あいだが空いてしまったけど前回の続きです。
庭園を出た後、友人にちょっと外塀に付き合ってもらいました。
小石川後楽園の出入り口付近の外塀は、築地塀と呼ばれるものが続いています。
その築地塀の下部の石垣は、千代田区丸の内で出土した江戸城の石垣の石材を再利用しているそうです。
※説明板があります。
石材には備中(岡山県)成羽藩山崎家の「山」をはじめ、
石垣を築いた大名を表す「刻印」や石割の際の「矢穴」が残っていると前に知って、
石垣好きとしては一度見ておきたいと思っていました。
※「矢穴」は上↑の画像左端真ん中の石に見られます。
想像以上に残っています!すぐ見付けられました。
よくわからない刻印も多いけど「山」が一番多かったです。
刻印した方々は、まさか刻印が後世こんな形で日の目を見るとは、夢にも思わなかったでしょうね~
安土城?
山﨑山城
江戸城
大坂城=秀吉と家康の2回
京都伏見城
丸亀城・・・など
多くの築城に参加しています。
調査中ですが、
姫路城
熊本城
は、姻戚関係があるため、婚姻が築城が
目的かも知れません。
江戸城と大坂城の刻印の書体がほぼ同じ
なのも興味深いです。
約400年も前の刻印が古いにもかかわらず、
他の藩のよりはっきりと残っているのは、
刻印した成羽藩の石工さんの
技術が優秀だったのでしょう。
大坂城へ訪問の機会がありましたら、
大坂城の刻印をご覧ください。
お返事遅くなってすみません。
そうなんですね!!そんなに多くの築城に貢献されていたとは。
「山」がハッキリ掘られているのと達筆なのは、時代が時代なだけにすごいなーと思っていました。
優秀な職人さんだったのですね。
大阪城は行ったことがありますが
刻印を探す時間がなかったので、いつかまた訪れたいと思っています!