2016年平成28年最後の日です。この頃では日本の文化として受け継がれてきた「除夜の鐘」がうるさいと住民の声で鐘をつかないところが出てきているとニュースがありました。何故このようなことを寺が配慮する必要があるか本当に不思議なことです。
伝統として受け継がれた日本文化を一部の住民の声で、排除できるものでしょうか、なぜその地区の住民は伝統文化を受け継ごうとしないでしょう。
鐘の音は私たちの体の第一チャクラと第2チャクラを活性化して健康にそして元気をつける源の音です。「除夜の鐘」はやめないで堂々とついてください。またそれを続けるよう働きかけましょう。
私は今年の言葉として「信頼」をあげます。画面を見てください。わたしの恩師である
シスターソコロ・エスパリスのカトリック松江教会のミサの写真です。神父さんを中心に補助の2人は松徳学院の副理事長と教頭です。
上の写真は聖体拝りょと言ってカトリック信者が神様の体の乗り移って尊いものとなったパンの一部を神父さんからいただく儀式です。神父さんは神様が乗り移る儀式を真ん中の写真のように行います。このとき短い文章ですが必ず文面を見て唱えます。暗記を絶対にしません。一字一句間違えないようにしているのです。
護摩祭りのとき一番大切な「宝剣の作法」のときこれから文面を見て行います。一字でも間違えると神を冒涜したことになるからです。
下の写真は「偲ぶ会」で私が話をしているところです。まさかミサの中に入っているとはしりませんでした。神父さんが説教する台で話をするのです。緊張しました。5分間の話をし終わったとき皆様から割れるような拍手がありました。追悼ミサの途中で拍手があるのは前代未聞とのことです。わたしもびっくりしました。あとで聞くと話の内容が素晴らしかったとのことで感動したとのことです。大変ありがたいことです。
前にも書きましたが「信用」と「信頼」のことについて話したのです。60年前は戦後10年目でまだ世間が騒がしい時でした。松江市が国際文化観光として成長するためにはミッションスクールが必要であると必死に誘致してできた学校です。開校にあたり教員も松江市に依頼して採用しました。 生物の教員は自分たちが探すと島根大学の生物教室に依頼がありました。
私が選ばれシスターソコロエスパリスと面接しました。松江地方はいまだ教員は公立学校が上で私学は下であるとの偏見があります。当時はまだ強く男子教員は隙あれば公立に逃げようと考えていました。外国から来たシスターは必死でした。
面接したときシスターの真剣さが分かり、即座に私は一生松徳女学院に勤めようと決心しました。霊的のめぐりあわせであったと思います。
勤めた当時は自然豊かで蝶がまだ乱舞しているときでした。そのため島根の蝶を今のうちに採集しようと考え土日を使っていましたが、足らなくシスターソコロに話したところ1週間のうち2日間採集でどこに行ってもよい許可を受けました。そのため島根の蝶と大山の蝶をほとんど採集することができ今理科室に保存されています。報告も必要ありません。今頃こんなキムがありますか?
