仕事や生活の中で、レベルの低い人間に出会うことがある。
かってのおいらは、腹も立つしイライラもするので、そんな輩は排除したいと思ったものだ。
排除の論理というやつなのかな。
輩がいなくなれば気分はすっきりとするのだが、そこに至るためにはそこそこの努力が必要だ。
そこで最近では、こんなことも考えている。
◆排除よりも育てた方がいいのではないか
嫌な奴は嫌なので排除したい、嫌いな奴は嫌いなので付き合いたくない。
そんな思いは間違いではないのかもしれないが、あまり生産的ではないようだ。
発想を転換して、そんな輩を自分好みの存在に変えられないか。
うまく付き合って、うまく対処すればそうなるのではないか。
生まれ変わるチャンスを与える。
いわゆる輩は、自分自身の価値観に忠実に従っている。
だから、その価値観が世間一般のものと異なっていると理解させればいい。
だがそれは言うは易く実行は難しい。
20年30年40年と紡いできた生活習慣はなかなかに変えられないものだ。
それでも、排除するよりも育てる方が圧倒的にリターンが大きいものだ。
だからどれが効率的なのかはわからないが、誠実にやろう、真剣にやろう、真面目にやろう、
仕事優先で行こう、自分のことは後回しにしよう等々と言い続けよう。
その結果、何人かが育てばそれはあなたの素晴らしい実績となるはずだ。
→そうですよね、敵を排除するよりも、敵を味方に変えてしまう方がはるかに効率的ですよね。
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