週末は京都へ、ニットキャップシアターとシュヴァルのオマージュ展とクールキャッツの演劇に行って、帰ってきて選挙、その足で伊丹でKIのたくさんつくカンパニーのダンスを見て、夜は速報をニコニコ動画で。世の中の、というか僕はテレビなし人間なので、ネットを中心とした世の中の、その混沌具合、情報の錯綜具合、それはまさに洗濯機に入れられた群舞みたいでくらくらする。ノンポリの時代もいつの間にか終わって、今や日本はふたつに分断しているかのような錯覚に陥るが、そのどちら側も結局は、同じ構造のように感じられるので、日本にいればその空気はいつだって存在している、その空気、その傾向、その熱狂、その錯乱、その思い込みと正義、その優しさからくる悪、かといって悪意というほどのものではなく、どちらかと言えば善意に近いからこそ、そこには一過性のものを感じざるを得ない。サッカーのワールドカップのときと同じような居心地の悪さ、とでも言いますか。そんなこと言ってても始まらないから、個人の作品の中で、この場所で少しでも血が流れないように、悲しみが飽和して狂ってしまわないように、ちょろちょろと、冬の水道を凍らせないように水を出しっぱなしにするように、自分たちが舞台とか芸術とかエンターテインメントという枠の中でできることは、結局、水道のちょろちょろなんだと思う。凍らないように。