のんびりのーと「ココロコエ」dA-iki

とてもシンプルなことなんだ。
心で見るんだよ。
大切なことは目に見えないんだ。

小室哲哉 初公判 (1)

2009-01-21 | -日々の生活-
僕は小室哲哉をリスペクトしています。
なにげなく小学校の頃、FMラジオに興味を持って
いろいろ聞いてたら、小室さんがMCしていてTMNetworkのランキングを
していました。何気に聞いていて、「なんかいい曲だな」っておもって
あわててカセットテープに録音して、ずっと繰り返し聞いてました。
本格的に音楽を聴き始めたのが、ちょうどtrfのBoy meets Girlだったとおもいます。

trfやlobeとか小室バブリー、クレジットTKな時代はもちろん、最近の2008年4月発売のKCOのアルバムまで買ったりしました。ライブにもいろいろ行きました。HPでは特集記事も組んだりしてました。それぐらいファンです。今回の詐欺事件は悲しかったですが、ある部分では仕方がなかったのかなとかも思います。反省はしてほしいと思いますが、今後、小室さんの音楽がいつの日かきけることを願いつつ、公判の様子を残したいと思います。暴露本などの出回っているようですが、事実を記録したいと思い今回、ブログに書きました。


PS:NHKだけは小室プロデューサーって言ってくれますね。なんかTKびいき。なんでなんだろ笑。でもファンとしてはうれしいです。

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《小室被告は午前7時半すぎ、ワゴン車に乗って大阪地裁に到着した。昨年11月21日に保釈されて以来、公の場に姿を見せるのはちょうど2カ月ぶり。車を降りた小室被告はベージュのタートルネックセーターの上に黒のジャケットとダッフルコートを羽織り、表情は硬かった。待ち構える報道陣に「ご苦労さまです」と幾度も頭を下げ、庁舎内に入っていった。この日の公判の一般傍聴席は61席。大阪地裁には早朝から1034人の傍聴希望者が詰めかけた》

 《大阪地裁で最も大きな201号法廷。報道機関による廷内の撮影が終わった後の午前10時1分、裁判官席に向かって右側のドアが静かに開き、きょうの“主役”が法廷に姿を現した。席を埋めた傍聴人がみな、身を乗り出す。小室被告はコートを脱いだジャケット姿。緊張した面持ちで、2人の弁護人の間にそっと腰を下ろした。通常の公判では弁護人席の前に被告席が設けられるが、この事件では弁護人の間に座ることになっているようだ》

 裁判長「では、被告人は前へ」

 《すぐさま裁判長に声をかけられ、正面の証言台に進み出る小室被告。被告人の氏名などを確認する人定質問が行われた》

 裁判長「名前は」

 小室被告「小室哲哉です」

 《手を前に組み、ぼそぼそと小さな声で答える小室被告。そこに、かつて華やかなスポットライトを浴びていた面影はなかった》

 裁判長「生年月日は」

 小室被告「昭和33年11月27日です」

 裁判長「そうすると、年齢はいくつになりますか」

 小室被告「50歳です」

 裁判長「職業は」

 小室被告「音楽家です」

 裁判長「起訴状には『音楽家・会社役員』とありますが、それで間違いないですか」

 小室被告「はい」

 裁判長「では本籍地と住所は、そこに置いてある書面に書いてください」

 《証言台に立ったまま、右手に持ったペンで紙に住所を書き込む小室被告。書き終えると、書記官が杉田裁判長の手元へと持っていく。目を通した裁判長から「(番地なども)具体的に書き込んでもらえますか」などと何度も注文が入り、小室被告はそのたびに書き直した》

 裁判長「では、検察官は起訴状の朗読をお願いします」

 《小室被告は立ったまま検察官が読み上げる起訴状の内容に耳を傾けた。ときおり前髪に手をやったり、足下に視線を落としたり。5分近くにわたった朗読の間、所在なげな様子だった。朗読が終わり、いよいよ罪状認否に移る》

