令和3年11月3日(水)
文化の日 : 明治節
11月3日は文化の日、国民の休日の一つ。
1948年(昭和23年)以降、明治天皇の誕生日(明治節)
が改称され「文化の日」となった。
この日は文化に功労のある者に対して文化勲章が授与される。
日本国憲法の公布を記念して「自由と平和を愛し文化を勧める
ための日」と定められた。
その他各種功労者に表彰を行う地域も多く、秋の祭典として
学校や自治体等では「文化祭」なども催される。
映画:好人好日より
文化勲章
日本の勲章の一つで、科学技術や学術など文化の発展や向上
に目覚ましい功績を挙げた者に授与される。単一級の勲章。
1937年(昭和12年)2月11日、当時の内閣総理大臣
廣田弘毅の発案により「文化勲章令」が制定された。
東京高等工芸学校教授の火田正吉氏のデザインにより、制作
された。
章 : 表面は橘の五弁の花の中心に三つ巴の曲玉を配し、
裏面に「勲功旛章」と刻まれる。
鈕 :(つまみ)は橘の葉と実をそれぞれ緑色と淡緑色で表す
環 : 環は金色で小型の楕円とする
授 : 授の幅は3.7cmで淡紫色と定められている。
略綬 : 淡紫色で直径1cmの同色の翼を附ける。
受賞者の選考基準
文化庁文化審議会の「文化功労者選考分科会」の意見を聞き、
文部科学大臣が推薦し、内閣で審査・閣議で決定する。
文部科学大臣は「文化の発達に関し、勲積卓絶な者を文化功労
者のうちから選考し、毎年度おおむね5名を内閣総理大臣に推
薦する。これ以外にも必要と認められれば選考できる。
其の所為か、今年度は稀に見る多さ(9名)であった。
文化勲章には、終身年金が1937年(昭和12年)から実施
されていたが、1941年(昭和16年)折からの大戦突入に
より財政難となり廃止された。(名誉のみとなる)
然し、1951年(昭和26年)文化功労者顕彰制度が設けら
れ功績の在った人に、年金を支給されることとなった。
同年、文化功労者年金法が制定されて、文化功労者に終身年金
350万円を支給されることになった。
日本国憲法第14条の規定に(勲章への特権付与の禁止)記され
れ、「文化勲章には金品などの副賞は伴わない」と在るために
文化勲章受章者には、年金を支払われなかった。
この文化功労者年金法制定の際、「前年度までの文化勲章受章者
のうち生存者を一律に「文化功労者」ととして顕彰すると伴に、
それ以降も文化勲章受章者は同時に文化功労者でも在る様に運用
される。 1979年(昭和54年)度以降は「文化勲章受章者
は原則として、前年度までに文化功労者として顕彰を受けた者か
ら選考するように改められた。
(長嶋茂雄氏は2005年度の文化功労者である)
文化勲章親綬式
今年度の文化勲章親授式が皇居宮殿「松の間」で行われ、9名の
うち6名が参列し、天皇陛下より文化勲章を賜った。
「長年、努力を重ね大きな業績をおさめ、文化の向上に尽くされた
ことを誠に喜ばしく思います」とお言葉を述べられた。
天皇陛下より文化勲章を手渡される長嶋茂雄さん
文化勲章受章者
岡野 弘彦 : 歌人(97歳)
伝統を重んじる一方、長歌と短歌を組み合わせた「組歌」の創作
など意欲的にな活動を続ける。
川田 順造 : 東京外語大名誉教授(87歳)
西アフリカの無文字社会の調査から「口頭伝承論」という研究領
域を開拓した。
絹谷 幸二 : 洋画家(78歳)
公共建築物の壁画などパブリック・アートに取組み、後進の育成に
も尽力した。
尾上 菊五郎 : 歌舞伎役者(79歳)
柔軟で芸心に富む演技で観客を魅了する。(本名:寺嶋秀幸)
長嶋 茂雄 : 元プロ野球選手・監督(85歳)
輝かしい活躍でプロ野球を国民的スポーツに高めた。
森 重文 : 京都大高等研究員(70歳)
代数幾何学の分野で「森理論」を創造し、数理科学の広範な分野に
おおきな影響を与えた。
以下の3人の方々は、欠席された。
牧 阿佐美 : 舞踊家、指導者(享年87歳)
卓越した指導力で新国立劇場バレイのレベルUPをさせた。
今年10月20日に死去された。
岡崎 恒子 : 名古屋大名誉教授(88歳)
DNA複製の形成過程の難問に取り組み、分子生物学の発展に
貢献された。
真鍋 叔郎 : 米プリンストン大上席研究員(90歳)
コンピューターで気候変動を解明する研究分野を開拓した。
今日の1句
小三治の枕の聞こゆ文化の日 ヤギ爺