合の原書というのはみんなが知らない京都であって 翻訳者は麻生圭子で 出力は麻生圭子が思ってる京都なのだ。あたしは三重だし 学生時代西陣にいたけど基本よそさんである。でもまあ京都の庶民の中で それも伝統産業の場でバイトしてたから 少しは裏事情はわかる。だから地元の人が 一面だけかじって京都はこう!・・と書かれるのが一番むかつく・・と言う気持ちはわかる。翻訳の時点で 違訳というか誤訳が多々含まれてる。 茶わん眼鏡はまだ読んでないけど あきらかに特定のフィルタをかけた状態で京都を見て これが本当の京都・・て書き方があまりにも多すぎる。まあエッセイって主観が入るのは仕方ない・・つーか主観=エッセイなんだが 事実をねじまげての主観はいけない。つまり私麻生圭子の見た京都が本当の京都の姿・・みたいな書き方が多すぎるのだ。何事も過ぎたるは及ばざる如しである。さらっと経験した範囲で京都紹介してりゃいいものを 知ったかで決めつけするので嫌われるのだ。先にも書いた東京育ちの京都案内で感じた不快さはこれだったのね・・と納得。でっちあげても どうせ誰もわからんさーみたいな感じがするのも不快だ。というわけで 594円の投資でなぜ不快なのかがわかってある意味すっきりした。後日談だが CD見てたら ジャレットのケルンなんかあったりして 最終的に5千円近くまで行っちゃったのは間抜けな話である。ケルン持ってなかったの?と言われそうだがLPは持ってるわいw  
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戻って来たら

2019-09-25 11:52:46 | メンタルヘルス
出先から買った 京町家 神崎順(写真)/新谷昭夫(文) 光村推古書院刊 平成14年3刷が届いてた。でまあ 京町家のぼったくり値段でほぼ断念したわけだが 少なくとも写真を見てる限り魅力的ではある。京町家というと江戸くらい昔・・ってイメージがあるのだけど 蛤御門の変(1864年)や鳥羽伏見の戦(1868年)で 多くが消失して 今文化財に指定されてるのは焼け残りみたい。多くは明治以降のものらしい。永江朗の中京の町家も梁に明治何年とか墨書きしてあったみたいに まあほぼ100年くらいと思えばいいだろう。さて 外から見た京町家って美しいし座敷から見た坪庭なんか美しいけど じゃあそこで今の生活が不自由無くおくれるか?と言われたら それなりの改修をすればって前提だろう。まあ永江風に北欧風に改築というか骨組みだけ残してフルリノベーションすれば今の生活でも何の問題も無いのだが それなら東京でもなんら変わりは無い。麻生圭子みたいに昔の京都至上主義みたいな(本人は町家あそび・・とか言ってるが)のは現代では無理だ。今年の夏は半端なく暑かった。去年もすごかったが・・百万遍にご飯しに行った帰りに行き倒れ寸前になった・・というのは書いたけど 弟が今年の夏バリに行ってたので その話したらバリより日本の方が何倍も暑いよ?とこともなげに言われたのにはまいった。結局 京町家が好きなのか それとも京都って街が好きなのか?という二択になるわけだが あたしは街が好きで京都が好き 色々言われる京都人も好きなんで 別に町家に拘らずとも京都にいれればそれでいいのだな・・と思う。堀川北山の告知ありのマンションは 不動産屋曰く 相場より500万は安いのですぐ売れるでしょう・・と言ってたにもかかわらずまだ残ってるが あそこはパスw 嫁はんも告知の内容が気になるが聞いたら余計に怖い・・と言うし あたしも事故物件に1千万とか出せるほど裕福じゃないしなぁ・・というわけで 京町家は写真で楽しむか 京町家を利用したゲストハウスでも泊まればいいかな・・というところが落としどころだ。で 従姉妹の家が古い家・・って話は書いたけど 母に訊いたらお金持ちの別荘だったそうな。まあ池泉回遊式庭園があるくらいだから普通じゃないな・・とは思ってたが そこまですごい家だったのね・・と改めて感心してる。あたしが町家が・・というのは この従姉妹の家と伯母の家が戦前のちゃんとした建築だったので それの影響だろう。まあいかに京町家が良くても築100年24坪が4千万・・と言われたら 失礼しました~と引き下がるしかないw で もう本でいいや・・と町家関連の本を何冊か買って(出先からだw)東京の自宅に届くようにしたら 嫁はんから 山のように本が届いてるけどどうなってんの?とこっぴどく怒られた・・というオチだ。 永江朗や麻生圭子みたいに湯水のように予算がつぎ込めるお金持ちの町家あそびならいいだろうが 庶民は あー風情があっていいよねぇ・・というレベルでとどめておくのが正解なようだ。大体エアコンの無い京都の夏を風情で強行して 向こう側に行くつもりはまだ無い。
