習志野湾岸9条の会

STOP戦争への道 9条を変えるな

漫画「はだしのゲン」の焚書(ついにここまで来た言論抑制)とその背景

2013年08月17日 | 日記
各メディアが報道している通り、松江市教育委員会が原爆の悲惨さを描いた漫画「はだしのゲン」
(原爆被害を伝える作品として教育現場で広く活用され、約20カ国語に翻訳されている)を「描写が過激だ」
などとして子どもが自由に閲覧できない「閉架」の措置を取るよう市内の全市立小中学校に求め、各教育機関も
何の議論もなく応じていることが明らかになりました。
松江市では昨年8月、市民の一部から『間違った歴史認識を植え付ける』として学校図書室から撤去を求める
陳情が市議会に出されていました。今回の松江市教委の措置は「市民」の陳情に応えた形になっていますが、
この「市民」なる者は高知市の在特会(在日特権を許さない市民の会)の中島康治であることが判明しています。
中島康治は自らのブログで「嘘出鱈目はだしのゲンが、松江市の全小中学校で、自由に閲覧できない『閉架』扱いになったようです。
/いや~陳情やらなんやらで地味に動き回ってよかったです」とこの「陳情」者が中島自身であったことを自慢げに吐露しています。
http://ameblo.jp/tinmiena/entry-11593746203.html
※在特会・・白昼堂々と道端でヘイトスピーチを行い、「中国人を殺せ!」「ゴキブリ朝鮮人は日本から出ていけ!」等と叫ぶ。
また中国新聞記事(8月17日付)には「残虐な場面を未発達な子どもに見せるのはよくない。天皇批判がある作品でもあり、閉架に
よって閲覧の優先度を下げたのは適切な対処だ」という今回の松江市教委の措置を評価する声も「市民」の声として掲載されていますが、
この市民」なる者も「『平和と安全を求める被爆者たちの会』なる団体で田母神俊雄を広島に呼んだ右翼団体」の代表であることが判明しています。
8月15日の閣僚の靖国参拝に対して抗議するデモ隊に罵声ばかりでなく殴るけるの暴行を加え、警察官に体当たりしても1人も逮捕されないなど
国家公認のもとに公認のもとに表現の抑圧が行われています。このことにメディアは(革新といわれるものも含め)なにも報道しません。
下記動画、8月15日デモと在特会を含む右翼の暴力。
http://www.youtube.com/watch?v=9ae27_gwti0

昨年12月に亡くなった「はだしのゲン」作者中沢啓治氏は「戦争や原爆を食い止めるためには、子供にも残酷さを伝えるしかない。
ゲンは子供向けに描写を和らげたが実際の残酷さはあんなもんじゃない」と語っていました。
今回の「はだしのゲン」小中校貸出禁止の問題の本質は一部の極端な暴力的言動をする人たちや政治圧力に、言論の自由や教育の機会
がどんどん奪われていく日本社会の現状そのものにあるとともに現在の政権そのものの意向を反映しているのではないでしょうか。

※中沢啓治氏の死去に伴い昨年12月に当ブログで取り上げた内容を再度掲載します。
はだしのゲン」中沢啓治さんが19日に亡くなりました。自伝的漫画の主人公ゲンが原爆投下後の広島でたくましく
成長する姿は反響を呼び平和教材として活用されたほか、18ヶ国に翻訳され海外でも出版されました
中沢さんは作品で訴えた原爆の悲惨さを教訓として伝える活動を続けてきました。その思いは、戦争責任を問い
、原爆の廃絶と原発反対を明確にしたものでした。中沢さんは8月6日の広島平和式典に自分の意思で参加したことは
ありませんでした。
だって全然問わないからね、戦争責任を。平和宣言やって、警鐘ならして。こんなもんじゃないだろう。
 もっと怒りを持たなければならない

中沢さんはきれいごとを嫌い自由に物事が言えなくなると、一切の団体にも関与属しませんでした。
米軍による広島、長崎への原爆投下を「実験場にされた」とみていました。原爆以前から反戦運動をしていた
日本画家の父晴海さんが投獄され一家で「非国民」といじめられた経験、日本人自身が昭和天皇やA級戦犯
の戦争責任をうやむやにした怒りを漫画に込めたものでした。
怒りの矛先は原爆にとどまらず原子力の利用そのものにも鋭い批判を向け、福島第一原発事故について、東京新聞の
取材に、原子力はまだ人間には制御出来ないことを訴えました。
放射性物質流失を恐れる被災者を、放射能を含む「黒い雨」にぬれて「いつ病気になるのか」不安を抱えた自身と
重ねながら「黒い雨は今も世界に降り続けているんです」と核利用がなくならない状況を嘆いていたと東京新聞は
報じています。
昨年の8.6広島で様々な集会がある中、ある集会で最後の力をふりしぼり怒りと共に訴えられていた姿が最後でした。
ヒロシマ・ナガサキ・フクシマを繰り返すな。
中沢さんの意思を引き継ぐのは私たち一人一人ではないでしょうか。
低投票率で大衆からも見放されつつある誘導と民意の反映されない管理選挙やその結果としての政権の変転がどうあれ核廃絶、
全原発廃炉、核も戦争も基地も搾取も失業も貧困もない社会こそ必要ではないでしょうか。         K
以下東京新聞記事