でねこん

前職の業界をこよなく愛する聖者。
あせ・あし・あたま・あいきょう
で営業マンの基本とか。ホンマか!?

お正月の出来事

2011年01月05日 22時03分38秒 | 家族系

今年の正月は強烈だった。
今思い起こせば良き思い出だが一時はホンマに
やばいと思った。
瞬時の判断を求められた。
仕事と同じだ。
自分の勘にもダイブン頼った。


元旦に実家でおせちを頂き新年を祝う。
昼から嫁の実家を目指して走る。

前日から米子道と山陰道が通行止めになっている事は
気になっていたしネットで逐一状況を検索していた。
それでもおごりが有った。

お昼に実家を出て一路島根を目指す。
ファーストドライバーは嫁。
おいらは実家で日本酒を二合ほど飲んだので
運転を控える。

勝央SAから雪がちらつき始めた。
米子道は通行止めのまま。
ニュースでは、大山で1000台もの車が立ち往生していると
情報を得ていた。
それでも自分とは無関係だと思っていた。

落合ICで中国道を下りてR181で北上を目指す。
雪は強くなり嫁は今回の帰省を諦めようと言いだす。


しかし、島根の片田舎から嫁を大阪に連れてきて年に
数回しか嫁は親兄弟とも会えない。
普段からおいらのオカンにも良くしてくれているので
絶対に帰らねばならないとの思いが有った。

正月の帰省を見送ると1/8~の三連休は嫁チビ共に用事が有り
帰省が出来ない。
2月か3月の春まで帰省は見送りになる。
万が一、今回見送ったことで嫁の親に何かあり一生後悔する事に
なるのであれば回避せねばならないと強く感じていた。

オヤジがあっさり突然死んだようにいつ人は死ぬかわからない。
今回の帰省を見送り正月の過ごせなかった。。。
そんな後悔に値する種は全て掘り出したかった。


しかしR181は雪が深い。






チェーンを巻いて突き進む









その内、道が完全に雪に覆われた。







そして悪夢は突然。
軽いくだりだったと記憶する。
スピードは50km/h位

いきなりリアが右に流れた。
対向車有り。
嫁は、ギャーと奇声を上げる。

逆ハンを切るも左前縁石にヒット。
続いて車は右に流れるのでまたまた逆ハンを切るが
左後ろを同じくヒット。


いやぁ対向車も後続車もビックリしたのでしょう。
ぴたりと停まって頂いておりました。


嫁はもう諦めて戻ろうと言うが傷なく大事に乗ってきた
車がキズものになりやけになった。

俺も意地でも島根に行くと聞かなかった。
しかしこの時、一番必要だったのは引き返す勇気だったのだ。

けど美しいいい方をすれば嫁を両親とまったりと過ごす正月を
との想いだった。


この後、R181は雪でスタックするトラックのオンパレード。
米子に着いたのは夜。

山陰道は通行止めのままなのでR9で向かおうとするが
これまた坂道でトラックがスタックし道をふさいでいるとの事。
復旧の見通しは。。。と交通整理のおまわり。


義弟はトラッカーなので色々と聞いたら米子のトラックステーション
で待機するのが良いと。

米子市内は大雪で。。。






結局、米子のイオンの駐車場で一夜を明かす。





ブルが一晩中、来客の為に駐車場を雪かき。










イオンの前の国道もツルツル。






イオンの駐車場にはドカ雪で逃げ遅れた放置プレイの
車が数台。







R9、R181と大阪に帰る国道は全て潰れて
仕方なく島根に向かう。






大阪をでてホンマに24時間かけて嫁の実家に到着。
車中で熟睡なんか出来るわけもない。
三人でTIIDAは狭かった。。。



しかし実家に着けば雪も友達。






庭の雪で雪だるまや富士山を作って遊ぶ。
チビは雪かきが楽しいらしい。










そんなこんなであっという間の帰省は終わりをつげ
帰路に。


山陰道の雪も綺麗に除雪。





米子道も除雪








生きているから笑えるが現地は本当に深刻だった。
イオンの駐車場で一夜を明かすときも一晩中救急車が
サイレンを鳴らして走っていた。

こう言う自然災害を久しぶりに体感したが、神戸の震災を
彷彿させるものが有った。
規模こそ違うもののお年寄りなど社会的に力の無い人が
人の助けなしでは何もできない。

改めて災害に対する心構えを認識させられた。