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それが

2019-09-22 11:32:59 | メンタルヘルス
趣味ってもんだろうけど。GQという雑誌がある。ハイクオリティの品物をあがめたてるある意味正論 極端に嫌味な雑誌だ。それの連載で 29歳フェラーリを買う・・というのがある。2005年式走行2万キロの360モデナF1を買ったレポートの話。まあ15年落ちのモデナなら1200万前後ってところか・・頭金にいくら入れて毎月いくら払うのかは知らないけど 車検で色々削って98万とか コインパーキングに入れないからパーキングメータで・・とか 一度走りに行くと諭吉のおっちゃん数枚が飛ぶとか。もう羨ましい以前に 何の修行かと思う。雑誌連載なんで 会社からある程度 あるいは大半の補助は出てるのかも知れんし 書いてるのが良家のおぼっちゃん・・だったりするのかも知れない。都内でほぼ使い物にならんフェラーリに大金を使えるところなんか もう金食い虫の趣味でしかないわけだ。GQかどうか知らないが 200万のウブロの時計を2週間レンタルする・・とかいうのもあったが もう頭おかしいとしか思えん。一流の物を持つのはステイタスかも知れんが持つ人間の人間性というか品性とか そういうものが伴わなければ嫌味なだけ・・・というあたしも昔はいつかはフェラーリだったんで何も言えないw 今は趣味が変わっていつかはセヴン(ケータハムの)だがw それすら新幹線使えないで夜行バスの値段と時間に振り回されてるようでは説得力ゼロだがw さて先日腕時計の整理をしてみた。といっても一番高い時計は若い頃に無理やり買ってもらったセイコーのダイバーズだから3万しなかったと思う。あとは怪しいメーカーの3千円前後とかチープカシオの中古をヤフオクで買ったものとかw でそんなんが20本以上あるw 手は2本しかないのにねぇ。自分で売れば良かったんだが 最近月の半分は出かけてるので友人にごっそりあげて 売れたらあげるよ・・と言ったら じゃ 売れたらビール代にしよう・・という話になった。最近移動で使ってるのは新品でも1800円しないカシオのデジタルの中古だから千円以下 町なかで使ってるのはダイソーで買った100円のデジタルだ。バスと電車の時間だけわかりゃいいので これで十分。あーもう在庫限りかも知れんが300円のダイソーのメタルブレスのデジタルは良い。バックライトがグリーンでカシオの1500円くらいのやつより夜間の視認性がいい。もっともカシオは電池が10年持つらしいが・・あと冠婚葬祭用に無難な白ダイアルの奴は持ってるが これの出番はほぼない。ジーンズはリーバイスやエドウィンやビッグジョンだけど これとてフリマの古着だ。ダウンなんかはヤフオクの中古を洗うんでこれも2千円とか・・長年かけて落ち着いたのがこういうスタイル。まあ本は古本だが我慢しないで買う。CDも中古で買う。その分 旅に出たり京都とかで使ってるが。京都・・っても雑誌の京都特集に出てるようなとこにはほぼ行かない。京都は誰かの紹介が無いと入れない店が多いのだが幸い嫁はんの弟が京都のホテルの営業で コネがなきゃ入れない店にも行けたけど 一度経験すりゃ十分である。普段は学生相手の安い定食屋でご飯してるしw ほぼ貧乏自慢みたいだが 限られたリソースの配分の仕方が違うだけ。同僚なんかは結構借金して東京や横浜に戸建を買ったりしてるけど 通勤に1時間以上かかるなんてそれこそ無駄だと思うから 職場の近くで中古マンションを買ったがこれで満足。お金の使い方が上手・・と言ってる訳ではない。バイクやらオーディオで随分無駄な金を使った(大した額ではないけど)から言えないけどねぇ・・親が資産家でもない限り使えると想定されるリソースには限りがあって それが小さな額だってことだ。友人はバイトとスーパーの半額で生きてるが楽しんでる。株とかやって 小金は儲けてるらしい。まあ 人の幸せなんて 他人と比べるものじゃなくて 自分が楽しければそれでいい・・と思う。自慢じゃないがバイクも車も家も新品買ったことはないぞw やっぱり貧乏自慢だなw
