ゼロ磁場(じば)は役行者(えんのぎょうじゃ)が示された聖地です。大日如来の化身です。その教えは「この世で、悩んでいる方で、私を信じる人を救う為また豊な生活ができるようにする為遣わされた」です。<o:p></o:p>
今日友人の葬儀に参列しました。人の命のはかなさというか、生は有限であることと「死は」孤独であることをつくづく悟らされました。というのはつい10日前ボランティアを一緒にしたばかりでした。また来年もやろうといって分かれた直後その彼が急死したのです。奥さんに聞くと、いつものように前にある公民館にゴミを分別して入れてもらう指導をした後で、家に帰り居間で横になり休んでいました。そばにいた奥さんが、朝食の準備ができたので、声をかけたが返事が無い、揺り起こそうとしたら、息が途絶えていたとのことです。声も上げないで、苦しまないで、眠るがごとく「死」を迎えたのです。そばの奥さんも全く気がつかなかったぐらい静かにあの世に旅立ったのです。このように死ねたらよいと皆考えています。大往生です。すこし若いですが、素晴らしい死にっぷりです。マネがしたいですね。<o:p></o:p>
命のはかなさ、生命の有限さ、一人で死を迎える覚悟、などいろいろ考えさせられました。残された方々は大変ですが、私たちはいつ呼び出しがくるか分からない。いつ来てもいいように、常日頃の心がけが大切であると感じました。<o:p></o:p>
修験道ではこの死を臨終の一念「死有」といいます。次に「中有」に入ります。7日ごとに指導仏が現れ次の世界に入る準備をします。家族は7日ごとに法事をして冥福を祈ることが大切です。<o:p></o:p>
父母恩重経を続けます。私たちが生を受けるのは、母の苦しみ、乳の心配の中で生を受けます。 「始め胎を受けしより十月を経る間、行・住・坐・臥ともに、もろもろの苦悩を受く。苦悩休むときなきがゆえに、常に好める飲食・衣服・を得るも、愛欲の念を生ぜず。ただ一心に安く生産せんことを思う。<o:p></o:p>
月満ち足りて生産のときいたれば業風ふきて之を促し、骨節ことごとく痛み汗膏ともにながれて、その苦しみ耐えがたし、――――――」<o:p></o:p>
貴方の誕生は自分は祝福されて喜ぶことは意義ありますが、自分の誕生のときにははが生命がけでこの世に「生み出して」下さったことに感謝のまことをささげることが大切です。お母さんありがとう、ありがとうといいましょう<o:p></o:p>