ビートたけしが言う、ささやかな幸せがあれば人間生きていけるものだに同意したいと思う。
たけしの幼年期、家族の生活はいっぱいいっぱいだったらしい。
父親はよく言えば自営業、実態はただのペンキ職人だった。
仕事は安定せず、それでも父親は毎晩酒を飲んでいて、内職をする母親が家計を支えていた。
そういう生活のことは、一般的には貧乏という。
だがたけしは、絶望はしていなかった。
それは、こういう理由からだ。
◆貧乏だが不幸ではない
北野家の家計は、いつもお金がない、あるいは不足している状況だった。
つまりは、貧乏ということだ。
だがたけしは、お金がなく貧乏な家庭でも、空き地で友人と野球をして遊んでいた。
友人の家で、テレビを見させてもらい、長嶋茂雄の活躍もちゃんと知っていた。
肉の入っていないポテトコロッケだが、家族で一緒に夕食を食べることができた。
だから、貧乏っていうのはなにかと辛いけれど、もしかしたら明日いいことがあるかなと思いながらぐっすりと寝る。
そんなささやかな幸せがあれば、人間生きていけるんだとも思った。
幸せとは、案外そういうものなのかもしれないな。
→そういうものなのかもね。
求めすぎると、かえって不幸になるのかもしれませんね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます