でねこん

前職の業界をこよなく愛する聖者。
あせ・あし・あたま・あいきょう
で営業マンの基本とか。ホンマか!?

東電社長の土下座

2011年05月05日 08時41分12秒 | 雑系

昨晩、東電社長の土下座ニュースがやっていた。

住人は、清水社長に対し、
『土下座しろよ!清水!!』
と呼び捨てだ。

確かに企業トップとして指示すべき事は多々ある。

しかし一番悪いのは誰だ??
安全神話でだまされた!?

そんなもん前から危険性を指摘する人は沢山いた。
けど耳を傾けず原発を街に呼び多額の金を地元に
落としてもらい潤ったではないか。
その代償なんだ。
地震が無ければ今も恩恵を受けていたはず。

清水社長も40年も前の福島原発なんて知る由もない。

この人ひとりが悪い訳ではなく、電気を使う需要家が
今後のエネルギーのあり方を真剣に考えるべきだ。

福島なんてもう住めるわけ無いじゃないか。
いつも思うが原発を許可した国の責任は重いぞ。
原子力安全なんとか委員なんてあるんだから
あいつらがまずは皆様の税金でお給金を頂いて
おりますが事故を防げませんでした と謝罪すべきでは。


原発には、国や政治家に利権が多いに絡んでおり
地元にも多額の金が落ちている。
原発を無くす方法は、まずは需要家が電気を使わないことだ。


避難民の一人が言ってましたね。
一時金の100万円なんてお前らの一晩の飲み代にもならないじゃないか!

そりゃそうだ。
日本のエネルギートップ企業。
こいつらも凄い給料もらっているぞ。
ガリバー企業化しているからスリム化は案外簡単だ。

確かに賠償金は一時金にせよさっさと払うべきと思う。
新しい生活を始める敷金は誰かが早く用意してあげないと。

マシン整備

2011年05月05日 08時33分04秒 | バイク系

ツーリングを終えて海辺も走ったのでバイクを
洗車。

あと、ブレーキング時にフロントから金属音がしていた。
よってキャリパーの清掃も行う。

キャリパーを外し、パットピンを外し宙ぶらりん。





キャリパーはパッドの削りカスで真っ黒。
面倒なので水に浸してゴシゴシ磨く。





バケツの水は瞬く間に真っ黒。

パッドはフロントはまだ使えるがリアはそろそろ交換時期かな??





XJRの前後2キャリパーにリアキャリパー、マグナのフロントキャリパーと
4キャリパー清掃し、ピストンをグリスアップ。
なんやかんやで半日仕事。

ヘッドライトの不点とリアキャリアのもげたねじ購入など
やりたい事を出来ずに一日終わってしまった。

しかし中腰作業は腰に来る。
もう歳なのねん。

けど自分でできる作業は自分でしたい。
ショップに出すと工賃バカにならんし。

あれから18年

2011年05月05日 08時28分01秒 | 家族系

オヤジが死んで今日でまる18年。
月日の流れはあまりにも早くこの18年間で
自分は何が成長し社会に貢献したのだろうかと
自問してしまう。





毎年オヤジの会社の人が花を贈ってくれる。
有り難い。本当に感謝しています。

昨日は、お寺さんが来て命日法要。
チビの熱が下がらないため嫁子供は欠席。

オカンと二人でお経をあげる。

その後、お墓に行き掃除。
ついでに母屋の墓にも行き掃除とお花とお線香を。

明日はじいちゃんの命日だ。


じいちゃん 5/6、おやじ 5/5 と死んだのでおいらは
5/4に死ぬもんだと思っている。
今年も無事5/4を過ごせたのであと1年間は生きられるだろう。

GWツール 最終日

2011年05月05日 08時10分10秒 | バイク系

▷ ルート:南港⇒自宅
▷ 距離:33.3km


鼾に苦しめられ5時前に起床。
5時から朝風呂に入る。
ちょうど湯船中で明石大橋をくぐった。

5:30から船内レストランがオープンするので飯を食う。
船内のレストランは高いイメージがあるが意外と安いので
ビックリ。

6:35に南港に接岸し下りる準備。
おいらは乗船一番バッターだったので後ろからどんどんバイクが
詰められている。
彼らが出るまでおいらは出れない。。。





大阪も天気はイマイチか。

南港から高速に乗り一気に帰る。

自宅の数十メートル手前で、メーターが4万キロを指した。






7時過ぎに家につき玄関ドアを開けると寝室からお帰りの声が。
中を覗くとチビが冷えピタをおでこに。
昨晩から38℃の熱が出て苦しんでいるとの事だった。

すまん、お前が苦しんでいる時にお父さんは。。。

けど楽しかったぞ。



今回は、ホンマに前職同期に世話になった。
そしてよく飲んだ。
彼も結構、感じが変わってきたと思う。
良い方向か悪い方向かそれは俺には解らない。

しかし自宅で仕事をするよりきちっと会社で仕事する方が
健康に思えた。
公共の交通機関で移動し職場で働く。
普段自分が当たり前としている事がどんなに恵まれている事か
改めて思い知らされた。


