土光杯 全日本青年弁論大会で産経新聞杯 受賞の藤田このむさん(26) 京都大学大学院農学研究所 の方の要旨は「新しい農家を支えた環境保全型農業のすいしんを」
私は、コメを育てる兼業農家に生まれ、幼少から田植えや稲刈りなどの手伝いをしてきました。父の影響で、実際に農薬や化学肥料を使わない農業をまじかで見てきました。
しかし幼い私は、そんな農業は暑い夏空での余分な仕事を増やすだけだと感じていました。
考えが変わったきっかけは、2019年、オランダ留学でした。 農作物輸出額が世界第2位の農業大国で、 世界中から来た学生と語らい、”農業とは何か” と自信に問いかけました。
日本にいると効率的な食糧生産が中心で、農薬や化学肥料を使わない農業は、高価でもそれを望む人の健康のためだけにあるかのように錯覚します。 しかし農業は気候変動や
環境保全、福祉など、広く多様な意味と入り口を持っていると感じました。 多面的に農業を見ることで、 環境や生物多様性に関心のある人、 技術を手に持続的社会を目指す人、
福祉に携わる人を”新しい農家” として向かい入れることができます。 災害や地球温暖化、 人口減少は日本の農業界の収量を不安定にしたり、 農家の高齢化、担い手不足
を招いています。 持続可能な”環境保全型農業” を進めることが、日本をさせると考えています。 ・・・・・・
農業大学校で環境保全型農業を推進するようにします。 4月から国家公務員として農林水産省で働きます。 かって父が目指した農薬や化学肥料を使わない農業を
実家の田畑で実現したいです。 このように若い方々は農薬や化学肥料は生態系によくないと 考えていることでますます発展していきことです。期待します。
このように今の若い方々は農薬や化学肥料が農作物によくないか知られて非常に良い
傾向にあります。 ますます発展していくべきです。
ところがいま新型コロナウイルスによっていろいろなことが分かってきました。 国の政策も困り果てているようですが、その時の国民感情に左右されて政策転換
しているように、 宍道湖の50年間を見ていても同じことが言えます。 わたしは宍道湖でヨットをしています。 松江ヨット協会の会長をしていました。 まだ後任が決まりませんが
50年間の間宍道湖の自然は、国の政策でくるくる変わりました。 根本的な自然環境は一つも変わりません。 国の思索で人為的に変えさせられたのです。
その変化を見ると面白いのですが最終的には私が当初から「生物的根拠」のもとに進めてきた 方法に戻ってきたのです。
簡単に言えば高度成長期には 宍道湖などいらない コンクリート壁で囲んで溝にすればよい。 農作物は農薬を使って早く立派に作り使った農薬は流して宍道湖にためればよい。
宍道湖の藻場は全滅しても、農作物がよくできればよいとのことで 一時期宍道湖の藻場はすべてなくなりました。
宍道湖の渚をなくされました。 つぎに 宍道湖の ヨシをなくしました。 つぎに宍道湖の藻をなくしました。
これらを復活するため ゼロ磁場で 16年間「祈り続け」ました。 願いはかないました。 宍道湖の渚が少しづつですが復帰してきています。
宍道湖のヨシ刈は 松江市がするようになりました。 宍道湖でもが再び以前のように増えてきました。 自然がよみがえってきたのです。
今度は長年400年間何もしなかった「人柱」の「小鶴さん」の護摩供養をすることが残っています。 この大厄を癒す事業が残っています。静かに毎日思索しています。
「人柱の小鶴さん」今少しの辛抱です。あなたの恨み呪いを 美しい歌声に変えて見せます。 もう少しお待ちください。。
私は、コメを育てる兼業農家に生まれ、幼少から田植えや稲刈りなどの手伝いをしてきました。父の影響で、実際に農薬や化学肥料を使わない農業をまじかで見てきました。
しかし幼い私は、そんな農業は暑い夏空での余分な仕事を増やすだけだと感じていました。
考えが変わったきっかけは、2019年、オランダ留学でした。 農作物輸出額が世界第2位の農業大国で、 世界中から来た学生と語らい、”農業とは何か” と自信に問いかけました。
日本にいると効率的な食糧生産が中心で、農薬や化学肥料を使わない農業は、高価でもそれを望む人の健康のためだけにあるかのように錯覚します。 しかし農業は気候変動や
環境保全、福祉など、広く多様な意味と入り口を持っていると感じました。 多面的に農業を見ることで、 環境や生物多様性に関心のある人、 技術を手に持続的社会を目指す人、
福祉に携わる人を”新しい農家” として向かい入れることができます。 災害や地球温暖化、 人口減少は日本の農業界の収量を不安定にしたり、 農家の高齢化、担い手不足
を招いています。 持続可能な”環境保全型農業” を進めることが、日本をさせると考えています。 ・・・・・・
農業大学校で環境保全型農業を推進するようにします。 4月から国家公務員として農林水産省で働きます。 かって父が目指した農薬や化学肥料を使わない農業を
実家の田畑で実現したいです。 このように若い方々は農薬や化学肥料は生態系によくないと 考えていることでますます発展していきことです。期待します。
このように今の若い方々は農薬や化学肥料が農作物によくないか知られて非常に良い
傾向にあります。 ますます発展していくべきです。
ところがいま新型コロナウイルスによっていろいろなことが分かってきました。 国の政策も困り果てているようですが、その時の国民感情に左右されて政策転換
しているように、 宍道湖の50年間を見ていても同じことが言えます。 わたしは宍道湖でヨットをしています。 松江ヨット協会の会長をしていました。 まだ後任が決まりませんが
50年間の間宍道湖の自然は、国の政策でくるくる変わりました。 根本的な自然環境は一つも変わりません。 国の思索で人為的に変えさせられたのです。
その変化を見ると面白いのですが最終的には私が当初から「生物的根拠」のもとに進めてきた 方法に戻ってきたのです。
簡単に言えば高度成長期には 宍道湖などいらない コンクリート壁で囲んで溝にすればよい。 農作物は農薬を使って早く立派に作り使った農薬は流して宍道湖にためればよい。
宍道湖の藻場は全滅しても、農作物がよくできればよいとのことで 一時期宍道湖の藻場はすべてなくなりました。
宍道湖の渚をなくされました。 つぎに 宍道湖の ヨシをなくしました。 つぎに宍道湖の藻をなくしました。
これらを復活するため ゼロ磁場で 16年間「祈り続け」ました。 願いはかないました。 宍道湖の渚が少しづつですが復帰してきています。
宍道湖のヨシ刈は 松江市がするようになりました。 宍道湖でもが再び以前のように増えてきました。 自然がよみがえってきたのです。
今度は長年400年間何もしなかった「人柱」の「小鶴さん」の護摩供養をすることが残っています。 この大厄を癒す事業が残っています。静かに毎日思索しています。
「人柱の小鶴さん」今少しの辛抱です。あなたの恨み呪いを 美しい歌声に変えて見せます。 もう少しお待ちください。。