 裁判長「さきほど検察官が読み上げた公訴事実は理解できましたか」

 小室被告「はい」

 裁判長「なにか違っているところはありましたか」

 小室被告「おおよそ合っています」

 裁判長「『おおよそ』ということは、違う点があるということですか」

 小室被告「これから詳しく聞いて確かめたいです」

 《続いて弁護人も小室被告と同じ意見である旨を述べ、冒頭手続きが終了。小室被告は再び弁護人の間に座り、検察側の冒頭陳述が始まった》

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《罪状認否を終えた小室被告が着席すると、裁判所職員から検察側の冒頭陳述の写しが弁護人に配られた》

 検察官「検察官が証拠により立証しようとする事実は以下の通りです」

 《検察官はまず、小室被告の身上・経歴を明らかにする。そこからは、かつて一世を風靡(ふうび)した売れっ子音楽プロデューサーとしての顔が見て取れる》

 検察官「小室被告は東京都に出生し、早稲田大学を中退し、その後プロの音楽家となりました。キーボード奏者だった一方、ほかの歌手らに楽曲提供などをしていました。この間、平成7年からは連続してレコード大賞を受賞。平成8年、9年には2年連続して納税額が十数億円になっていました」

 検察官「一方で、被告人はイベント会社トライバルキックスの取締役を務めていました。また、吉田麻美との間に長女をもうけましたが、平成14年3月に協議離婚し、その後再婚して現在に至っています。被告人には道路交通法違反の前科が一犯あります」

 《続いて冒頭陳述は、小室被告が犯行に至った経緯に。検察官は事件のカラクリとなった音楽著作権の仕組みについて、日本音楽著作権協会と出版社、著作権者との関係などを読み上げていく。この間、小室被告は硬い表情で前を見据えたまま、時折、弁護人がめくる冒頭陳述の写しに目を落とす以外は、読み上げを続ける検察官を見ているようだ》

 検察官「続いて被告人が多額の負債を負うようになった経緯についてです。被告人は平成8年および9年ごろ、著作権による収入は約10億円あったが、不動産や遊興費に費消していました」

 《この後検察官は、小室被告の借金について列挙していく。小室被告が一気に転落していく様子がうかがえる》

 検察官「平成13年1月には、ソニーミュージックエンタテイメントとの専属契約を解約。5月ごろまでに、前受けしていた歌手のプロモーションなどで得られるプロデュース印税などの報酬約18億円を返還したが、不足を補うため平成13年8月、銀行から10億円を借り入れました」

 検察官「さらに被告人は、平成14年3月から15年3月までの間に、前妻との離婚に関し、3回に分けて計約3億7000万円の慰謝料を支払うことで合意。また、長女には、平成14年3月から成人になる平成33年までに毎月200万円から390万円の養育費を支払うことを約束しました」

 検察官「しかし、平成15年3月に慰謝料の支払いが滞り、16年8月には養育費の支払いも滞るようになり、前妻に対して約7億8000万円の債務を負うようになりました。そして平成17年1月、前妻から、年間約1億円あった被告人の著作権使用料分配金請求債権を差し押さえられました」

 《検察官が明らかにした小室被告の債務は、平成17年1月ごろで、銀行に対して未返済の約3億円、前妻に対し約7億8000万円、エイベックス・エンタテインメントに約7億円だった。この後検察官は、音楽プロデューサーである小室被告にとってきつい一言を添えた》

 検察官「すでにこのころは、被告人はヒット曲に恵まれていなかった。前妻に対する差し押さえによって、収入源は音楽出版社から支払われる年間約1億円の著作印税のみとなっていた」

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 《続いて、小室被告が木村隆被告(57)ら共犯者と知り合った経緯を述べる検察官。小室被告は彼らと相談の上で自身が作った曲の著作権を二重譲渡し、いよいよのっぴきならない状況へと追い込まれていく》


 検察官「被告人の資金繰りが破綻状態になった経緯です。被告人は銀行などへの債務など合計17億8000万円の債務を負う一方、平成17年7月には収入が年間約5000万円まで減り、もはや金融機関からの借り入れはできなくなっていました。平成18年には銀行に対する返済も、遅れながら時々する状態になっていました」