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結局

2019-09-22 10:20:56 | メンタルヘルス
人生・・つーか生きることってなんだろうか?と思う。安定してたんで抗鬱剤のアモキサンと安定剤のセルシンを減らしたんだが まあそこら辺が引き金になったんだろうと思う。普通に好きで結婚したら 子供を作るわけだけど あたしは子供が愛の結果というか結晶というか そうは思えなくて 嫁はんだけが大事なエゴイストなのかも知れんが。限られたリソースを嫁はんと二人で使い切りたい・・と思うのはエゴか? まあそれ以前に嫁・・という文字を使うこと自体が問題ではあるのだが。嫁って女に家・・だから 何々家の女・・ってことだから嫁はんと言うこと自体古い家制度を容認してるじゃん?とか言われそうだが 英語ならワイフって都合のいい言葉があるけど 日本語の妻・・ってなんか違和感があるし あたしは関西人なんで深く考えもせず嫁はん・・と言うわけだ。まあ言い方は色々だが言わんとしてるところは理解してもらえると思う。うちは子煩悩な夫婦の子供として生まれて いっぱい愛情をかけて育ててもらったわけだが 弟は優秀だがあたしは 既成の概念はほぼ疑ってかかるボンクラでおまけにメンタル持ちで心臓にも爆弾かかえてる まあできそこない・・と言ってもいい。夫婦のリソースってある程度決まってるわけで 自分たちのリソースをここまで裂いて育ててもらった恩義は当然あるが じゃああたし達にそれが出来たか?と言えば 結局自分達の事が最優先で どうしても子供が・・とは思わなかったのである。まあできなかった・・というか自然にまかせた結果でもあるわけだが 結婚したら子供を産んで 普通子供が小さいうちは女子は家庭に入って育児を・・てのが一般的な考え方だと思うが あたしたちにはそういう意識は無かった。ただ嫁はんとお互い好きなことをして楽しく暮らすのが最優先だったわけで お互い仕事を持ち遊びに行き 気がついたらICUで生死の境だったわけ。まあメンタル持ちだから色々障害はあったけどでも 生きてる実感があった。倒れて大手術して未来に制約を受けるようになって思う。人は何の為に生まれてきて死ぬのがわかっていながらあがくのか?まあ人としては普通だと思うのだけど あたしはなんで?と思う。結局自分が生きた(まだ生きてるけど半分死んだようなものだ)証ってなんだ? 自分の存在意義はなんだ?と思うわけ。消費するために働いて まあそこそこのものは手にしたけど それに何の意味があるのか?どうせ死ぬのである。それも多分嫁はんより 親よりも先に逝く。ゼロから始めて それなりの成果を手にしても結局最後はゼロだ。社会に貢献したか?人類に貢献したか? まあ多少なりとはそれはあったかも知れないがあたしが死んだら すぐにみんなの記憶から消える。一部の人達が亡くなるまでは記憶に残るだろうが それとて100年も残るわけではない。必死に生きてきて結局何も残らない。それに意味があるのか?疑問だ。まあここまで来れたのはいろんな人に支えてもらったからだ。嫁はんに 両親に 伯母に 友人に そしてここには書けない人にも・・体調があんまり良くない・・というのもあるだろうが とりあえずあたしを支えてくれた人達に心からお礼を言いたい。ありがとう・・と。 でまだ京都にいる。バスが安い日の夜行だからだ。あちこち物件を見て 京町家に移住するのはほぼ無理無理無理・・ってのがわかっただけでも良しとしよう。まあ最後の夢が無理だって理解したのが 今回の落ちたきっかけだったのかも知れないが。それにしても濃密に生きた気がする。今終わっても後悔は無いんだが なんか割り切れないのである。あたしって何?
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