今回は、天空の路 以外は全て前職同期に先頭を走ってもらった。
ツーリングマップを片手に標識の少ない九州の道に右往左往
する事も多々あった。

会社の人とのツーリングではバイクにナビを積んでいる人が
居て道にも迷わない。
しかしナビに頼る事が人間を退化させアホにするのではないかと
いつも思っている。

道に迷えば、バイクを停めて地図を確認。
人に聞いたりしてルートを見つけたりする。
また分岐点では、自分で即断即決し道を決めていく。

まさにこれは日々の生きるすべと同じではないかと思う。
迷う事があれば人は、人に聞いたりアドバイスをもらったり
するが小さな事は、全て己で即断即決だ。
そんな大事な行動をナビに頼る。
非常に心配だ。こんなもんに頼って生きている若者が。
結局仕事もナビみたいに案内してくれる物がないと
自分で物事を判断出来ないのではないのか。


そんな事を思いながら今回の旅は幕を閉じる。

今回の旅費は、一年間貯めた500円玉貯金によるものであった。
またしっかりと来年の為にお金を貯めておこう。


忍者のマフラーぬけにウインカー不点。
XJRは、スピードメーターのケーブル抜けにそう言えば
ヘッドライトのロービーム不点もありヘッドライトの
1/3に黒のビニールテープを張り付け走った。


今度は、家族で平戸を目指すとするかな。

GWツール 5日目

2011年05月05日 07時47分34秒 | バイク系

▷ ルート:熊本⇒阿蘇⇒湯布院⇒別府
▷ 距離:174.4km


さぁ今日で実質の走り納め。
昨晩は、飲み過ぎですぐに寝てしまったため
朝の5時から風呂に行く。


今日は、まずは熊本城から。





熊本のスーパーホテルもバイクだらけ。
ホテルの駐輪場がダメだったので近所の駐車場に。
大阪のドカと一緒に止める。
ドカの彼は、現地一泊船中二泊の弾丸ツールに来ていた。


熊本城は人が多いが外人が少ない。いつも寺とか城には
外人が沢山いるのに今日は全く見ない。
これも福島原発の煽りか!?





再建された城をバックに記念撮影している人も多い。





彼氏の前でこんな顔が出来る女。
なかなか素敵です。





アベックも楽しんでいる。





朝来た時はバイクなんておいらたちだけだったのに何ともバイクが
増えた。





熊本城は再建されなんかイマイチ。
靴でそのまま天守閣まで行けるのは味気ない。

ここから阿蘇を目指す。

熊本市内は渋滞渋滞。。。
R57も渋滞渋滞。。。

ミルクロードに入り流れは良いが車が多い。

で、今回阿蘇で行きたかったところがある。
天空の路??とかいう名前で結構有名らしい。

かぶと岩の展望所から約3キロ下ったところに
分岐点がある。
下り始めてすぐにバイクが停まっている。





どれどれ と覗くと





これこれ。天空の先をバイクが走る。








黄砂の営業ですこぶる視界が悪い。
天気が良ければここからのぞむ眺めは絶景だろう。








阿蘇神社の近所のそば屋に入り遅い昼飯。

フェリーの出航は、18:45 。やはり2時間前には現地に居たい。

やまなみハイウェイを走るが車が多い。
イエローラインをはみ出しては丁寧に抜き去る。


湯布院に到着しこの度の疲れを癒すべく温泉に。

広々とした露天ぶろは気持ちが良い。


風呂上がりはまったり休憩。
しかし前職同期のこの体型。。。
この体型で忍者に乗るなんて。。。
アライグマの曲芸みたいだ。。。





しかし黄砂がひどくて視界が悪い。
由布岳もぼんやりとしか見えない。





別府の渋滞を抜けフェリーターミナルへ。


前職同期とはここでお別れ。
彼はまだ2時間ほどかけて北上しなければならない。


今回は、全て彼が段取りしてくれた。
宿の手配、晩のお食事処、湯布院の温泉。
意外とマメなところがあるんだと感心した。
おおきに。ホンマ助かりました。


そしてフェリーに乗船。
温泉に入ったばかりだがやはり風呂を目指す。

湯布院の向こうに夕陽が沈む。
いやぁ色々とありました。今回も。





サンフラワーは、重油の黒煙を吐きだしながら九州を離れて行った。






前職同期が調べていてくれた。


先輩のところにも寄りたかったが最終的に時間が無かった。
しかし頑張れば行けない事も無かった。
けどまだバイクを乗る事を許されていないところへXJRで
行く事に心のどこかで迷いが有った。


