政治の季節【稗史(はいし)倭人伝】

稗史とは通俗的な歴史書等をいいます。
現在進行形の歴史を低い視点から見つめます。

原理主義者・小沢一郎

2009-11-03 10:30:59 | 小沢一郎
鳩山内閣の閣僚たちの発言のブレや閣僚間の齟齬が目立っている。
しかしどの大臣も一生懸命仕事に取り組んでいることだけは伝わってくる。
野党(自民党や公明党)・メディアは”閣内不一致”などと非難の声を上げるが、筋違いである。

憲法は、「内閣は連帯して国会に対して責任を負う」と定めている。
しかしこれは閣議決定のときに全閣僚が一致すればいいことで、途中の意見の不一致など問題にすることはない。
ただそれによって要らざる混乱をもたらす恐れはあろうが、それも程度の問題である。
かえって問題の在りどころが明らかになるという効能もある。

ただ混乱をいたずらに長引かせることはよくない。
適当なところで収拾を図ることは必要である。
リーダーシップが要求されるところである。
もっとも、閣内で発言のブレが目立つ一人が鳩山首相自身であるというのもご愛嬌である。

ブレないのが小沢一郎幹事長である。
生の声がほとんど伝わらないのでブレているのかいないのか判断しにくいが、結果を見るとブレていないと言えるのだろう。
もう一つ、彼は政策にはほとんど関心がないように見えるのも、ブレない要因であろう。

彼の関心は二点あると思える。
一つは選挙である。
選挙に勝つこと。
しかし、その先にあるものはなかなか見えにくい。
とりあえずは民主党政権の基盤を固めることが目標であろうが、だからといって民主党永久政権を目指しているわけではなさそうだ。
次の参院選で民主党単独過半数の議席を勝ち取ることが第一目標であろうが、民主党を愛し、民主党のために全力を尽くすというのとはちょっと違っているようだ。

小沢の持論に二大政党制がある。
これはある程度本気だろう。
ただそのもう一方の政党が自民党というわけではなさそうだ。
衆院で二期8年。
その間に自民党を完全に崩壊させる。
多分それと並行するようにまともな新党ができてくるだろう。
その後で民主党の分割を含めての政界再編・二大政党制を現出させる。
その辺のところが小沢の頭の中にあるのではないか。
そしてその先に憲法改正論議があるかもしれない。
彼が自分でその中心になるのか、次の世代にそれを委ねるのかは分からない。

それ以上に力を入れているのが現在の議院内閣制の論理性の徹底ということであるように思われる。
そこのところが分かりにくいので、小沢の言動がいろいろと批判を呼ぶ。

民主党と内閣、「小沢ルール」解釈めぐり右往左往 (asahi.com 10/31)
民主党の小沢一郎幹事長が国会対応や政策立案で掲げる「小沢ルール」に、党内が右往左往している。「口べた」と称する小沢氏の真意の読み解き方で「ルール」が変わり、人事などで影響が出ている。この読み解き競争が、鳩山由紀夫首相の求心力を低下させ、責任の所在をあいまいにしている。

 国会改革、政策決定の政府への一元化、選挙重視――。小沢氏はこれらにこだわりを持ち、独特の「ルール」を設けている。だが、「解釈」をめぐり現場は混乱が続く。


小沢一郎のルールの根本を読み解くキーワードは、「三権分立」、「議院内閣制」、「政党政治」の三点であるようだ。

文藝春秋 1999年9月特別号 所収 「日本国憲法改正試案」小沢一郎(自由党党首)
(抜粋)
行政府が独立しているアメリカと違って、日本では国会における多数党が内閣総理大臣を選ぶ議院内閣制を採用している。
 第六十六条には「行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負う」とあるように、内閣総理大臣は国務大臣を任命して内閣をつくり、「閣議の全員一致」の原則によって国家(国会?)に対して一体となる。つまり、議院内閣制であるから、国会と内閣は対立しない。対立するのは与党と野党である。ところが日本人の大部分は内閣はお上という発想で、与党までが、国会と内閣は対立していると思いこんでいる。そして更に、政府と与党とが(を?)使い分けることにより政治の責任を回避している。