 《そして、小室被告は今回の詐欺事件の被害者に融資を依頼していく》

 検察官「このように被告人の資金繰りが破綻状態になる中、木村被告らは平成18年6月、通信販売業を営んでいる被害者に、被告人への融資を持ちかけました。融資そのものは断られたものの、『音楽作品の全著作権を10億円で譲り受けることには興味がある』と言われました」

 《いよいよ冒頭陳述は、今回の事件の犯行状況に移った》

 検察官「被告人は平成18年7月、東京都内の被告人マンションにあるスタジオで、木村被告らと被害者に著作権の譲渡代金名目で10億円を拠出させる方法について話し合いました。木村被告は、被害者が慎重な性格であることから、『あの人はすごく慎重な人ですよ。著作権をすでに譲渡していることを正直に話せば、お金を出さない』と提案し、被告人も『とりあえず目先のことが大事でしょ。その辺は言わなくていいよ』などと応じました」

 《小室被告が口にした文言が明らかにされ、身を乗り出す報道関係者も。一方、小室被告は前を向いたまま身動き一つしなかった》

 検察官「そこで木村被告らは被告人の提案を了解し、共謀が成立した。被告人は平成18年7月30日ごろ、東京都港区のホテルで木村被告らとともに被害者らと会い、『ジャスラックに登録してある806曲の著作権を10億円で買っていただきたい。著作権はすべて僕にある。売買代金を支払ってもらえれば差し押さえを解除してもらいます』と言った。この際、瑕疵(かし)がない状態で譲渡するよう言われ、『僕はこれでも世間で名の知れた男です。逃げも隠れもしません』などと言い、被害者を信用させ、10億円を出す旨了解させた」

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《被害者にうそをついて信用させ、作品806曲の著作権の譲渡代金として10億円を出させることを了解させた小室被告。冒頭陳述は、小室被告がさらに言葉巧みに被害者を信用させていく様子を詳述していく》

 検察官「被告人は平成18年8月10日ごろまでには銀行への返済資金が1億円程度必要だったため、8月7日、東京都内のホテルで被害者と会いました。その際、被告人は被害者のために作曲したCDをプレゼントして、『僕は僕の曲を大切にしてくださる方に、僕が持っている著作権全部をお売りしたいんです』などと信用させた上で、『ジャスラックに登録済みの806曲については全部僕に著作権があります』などとうそを言って、これを信用した被害者から8月中に5億円を支払い、うち1億5000万円を先に振り込むことを了解させました」

 《こうして被害者は、10億円を支払えば806曲すべての著作権の譲渡を受けられると信じて、8月9日には1億5000万円を、29日には3億5000万円を振り込んだ。これをさっそく銀行への返済などに充てるなどして、全額を使い切った小室被告。しかし、当然のごとく、このままでは済まなかった》

 検察官「その後、被告人の作品の著作権の実態や、5億円が被告人の資金繰りに使われたことを知った被害者から、被告人は再三、5億円の返還を求められました。しかし被告人はこれに応じなかったため、被害者は民事訴訟を提起し、結局、平成20年7月には、被告人が同年9月までに慰謝料1億円を加えた計6億円を支払うことで和解したが、被告人は9月30日から10月8日までに3回にわたって計900万円を支払ったのみでした」

 《検察官による冒頭陳述の読み上げが終了。この間、小室被告は身じろぎもせずに聞いていた。その後、検察側が証拠を請求。弁護側が同意したため、すべて採用されて取り調べられることになった》

 裁判長「では、ここで今後の審理の予定を確認しておきましょう」

 《事前に裁判所と検察、弁護側が協議していた審理予定がここで明らかに。この日の初公判ではこの後、夕方までかけて検察側が採用された書証の要旨を朗読。3月12日に開かれる第2回公判では情状証人の証人尋問を行い、3回公判では被告人質問、4回公判で論告弁論を行って結審する予定だという》

