平和の祈りをこめて(その1)
ザ・プラスチック・オノ・バンドが1969年に発表したライブアルバム「Live Peace in Toronto 1969」.邦題「平和の祈りをこめて」は、即席バンドによるふっつけ本番ライブだったとして知られている。
かなり強引にメンバーを集めて、飛行機の中で打ち合わせをして、そのまま本番という計画性のなさだけど、普通に聴けるレベルで演奏しているのはさすがだと思う。
このライブはあの伝説のフェス「ウッドストック」の4週間後にカナダで行われたロックフェスで、テーマはロックンロールリバイバル。
出演はロックレジェンドである、チャック:ベリー、リトル・リチャードなどの他、当時の若者バンドであるシカゴやドアーズら、そしてトリにジョンとヨーコらのプラスチック・オノ・バンドだった。
ウッドストックや悲劇のオルタモントフリーコンサートに比べると知名度に欠けるフェスだけど、ロック史における最重要なフェスの一つと言われる。
で、このフェスのドキュメント映画が10月に上映されるという。
ちょっと見てみたい映画だ。
john lennon and the plastic ono band sweet toronto 1969
平和の祈りをこめて(その2)
終戦記念日になると、あちこちで平和の祈りをこめた催しが開かれる。
戦争体験者は決まって「戦争は絶対にしてはならない」という。
僕もそう思う。
しかし、「戦争をしない」という決断は、「戦争します」と同じくらい覚悟のいることである。
果たして、そこまでの覚悟をもっているのだろうか?
よく「話し合いで解決など出来ない」という人がいる。
もし、本気で「絶対に戦争はしない」と強い意志を持ってたら、回避できるのでは、と僕は思う。
例えば、国境付近の小さな島を巡ってもめているとする。
そんななか、相手国の軍隊が島を占領したらどうなるか。
絶対に戦争はしないと硬い決意のもと、遺憾の意を伝え、それでも自衛隊は出動しない。
最悪、戦争を回避するためなら、その島は相手国にくれてやってもいいと思う。
国民に出来ることは、島を譲る決断をした政府を「戦争を避けてくれた素晴らしい政府」と評価することである。
こんなことを書くと「お前は売国奴か」と非難する人もいるだろう。
しかし、最も国民の命、財産を守る方法は、なんとしても、どんな手段を用いても、戦争を避けることなのだ。
ウクライナはそうしなかった。
だから多くの国民が死んだ。
これからもっと死ぬだろう。
そうならないために、日本の防衛費を増やして自衛隊の軍備を増強しろ、という意見もある。
中には核武装しろという意見もある。
もし、日本の予算が有り余るほどあるのなら、武装強化はある程度の抑止力にはなるだろうけど、核武装は世界が許さないだろう。
日本は唯一の被爆国として、核廃絶を叫んでいかなければならない立場なので、核武装なんてしたら、世界から孤立する恐れがある。
核廃絶はこの先100年から200年くらいかけて、核のない世の中を希望し続けて訴え続けなければならない。
そうすると、200年後くらいには核保有国がなくなってる可能性がゼロではないだろう。
たまに、相手国が突然軍事攻撃してきたらどうするんだ、みたいなことを言う人がいる。
その可能性は限りなく低いのは歴史が証明している。
鎌倉時代の元寇だって、いきなりモンゴル軍が攻めてきたのではなく、その前になんどか使者がやってきてるし、豊臣秀吉だっていきなり朝鮮半島に攻め込んではいない。
中世の時代でさえそうなのだ。
ザ・プラスチック・オノ・バンドが1969年に発表したライブアルバム「Live Peace in Toronto 1969」.邦題「平和の祈りをこめて」は、即席バンドによるふっつけ本番ライブだったとして知られている。
かなり強引にメンバーを集めて、飛行機の中で打ち合わせをして、そのまま本番という計画性のなさだけど、普通に聴けるレベルで演奏しているのはさすがだと思う。
このライブはあの伝説のフェス「ウッドストック」の4週間後にカナダで行われたロックフェスで、テーマはロックンロールリバイバル。
出演はロックレジェンドである、チャック:ベリー、リトル・リチャードなどの他、当時の若者バンドであるシカゴやドアーズら、そしてトリにジョンとヨーコらのプラスチック・オノ・バンドだった。
ウッドストックや悲劇のオルタモントフリーコンサートに比べると知名度に欠けるフェスだけど、ロック史における最重要なフェスの一つと言われる。
で、このフェスのドキュメント映画が10月に上映されるという。
ちょっと見てみたい映画だ。
john lennon and the plastic ono band sweet toronto 1969
平和の祈りをこめて(その2)
終戦記念日になると、あちこちで平和の祈りをこめた催しが開かれる。
戦争体験者は決まって「戦争は絶対にしてはならない」という。
僕もそう思う。
しかし、「戦争をしない」という決断は、「戦争します」と同じくらい覚悟のいることである。
果たして、そこまでの覚悟をもっているのだろうか?
よく「話し合いで解決など出来ない」という人がいる。
もし、本気で「絶対に戦争はしない」と強い意志を持ってたら、回避できるのでは、と僕は思う。
例えば、国境付近の小さな島を巡ってもめているとする。
そんななか、相手国の軍隊が島を占領したらどうなるか。
絶対に戦争はしないと硬い決意のもと、遺憾の意を伝え、それでも自衛隊は出動しない。
最悪、戦争を回避するためなら、その島は相手国にくれてやってもいいと思う。
国民に出来ることは、島を譲る決断をした政府を「戦争を避けてくれた素晴らしい政府」と評価することである。
こんなことを書くと「お前は売国奴か」と非難する人もいるだろう。
しかし、最も国民の命、財産を守る方法は、なんとしても、どんな手段を用いても、戦争を避けることなのだ。
ウクライナはそうしなかった。
だから多くの国民が死んだ。
これからもっと死ぬだろう。
そうならないために、日本の防衛費を増やして自衛隊の軍備を増強しろ、という意見もある。
中には核武装しろという意見もある。
もし、日本の予算が有り余るほどあるのなら、武装強化はある程度の抑止力にはなるだろうけど、核武装は世界が許さないだろう。
日本は唯一の被爆国として、核廃絶を叫んでいかなければならない立場なので、核武装なんてしたら、世界から孤立する恐れがある。
核廃絶はこの先100年から200年くらいかけて、核のない世の中を希望し続けて訴え続けなければならない。
そうすると、200年後くらいには核保有国がなくなってる可能性がゼロではないだろう。
たまに、相手国が突然軍事攻撃してきたらどうするんだ、みたいなことを言う人がいる。
その可能性は限りなく低いのは歴史が証明している。
鎌倉時代の元寇だって、いきなりモンゴル軍が攻めてきたのではなく、その前になんどか使者がやってきてるし、豊臣秀吉だっていきなり朝鮮半島に攻め込んではいない。
中世の時代でさえそうなのだ。