しばらくして松江市も生徒募集をしなくなりました。シスターソコロは私に生徒募集をするため経営学部か商学部か入って勉強してくれないかと相談がありました。そこで日本大学商学部に学士入学しました。3年間で商学部を卒業しました。卒業したとたん校長代理として私学経営の会、校長会など参加させられ生徒募集に専念するようになりました。誰にも話さなかったことです。
先日逗子教会で人々がお集まりになる1時間前にシスターソコロのご遺体と一対一で見守っていました。其の時シスターからもう話してもいいよと声がかかりましたので、今日初めて話しました。と偲ぶ会で話したのです。
ここで私は「信頼」と「信用」について考えさせられました。「信用」には裏切りがありますが、「信頼」には裏切りがありません。
「信用」とはその人の過去に業績などを見て行う行為でその方が今まで間違いないからこれからも間違えないだろうといううことで書類などが必要になってきます。
「信頼」は未来にかけることでここには霊的な力に頼る以外方法がないのです。信頼するほうも信頼されるほうも死にもの狂いです。日本でいうう侍魂とでもいうものでしょう。
人間生きている間に信頼される人間になってみたいものです。私はシスターソコロエスパリスに信頼されたのです。非常に貴重な80年間でこれからもこのことを常に頭に浮かべ人生を頑張っていきます。
伝統として受け継がれた日本文化を一部の住民の声で、排除できるものでしょうか、なぜその地区の住民は伝統文化を受け継ごうとしないでしょう。
鐘の音は私たちの体の第一チャクラと第2チャクラを活性化して健康にそして元気をつける源の音です。「除夜の鐘」はやめないで堂々とついてください。またそれを続けるよう働きかけましょう。
私は今年の言葉として「信頼」をあげます。画面を見てください。わたしの恩師である
シスターソコロ・エスパリスのカトリック松江教会のミサの写真です。神父さんを中心に補助の2人は松徳学院の副理事長と教頭です。
上の写真は聖体拝りょと言ってカトリック信者が神様の体の乗り移って尊いものとなったパンの一部を神父さんからいただく儀式です。神父さんは神様が乗り移る儀式を真ん中の写真のように行います。このとき短い文章ですが必ず文面を見て唱えます。暗記を絶対にしません。一字一句間違えないようにしているのです。
護摩祭りのとき一番大切な「宝剣の作法」のときこれから文面を見て行います。一字でも間違えると神を冒涜したことになるからです。
下の写真は「偲ぶ会」で私が話をしているところです。まさかミサの中に入っているとはしりませんでした。神父さんが説教する台で話をするのです。緊張しました。5分間の話をし終わったとき皆様から割れるような拍手がありました。追悼ミサの途中で拍手があるのは前代未聞とのことです。わたしもびっくりしました。あとで聞くと話の内容が素晴らしかったとのことで感動したとのことです。大変ありがたいことです。
前にも書きましたが「信用」と「信頼」のことについて話したのです。60年前は戦後10年目でまだ世間が騒がしい時でした。松江市が国際文化観光として成長するためにはミッションスクールが必要であると必死に誘致してできた学校です。開校にあたり教員も松江市に依頼して採用しました。 生物の教員は自分たちが探すと島根大学の生物教室に依頼がありました。
私が選ばれシスターソコロエスパリスと面接しました。松江地方はいまだ教員は公立学校が上で私学は下であるとの偏見があります。当時はまだ強く男子教員は隙あれば公立に逃げようと考えていました。外国から来たシスターは必死でした。
面接したときシスターの真剣さが分かり、即座に私は一生松徳女学院に勤めようと決心しました。霊的のめぐりあわせであったと思います。
勤めた当時は自然豊かで蝶がまだ乱舞しているときでした。そのため島根の蝶を今のうちに採集しようと考え土日を使っていましたが、足らなくシスターソコロに話したところ1週間のうち2日間採集でどこに行ってもよい許可を受けました。そのため島根の蝶と大山の蝶をほとんど採集することができ今理科室に保存されています。報告も必要ありません。今頃こんなキムがありますか?
しばらくして松江市も生徒募集をしなくなりました。シスターソコロは私に生徒募集をするため経営学部か商学部か入って勉強してくれないかと相談がありました。そこで日本大学商学部に学士入学しました。3年間で商学部を卒業しました。卒業したとたん校長代理として私学経営の会、校長会など参加させられ生徒募集に専念するようになりました。誰にも話さなかったことです。
先日逗子教会で人々がお集まりになる1時間前にシスターソコロのご遺体と一対一で見守っていました。其の時シスターからもう話してもいいよと声がかかりましたので、今日初めて話しました。と偲ぶ会で話したのです。
ここで私は「信頼」と「信用」について考えさせられました。「信用」には裏切りがありますが、「信頼」には裏切りがありません。
「信用」とはその人の過去に業績などを見て行う行為でその方が今まで間違いないからこれからも間違えないだろうといううことで書類などが必要になってきます。
「信頼」は未来にかけることでここには霊的な力に頼る以外方法がないのです。信頼するほうも信頼されるほうも死にもの狂いです。日本でいうう侍魂とでもいうものでしょう。
人間生きている間に信頼される人間になってみたいものです。私はシスターソコロエスパリスに信頼されたのです。非常に貴重な80年間でこれからもこのことを常に頭に浮かべ人生を頑張っていきます。