松江市のゼロ磁場

役行者の山伏です。千日行をして松江の西方の陣賀山に新しくゼロ磁場を発見しました。
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ゼロ磁場 修験道 母の犯行悲しい事件

2008年09月24日 | Weblog

 ゼロ磁場は役行者(えんのぎょうじゃ)が示された聖地です。大日如来の化身です。その教えは「この世で、悩んでいる方で、私を信じる人を救う為又豊な生活ができるようにする為遣わされました」です。<o:p></o:p>

 福岡での男児殺害は、犯人が母親という考えも及びつかない悲しい結末となった。育児の悩みと、自分の体調がすぐれない事と重なり追い詰められた末の犯行であったようである。<o:p></o:p>

 殺された子供は、突然走り出したり、一つのことに集中できないADHDの症状であったようで、特別支援学級に通っていた。学童保育も利用できなくなって困り果てた様子で、知人に「子供が元気が良すぎてコントロールができない、自分が病気だから面倒を見るのが大変」との言葉に知人は「いろいろと周りの助けが必要な方だったと。おもう子供を預けられなくなり、苦労されたのでは」と産経に載っていた。 子供の将来を悲観しての殺害と考えられるが、この母親の根本的な間違いは、子供の命を、自分の命、自分のものと考えていることである。子供に子宮を貸しただけであることを忘れている。<o:p></o:p>

 修験道では十二因縁にあるように、生み出した胎児は、母親の自由になるものではなく、母親とは違う生命体であることを、認識することである。<o:p></o:p>

ADHDの子は前世の生まれ変わりであるといわれています。なんの生まれ代わりかは母親が注意をしていればわかるようになり、その才能を伸ばすことができるのに、この母親は冷たい世間の無理解の風を受け、子供を不憫であるとおもい殺害に及んだとおもう。悲しいことだ。周囲の無理解、学童保育の冷たい規則などが、追い詰め極限状態になって犯行に及んだとおもう。<o:p></o:p>

「水子の供養」と同じだとおもう。523日のブログに書いたように、修験道では「水子の祟りはありません」といっていますように、この母親によって殺害された子供の霊は「お母さんは、私を育てることで一生懸命で、私のことを知る前に大変困って、選択の余地が無く、私の将来を悲観して命を奪ったほうが私の幸せになると信じて及んだことだとおもいます。私は怨んでいません。又すぐお母さんの子として生まれてきます」。と言っているようです。<o:p></o:p>

子供がいくら許してくれても、現代社会では「子殺し」の罪はあります。罪の償いをすると同時に供養をすることです。<o:p></o:p>

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