憲法では立法機関としての国会と行政機関としての政府が厳然と区別されているように見えるが、小沢はその区分の曖昧さに注目する。
アメリカの大統領制とは違い、日本の議院内閣制における三権分立の不徹底さを意識している。
小沢の言うところでは、国会が内閣を産んだのだから、国会と内閣は一体であることになる。
国会において与党と野党は対立するが、与党は内閣の母体であり、同時に極論すれば国会の支配者である。
与党議員の政府に対する質問はナンセンスということになる。

与党党首たる内閣総理大臣は国会を支配し、政府を主催する。
実質的には行政機関と立法機関の最高権力者を兼ねているのである。
三権分立という建前は実質を失っているとも言えよう。

政調廃止、与党内に不満の声 (2009年9月23日22時02分 読売新聞)
連立与党内で、民主党が政策調査会(政調)を廃止したことが波紋を広げている。

 政府の役職に就かなかった与党議員は政策立案に関与しにくくなり、議員立法や国会での修正も、どう行うかが不明確だからだ。


政策決定の政府への一元化というのは分かりにくい論理である。
与党は、政策の策定・遂行を内閣に委ねたということなのだろう。
そうすると与党の仕事はどうなるのか。
与党は内閣を支えることだけが仕事となる。
仕事場は国会ということになる。

逆もまたあり得たろう。
与党の策定した政策を内閣に遂行させる、という考え方も議院内閣制の形として考えられる。
しかし、民主党は政府への一元化を選んだ。
してみると、次の批判などはまったくの見当違いということになる。

集団的自衛権の行使めぐり首相と小沢氏が責任のなすり合い (産経ニュース 2009.11.2)
集団的自衛権の憲法解釈をめぐり、鳩山由紀夫首相と民主党の小沢一郎幹事長が2日、責任のなすり合いを演じた。
(中略)
首相は「党は党としての判断がある。党に聞いていただければ」とかわしたが、小沢氏は2日夕の記者会見で「僕は政策論はやらない。最初から言っているでしょ。政府に聞いてほしい。私は党務の方ですから、そういうたぐいのことに発言する立場ではない」と一蹴(いっしゅう)。集団的自衛権をめぐる政権のスタンスはますます定まらなくなった。


産経は、党と政府の関係が理解できていないので「責任のなすり合い」などとまるで見当違いの批判をしている。
小沢の論理からすれば当たり前すぎるほどのことに過ぎない。

「小沢のルール」は議院内閣制の筋を通すというところにある。
当然、政党政治がその前提となる。
必然的に”党高政低”である。

鳩山代表は党運営を小沢幹事長に委ねた。
全権委任のようである。
である以上、党の責任者たる小沢幹事長の権限が、政府の責任者たる鳩山総理の権限に優先することは当然あり得る。

ただし、原理主義者小沢一郎はまた現実主義者でもある。
時には原理・原則以外の現実という要素もその行動に入り込んでくることもある。
政策策定の一元化には、族議員・政官業癒着の排除という現実的要請もあるのだろう。

最初の朝日の記事に戻る。

真意を正確に読み取り、参院側の存在感を高めているのが輿石東参院議員会長だ。

 小沢氏が来年の参院選に向け党改革をしたいと考えていたことを察知。衆院選後、鳩山代表に「小沢幹事長しかない」と勧める一方、政調会長が閣内に入ることに疑問をはさんだ。「政策決定の政府一元化」という小沢ルールのもと、内閣と党を切り離し、党運営で小沢氏に権力が集中するきっかけを作った。


小沢の真意を理解するには、原理主義者・現実主義者としての小沢一郎を理解したうえでさらにその性格まで理解する必要があるようだ。
民主党議員達の苦労は絶えない。





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