「心のバリアフリー化」を図るための研究報告書が発行された。
次のタイトル書である。
心のバリアフリー化に関する促進・啓発事業企画実行委員会 委員長 坂巻 熙(さかまき ひろむ)編「平成22年度心のバリアフリー化に関する促進・啓発事業」平成24(2012)年2月29日刊(社会福祉法人 日本身体障害者団体連合会)
本誌の「第2章 座談会 心のバリアフリーに関するアンケート調査をめぐって」(p.63~p.107)から興味深い発言を引用する。
その第6回目。
細川瑞子氏(全日本手をつなぐ育成会中央相談室長)は、障害者をジロジロ見ることの是非について、以下のように述べる。(p.81~p.82)
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【引用始め】(p.81~p.82)
細川:
心のバリアが、障害への無理解から生まれるとしたら、その裏返しで、障害への理解が重要とされるのは当然です。
実は、意見は両極端に分かれる。
一方には知らんぷりしてほしいという方がおられる。
他方には、もっとしっかり分かってほしいという方がいます。
前者の方は「ジロジロ見るな、同情は嫌なんだ。」というふうにおっしゃいます。
しかしながら、“見てこそ分かる”、“同情(sympathy)から共感(empathy)が生まれる。”ということも事実だ。
私は、親として、「どうぞ、ジロジロ見てください。」ということから始まると思っています。
但し、ただ見ただけで理解したことにはなりません。
知識があって、理解して、それを了解というのでしょうか、本当の意味で分かるというところまでいかなければならないと思います。
了解というのは、障害自体の理解、総論としての理解にプラスして、その障害者の理解という各論と、両方が必要だと思っています。
言い換えると、障害の科学的知識だけではなくて、個々の障害者の心理的受容、その人を心の中で受け入れる。
そこまで行かない限り、“障害への理解”という簡単な言葉では表せないのではないかなと思っています。
【引用終わり】
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障がい者をジロジロ見られる視線に耐えない限り、障がいへの理解は進まない。
避けて通れないことである。
障がいの受容というのはこういうことなのだろう。
まず自ら受容があって、一般の障がい理解も進むのである。
(ケー)