○年譜 其の参
天保9月18日 幕府、農民に倹約を命じ、余業従事を禁止する。
9月25日 車坂峠で堀口村の定吉(28)、室村の孫蔵、保泉村の
宇之吉、他一名捕まる。
11月初旬 日光の円蔵(41)、召し捕られ伊勢崎柴宿の本陣で取り調べを受ける。
子分、多数召し捕られる。浅次郎(27)、お辰(27)、茂八、鹿安、角、牧、
吉、豊、桐長。
同 14年(1843)
2月9日 関東に大地震起こる。
3月26日 幕府、諸国の人別を改め、在府農民に帰村を命じる。
4月 13代将軍家慶の日光社参に際し、三国街道杢ケ橋関所では
要害地域内の警戒が
厳重となり、沼田街道八崎村では旅人の通行改めが行われる。
9月 忠次郎(34)、赤城山に帰るが、危険を感じ、五町田嘉四郎(30)のもとにより、
野沢温泉村に向かう。
9月13日 水野忠邦、老中を罷免される。
この年に関東取締出役、農村の諸営業調査を行う。大前田栄五郎(51)、
五町田嘉四郎(30)と大久保栄作(23)との紛争を仲裁する。
日光の円蔵、牢死す。新川の秀吉(29)捕まり、牢死す。
上総屋源七、木崎宿の旅籠屋を閉め、梁田宿に移る。
弘化 元年(1844)
5月10日 江戸城本丸焼失する。
6月21日 水野忠邦、再度老中筆頭となる。
この年お貞、忠次郎(35)の長男を産む。
同2年(1845) 1月 幕府、浦賀に砲台を築く。
2月14日 伊勢崎藩主酒井忠恒、財政困窮だが、江戸城本丸普請に1千両もの
上納を願い出る。
2月22日 水野忠邦、病気を理由に老中を辞職。
5月14日 忠次郎(36)の母いよ(53)、死す。
5月 五目牛の千代松、捕まる。
9月 忠次郎、再度赤城山に帰る。
同3年(1846)
2月19日 五目牛の千代松(37)、牢死する。
3年 赤城山に隠れる。
6月 諸国、長雨となる。
6月半ば 忠次郎(37)、五目牛村のお徳(1816-)を妾にする。
お徳は元玉村女郎で子分五目牛の千代松の妻。
千代松の牢死後、妾にする。
秋 木崎宿の川橋屋左三郎、新築祝いを盛大に行う。
木崎宿(新田町)の岡っ引川橋屋左三郎(吉十郎)は左五郎の
息子を養子に迎えて勢力を広げる。
忠次郎、子分を浦賀に派遣して世情を探る。
大前田栄五郎、赤城山の忠次郎を訪ねる。
白銀屋銀次郎、栄五郎を御用弁にする。
京屋元蔵、銀次郎を斬り、栄五郎釈放となる。
弘化4年(1847)
3月24日 善光寺大地震。善光寺から稲荷山まで死人が山のように出る。
9月 関東取締出役、豊年手踊りなどを禁止する。
この年疱瘡、流行する。
嘉永 元年(1848)
2月 お徳、家宅捜査の木島の大谷助右衛門を叱り付ける。
6月 助右衛門(58)、自害する。
6月 諸国、旱魃となる。
同 2年(1849)
11月 忠次郎(40)、境川の安五郎に跡目を譲る。
この年 関東取締出役が増員され、3地域分担制が拡大される。
同 3年(1850)
7月21日 忠次郎(41)、お町の兄、庄八の家で倒れる(脳溢血)。
その後、栄五郎、忠次郎に自決を勧める手紙を与える。
8月24日 忠次郎、田部井村名主西野目宇右衛門方の土蔵の中にて召し捕られる。
お縄となった忠次郎は近くの伊勢崎藩の中島牢に一時留置される。
この日、関東取締出役の中山誠一郎、廻村中、木崎宿に立ち寄る。角万佐重郎、
誠一郎のもとへ挨拶に行く。
つづく