やっと2019年秋の旅行記を始めます!
※下書きはしてあったのですが、画像の縮小やセレクトが追い付きませんでした・・
毎年恒例、主人との秋の記念日旅行。
(実際の結婚記念日は11月末だけど仕事状況により毎年10月か11月半ば)
2019年は滋賀京都へ行ってきました。
インスタにはかなり前に投稿済ですが
ブログには詳細をじっくり書きたいし、画像もたくさん載せたい、加えて2019年のレトロ建築探訪が終わらず(アップを諦めたのもある)・・
すっかり遅くなってしまいました。
記念日旅行の宿泊地は夫が決めます。
彼はゆっくりしたく(誰でもそうか)「温泉と食事」に重きを置くので、レトロや風情だけでは選んでもらえません。
でも2019年は彼の行きたいエリアに、私が見たかったヴォーリズ建築もたくさんありラッキーでした。
さて、いつもながら未明に出発(ETCを朝4時に通過する為)、
午前中に滋賀県入り。
1日目はまず滋賀県豊郷町にある豊郷小学校旧校舎群へ!
豊郷小学校旧校舎群は、昭和12年に豊郷小学校の卒業生で大実業家でもあった古川鉄治郎氏(丸紅の当時の専務)の寄付によって、そして近代日本で数多くの西洋建築を残した米国出身の建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏の設計で建てられました。
当時は「白亜の教育殿堂」「東洋一の小学校」といわれ、平成25年には国の登録有形文化財に登録されたそうです。
現在は図書館や子育て支援センターなど地元の複合施設として利用され、校舎内の見学も可能です。
古川鉄治郎氏は、学校として必要な備品類の調達も引き受け、最終的な負担額は彼の私財の2/3に相当する額だったそう。すごいですね!
豊郷小学校の新校舎は当時はまだ珍しかった鉄筋コンクリート造に、温水暖房、内線電話、ガス供給設備など時代の最先端を行く設備にしたそうですよ。
※情報サイトより
豊郷小学校旧校舎は完成した直後、太平洋戦争による金属供出により備品の一部が取り外されたり、空襲の標的となるのを防ぐため外壁が黒く塗られたそうです。
戦時中、黒かったなんてビックリ!
戦災の大きな被害はなく戦後もずっと、平成に入ってからも校舎として使われてきましたが、
阪神・淡路大震災を契機として1996(平成8)年に行われた耐震診断で補強が必要との結果が出たことから、解体の危機が訪れます。補強か解体か。
調べてみると、町をあげての保存運動がありました。
町は、解体か耐震補強か町民にアンケートを行い、
「耐震補強」と答えた町民は45%、逆に「解体」と答えた町民は6%弱に過ぎないとの結果。
「残すべき」という思いが大半を占めていたそう。歴史あるものを大事にする心が多い!
滋賀県も保存するよう求める意見を発表、日本建築学会は校舎の老朽化や耐震性の問題について改修によって対処可能と指摘している。
学術的にも状態的にも、まだ充分使える校舎だったそうです。
しかし、同年に豊郷小学校の改築を公約に掲げた大野和三郎町長が就任すると、施設の老朽化と耐震性を理由として校舎と講堂を解体・新校舎の建設を目指す方針を打ち出し、町民側の保存を求める声は無視され続け、2年後の年末には町長が年内の解体工事着手を表明しました。
町民の総意でない改築を強行しようという動きに業を煮やした町民側は
「豊郷小学校の歴史と未来を考える会」を組織して大津地裁に対し講堂解体の差し止めを求める仮処分申請を提出。
翌年仮処分が認められましたが、町は講堂・図書館のみを保存し、校舎は解体撤去する方針を変えませんでした。
そのため町民側は校舎についても、解体差し止めを求める仮処分申請を大津地裁に行います。
しかし町側が校舎の解体工事に向けた造成工事に着手したことから、町民側も学校敷地内での座り込みといった抗議活動を始めるなど事態は泥沼化したそうです。
更に町民側は大野町長の解職請求(リコール)に向けた署名活動を開始。
しかし町長は月内に解体工事に着手すると発表し、仮処分決定がなされたにもかかわらず翌日に校舎の窓枠を取り外すなど工事を強行しました。
この工事は町長自らの指揮で強行されたもので、工事を阻止しようとした町民に対し作業員が暴行するなどの様子がテレビで全国に放映され、豊郷小学校の改築問題が全国に知れ渡ることとなりました。
※Wikipediaや情報サイトより抜粋
町長が裁判所の命令を無視する事態になり、当時衆議院議員だった河村たかし氏らも、保存に関する要望書を提出するなど動いたそうですよ。
こちらは講堂。
別棟になっているものの、廊下から渡り廊下を使って出入り出来ます。
窓の装飾が素敵!