 《検察官が要旨の告知を始める。配られた手元の書面に目を向けたまま、じっと聞き入る小室被告。まずは被害者の供述調書が読み上げられた》

 検察官「私は16年10月ごろ、兵庫県芦屋市内の自宅で、情報通信社の経営者で、知人の木村被告から『小室哲哉をご存じですか』と電話を受けました。私は小室被告がglobeといったユニットや安室奈美恵など多数の歌手を通じ、ミリオンセラーを連発したことは知っていました。またCDなどは持っていませんでしたが、小室被告の独創的な音楽性には惹かれていました」

 《供述調書は、木村被告が被害者を信用させていく様子に移る》

 検察官「しかし、当時は全盛期のような活動はしていなかったので、小室被告の存在が頭から消えていたのが正直な気持ちでした。私は『知っていますよ。でも最近テレビで見かけなくなりましたね』と答えました。木村被告は『私は音楽面や資金面で彼をサポートしています』と言うので、私は大変驚き『すごいですね』と答えました。木村被告は『小室は著作権を担保に入れて譲りたいと思っている。ネームバリューもあるので、融資や売買は億単位になるが興味ありませんか』と持ちかけてきました」  

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 《木村被告から“著作権ビジネス”を持ちかけれた被害者。法廷ではさらに被害者の供述調書の朗読が続く》

 検察官「私は平成17年1月ごろ、小室被告がリーダー音楽ユニット、globeの3枚組CDを木村被告からもらいました。結成10周年のベスト盤の限定生産で、小室被告のサインが入っていました。こうしたことから私は、木村被告と小室被告がかなり親しいことを知りました。でも、木村被告から電話で連絡があった際に、『小室さんに出資しませんか』と持ちかけられましたが、『興味ないです』と断りました」

 《調書が読み上げられる間、小室被告は微動だにせず、まっすぐ前を向いて聞き入っていた》

 検察官「私は、木村被告からの電話以降、テレビや週刊誌などで取り上げられる小室被告について意識するようになりました。小室被告は平成10年ごろから香港に活動の拠点を移転し、高額納税者番付の常連となったようです。しかし平成13年以降は香港での事業もうまく運ばず、2億5000万円あった年収が8000万円ほどまで減少。さらに平成14年3月には前妻と離婚。約3億円以上の慰謝料の支払いも滞っていることを知りました。こうした背景に、木村被告からの著作権売買の話が持ち上がったのだと思うようになりました。こうした多額の借金を支払うために、最後の財産といえる自分の楽曲の著作権を私に売りたいと思っているのだろうと思いました」

 《こうしたやりとりの間も、小室被告はしきりとまばたきを繰り返したものの表情を変えることはほとんどなかった。さらに被害者の調書が読み上げられる》

 検察官「平成18年6月ごろ、木村被告から再度、私に電話がありました。木村被告は『小室さんの資金繰りが悪化している。クレジットカードの支払いもできない状態です。音楽活動を続けるための資金をつくりたいと小室さんが言っているので、著作権を買ってくれませんか』という内容でした。そこで私は『週刊誌などで小室さんの事情はある程度知っている。小室さんと直接、お会いして意思を確認したい』と伝えました」

 検察官「すると、木村被告から『(小室被告も役員を務めるイベント企画会社の)トライバルキックスの社長と話をしに行くので、会ってくれないか』との連絡が入り、木村被告と社長が私の自宅に来て、小室被告への融資を依頼しました。社長からは『小室さんは金に困っている。800曲の著作を担保にして5億円を融資してほしい』と持ちかけられました。そして、音楽著作権に関することについて説明を聞きました。さらに社長は『大手広告代理店などからも小室さんの著作権を買いたいというオファーがあります。17億~18億円くらいの査定です。つなぎ資金として融資してくれませんか。自分の保険を担保にしてもいいです』と続けました。そこで私は『まったくの素人なので、なんとも答えようがない。小室さんに実際に会って意思を確認しなければ、どんな案件も了承できない』と答えました」

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