フェリーは、運よく壁際をゲット。
船が九州を離れるのを見送ってから船室に戻ると
おいらの隣は、三歳くらいの女の子と二十代前半の
お母さんに五十代のおばあちゃんの三人が座っていた。

そしておばあちゃんがおいらに 宜しくお願いしますと
挨拶される。

この家族の隣はこれまたオジサン。
ニ等カーペットルームで俺とオジサンに挟まれて寝るには
この家族が気の毒で、思わずおばあちゃんにおいらの場所と
代わりましょうか??と提案したら大層喜んで頂いた。

ただこの家族にはじいちゃんもおりこのじじいの鼾に
これまた苦しめられる事になるとは知る由もない。。。

GWツール 4日目

2011年05月05日 00時26分02秒 | バイク系

▷ ルート:長崎軍艦島⇒島原半島⇒天草⇒熊本
▷ 距離:221.2km


今日は、平戸に次ぐ最大のイベントである軍艦島上陸ツール。
事前に予約済み。
しかしネットで観ていると風が強い日は上陸できず
年間約100日しか上陸できないらしい。

雨はほぼ止んでいるものの風がありこれは怪しい。

そしたら前職同期の携帯が鳴り始めた。
出るとツアー会社から。現時点では上陸及び周遊ツアーも
中止。
但し、周遊ツアーについては今後の天候次第で行われる
可能性もあるので8:30に最終の決定連絡をするとの事。

おぉぉぉぉぉここまで来て平戸に嫌われ軍艦島まで。
俺は何しに今回九州に来たのか。。。
もうえらく凹んだ。
ツアーに半日の時間を充てていたためもう何も計画が
浮かばない。

そして運命の8:30が過ぎた。
電話を待つ。
結果は、上陸は出来ないが周遊は行うとの事。

まぁ本来の目的からは大きく縮小方向に向かうが
完全中止よりましか。。。


チケット売り場の女の子に聞いたら昨日は周遊も
完全中止だったのとの事。


観光船に乗り込み二階のオープン席をゲット。
しかし、凄い霧。
市内も霞んで行く。。。





乗務員さんにこの天候で上陸できないのか聞いて見ると
雨は問題ではなく風が問題との事。
特にこの日は南西の風が吹いておりこうなると軍艦島の桟橋に
船をつけられないとの事。

軍艦島までは、湾内の観光も兼ねる。


長崎は三菱重工村。
建造中の船もある。
そう言えば昔、豪華客船が燃えましたね





自衛艦もあるぞ。
アップの写真はロボットみたいやな。








またまた建造中の船が。





そして三菱重工の150万トンクレーンが。
しかし凄い霧で。。。





途中の島にも海に向けてマリア様が。





そして航行する事約1時間ついに軍艦島が見えて来た。






























































ピーク時にはこの島で5000人もの人が働いていたとか。

今や無人島になり30年ほど経過し潮風で建物はボロボロ。
危険な状態ですな。

周遊時の解説では、日本のエネルギー需要の為にみな
頑張って働き経済成長を支えて来たと美談を話していた。
また当時の三種の神器と言われたテレビなどもあり生活レベルは
非常に高いとも説明を受けた。

ただよくよく調べてみると当時の労働者として朝鮮人や中国人に
かなりの重労働を強いて多くの方々の命を奪ったともあった。

今は、こんなツアーもあるが実は、非常に根深い歴史がある事を
帰宅してから知った。


しかし内海は穏やかだったが外海は凄い波。
こりゃ上陸できんわ。
船が揺れまくり一眼のファインダーをのぞきながら写真を
撮っていたので気分が悪くなった。

もう船の上では、小学生の子供はビニール袋を持ち
親に背中をさすられたりもっと小さな子供は顔面蒼白で
ぐってり。
子供にとっては何にも面白くないツアーだろう。

俺も寄港した時は気分が悪かった。
しかし二日酔いで吐く事はあれど船酔いでは吐かない。

昼前に長崎に戻ってきたのでここから島原半島へ。

雲仙に行こうかと思ったが、前に行っているしGWで
人も多いだろうから島原半島は、グリーン道路なる農免道路で
周遊する事に。


途中、諫早の遮蔽が見えた。





まゆやまロードでは普賢岳がこちらを威嚇するかのように
そびえたつ。





火砕流で焼失した街。









火砕流に津波。
人間とは自然の前には。。。

無念。


島原半島から島鉄フェリーで天草へ。






天草は車が多い。
止まることなく走りまくり。


熊本市内のホテルにつき晩飯へ。

ホテル近所の居酒屋でこの度最後の晩餐。


馬刺し食って刺身食って焼酎、しろを一本おろし飲みきり
まだ、焼酎を飲んでいたような気がする。

このお店のアルバイト応援に来ていた台湾人の女の子無茶
可愛かった。
日本語はまだまだだが可愛いと言うか綺麗。

完全に泥酔しエロビデオをつけっぱなしで爆睡。