講堂内部。
300人以上が座れるらしい。
ほんとに緩やかに傾斜。素晴らしい。
こちらは酬徳記念館。
「酬徳記念図書館」でしたが、現在は酬徳記念館として観光案内所やカフェ(カフェは日曜のみ)として使われています。
ちなみに旧校舎は二代目校舎で、初代校舎は明治20年築、現在は改築・復元され記念館になっています。
ここまで来るのに壮絶な事態となり紆余曲折あって解体は免れ保存された旧校舎ですが、
結局大野町長により、新校舎も建設されたのでした。
その三代目校舎、現在の「豊郷小学校」は、この白亜の旧校舎の後ろにあります。
校舎の中から見えました。
次回は校舎内をアップし、ヴォーリズ建築についても触れたいと思います!
(専門的ではないけど^^;)
2019年の滋賀京都旅行・1(滋賀・豊郷小学校旧校舎群)
2019年の滋賀京都旅行・2(滋賀・豊郷小学校旧校舎のウサギとカメ)
2019年の滋賀京都旅行・3(滋賀・町おこしの主役☆豊郷小学校旧校舎群)
2019年の滋賀京都旅行・4(豊郷町のレトロ建築)
2019年の滋賀京都旅行・5(彦根☆花しょうぶ通りのレトロ建築)
2019年の滋賀京都旅行・6(袋町遊廓跡を歩く)
2019年の滋賀京都旅行・7(ヴォーリズ記念病院・ツッカーハウス)
2019年の滋賀京都旅行・8(ヴォーリズ記念病院・希望館【五葉館】と礼拝堂)
2019年の滋賀京都旅行・9(ヴォーリズ記念館)
2019年の滋賀京都旅行・10(旧御園村役場から醒井宿へ)
2019年の滋賀京都旅行・11(そして長浜へ・土倉鉱山跡)
2019年の滋賀京都旅行・12(長浜のレトロな街並み)
2019年の滋賀京都旅行・13(京都・南禅寺水路閣と第二期蹴上発電所)
2019年の滋賀京都旅行・14(京都・任天堂旧本社社屋)
2019年の滋賀京都旅行・15(京都・旧五条楽園)
当時の町長は地元のゼネコンやら有力者やらなどとの黒い繋がりとか、お金に絡む問題なんかがあって壊そうとしたんでしょうかね。ドラマになる。
あとこの校舎、当時の軍事施設の建築物に見えて来ますね。
地元の方々の建造物に対する愛とか、それゆえ町長への憤りとか、おっしゃる通り町長とゼネコンとの黒いつながりとか。
そして、このあとの町役場の担当者の理解ある行動や
「けいおん」のファンたちと地元との交流など、いろんなサイトを読めば読むほど物語を感じました。
工事業者の町民に対する暴力があったから全国的に報道もされたそうですが、私はその頃は知らなかったです(汗
今頃になって書くのもなんですが、やっぱり載せたいと思いました。
全部残すとなると再開発の計画から設計まで全部見直さなきゃならなくてJRは一部だけ残すと主張するのに対し、研究者は残すべきと。横浜市とかだったら産業遺産や歴史的建造物に理解あるけど、港区がどこまで交渉してくれるか。
話逸れてすいません。
港区、ただでさえ再開発で歴史あるものが消えたり消えかかっているのに、貴重な鉄道遺構は素人から見ても是非残してほしいと思いますが・・!
世の中、新しいものだけになってしまうと、
子供たちや若い人たちは、最初からこうだった、とか、最初から便利だった、と、先人の苦労や技術があること知らないで育ってしまうのが恐ろしいです。
豊郷小、ヴォーリズ建築は前から好きだったので、解体危機の時は、3.4時間かけて、署名しに行きました。当時、中はもちろん見せてもらえず、工事用の壁?で囲まれ、外観すら見られない状態でした。その後見学に行き、学校として使用はされなかったけど、一般に見学できるようになりました。アニメの聖地だそうで、コスプレイヤーやファンの方々がたくさんいらっしゃいました。このように保存してもらえて本当にありがたいですよね!
なんと解体危機の時に署名に行かれたのですね!!素晴らしい!
その頃、私は存在すら知らず・・
結構ニュースになったらしいですね。
皆さんの思いが詰まった旧校舎、調べれば調べるほど感極まり、
豊郷小学校旧校舎だけで、その3まで書いちゃいました^^;
この日もアニメ目的の方がちらほら訪問されていました。
地元の方々とアニメファンの方々の交流も、保存への一助になっているのが素敵です!