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世界が注目する日本人が知らない「ニッポンの美徳」-心の格差小国

2012-06-07 21:16:08 | 意見発表
永田公彦 パリ発・ニッポンに一言!
【第2回】 2011年11月11日
永田公彦 ダイヤモンド・オンライン 
世界が注目する「花咲かじいさん」
――心の格差小国ニッポンの美徳

 世界各地で反格差の動きが高まる中、今回は心の格差が小さい日本社会に注目します。前回のコラム「日本人こそ見直したい、世界が恋する日本の美徳」で、世界の人々が「いいね!」とボタンを押す日本人特有の文化価値観が多くあると指摘しました。枯れ木に花を咲かせ、富と喜びを仲間で分かち、心豊かに暮らす「花咲かじいさん」が生まれた日本、そこで育まれた心の格差の小ささは、ますます混沌が深まり人間関係が殺伐とする社会の中で生きる世界の人々の心の乾きを癒し、社会に温もりを与える日本の美徳の一つなのです。

「和を尊ぶ日本人の格差や
金に対する価値観を知りたい」

 リーマンショックから1年経った2009年秋、「日本人とお金~個人主義と集団主義社会からの視点」と題するシンポジウムの中で講演を頼まれました。これは、毎年フランス北部リール市で毎年開催される「世界経済フォーラム・リール」で企画された約20のシンポジウムのうちの一つです。このフォーラムは、世界的な経済・社会・政治問題について毎年メインテーマを定め、複数のシンポジウムを企画、そこで世界各地から集まる専門家による講演や関係者間の議論を行うものです。

 2009年度のメインテーマは、「金と責任~マネーが世界を動かすのか?金融危機は世界を悲惨な結末に導くのか?」というものでした。金融市場の暴走によりアメリカはもとより、世界を巻き込んだ格差拡大と世界同時不況。金に対する強欲のコントロールが効かなくなる人達を放任(レッセフェール=仏:laissez-faire)した秩序なき市場原理主義を問いただすと同時に、世界の見通しについて議論するという主旨です。

 ここでなぜ、日本にフォーカスしたシンポジウムが企画されたのか?主催者から返ってきた答えは、「世界で反格差の声が高まっている。日本は、グローバル資本主義経済の枠組みに深く組み込まれているにもかかわらず、格差が相対的に小さいと聞く。個人主義を是とする欧米人とは違い、集団の和を尊ぶとされる日本人の、格差や金を対する価値観に関心が集まっている。このあたりを話してほしい」というのです。

過去100年で二度も
格差の急拡大を引き起こしたアメリカ

 アメリカでは、1910~2010年の100年で、国民の間で富の格差が大きく拡がった時期が2度ありました。具体的には、年間所得ベースで上位1%の富裕層が、国民年間所得全体の20%以上を占める状態です。1回目は1929年、ウォール街に端を発した世界大恐慌直前の10年間で、第一次世界大戦終結後の1920年に約15%だったものが1929年には約25%まで拡大しました。その後この比率は下がり続け、1950年から80年代初頭には10%程度を推移しましたが、81年のレーガン政権成立以降再び上昇に転じます。

 そして2008年秋に起きたリーマンショック前の15年間が2回目の格差拡大の時期でした。90年代半ば、ビル・クリントン政権時代に約15%だった比率が、ジョージ・W・ブッシュ政権になり20%代に突入し、2008年には遂に80年前とほぼ同水準の約25%近くまで達したのです。なお資産ベースでは、上位1%の富裕層の資産が国民資産全体に占める比率が、1929年は44.2%、2007年が34.6%と、いかにごく一部の人たちへ冨の集中が進んだかが、更に顕著になります

 このようにアメリカは、「金融市場の暴走→格差拡大→金融危機→経済危機→社会危機」という世界を巻き込んだ連鎖危機の歴史を100年の間に二度繰り返しました。そして、1929年の世界大恐慌は、結果的に欧州やアジアも含めた国の暴走(戦争)に至りましたが、今回の第二次大恐慌では、こうした悲惨な歴史が繰り返されないことを願います。

「オバマが怒った!」
リーマンショック後も拡がる格差

 アメリカ国内での富の格差は、リーマンショック以降も拡がり続けました。バブルの頂点であった2007年とリーマンショック後の2009年末時点の資産関連データ(*1)では、国民資産全体に占める上位1%の富裕層の資産比率が34.6%から35.6%へ拡大する一方で、底辺90%の国民の資産比率は27%から25%へ縮小しました。理由として、この期間、貧困層資産の大半を占める不動産の価値下落率(平均26%)よりも、富裕層資産の多くを占める株式や他証券の価値下落率(それぞれ24%、14%)が低かった。そのため、貧困層の方が、富裕層よりも金融危機で受けたダメージが大きかったことをあげています。

(*1)出所:E.ウォルフ

 これに加え、格差が縮まらない理由として、経済危機で従業員の雇用調整を避けられない状況にもかかわらず、自分たちは高額報酬を受け取り続ける、又は膨大な手切れ金を取って去ってゆくという経営者の続出も考えられます。

 2010年度はCEO報酬が対前年比12%上昇しました(*2)。2009年には、「ウォール街の銀行家たちは200億ドル(約1兆8000億円)相当のボーナスを自ら支給、金融危機前の04年と同水準の報酬を得るのはけしからん!とオバマが怒る」「経営難に陥る米三大自動車メーカーゼネラル・モーターズ(GM)、フォード、クライスラーのCEOが、高級プライベートジェットでワシントンに飛び、国民の血税(公的資金)による救済を議会に訴えた。その後GMとクライスラーは、数回の公的資金によるつなぎ融資を受けたにもかかわらず破産、事実上更迭されたGMの前会長ワゴナー氏にいたっては、2020万ドル(約20億円)の退職手当を要求、アメリカ政府の圧力もあり減額したものの、退職手当として5年間で約820万ドル(約7億5000万円)、これとは別に32年間の勤務実績に対する毎年約7万4000ドル(約680万円)の生涯手当権利を獲得した」という2つの報道が世界を駆け巡りました。

部下の500倍の報酬をもらうアメリカの社長」と
「自ら部下より低い報酬に甘んじるニッポンの社長」

 日本の全労働人口の8割以上を占める給与所得者(いわゆるサラリーマン)の報酬格差は、他の先進国やBRICs等新興国の給与所得者に比べ、相対的に低い水準にあります。アメリカでは、1990年から2005年の15年間で、従業員報酬の上昇率は4.3%とわずかであったのに対し、CEO報酬は3倍に跳ね上がりました。

 そして2009年度のCEO年間平均報酬は、SP500企業で約1100万ドル(約9億円)、ダウ工業株30種企業で約2000万ドル(約16億円)。従業員の平均年間報酬が3万6000ドル(290万円)なので、トップと従業員の年間報酬格差は、SP500企業で300倍、ダウ工業株30種企業で550倍です(*3)。一方、欧州ではこれが25倍、日本では10倍程度といわれます(但し、日産自動車を筆頭に、役員報酬額の上位50企業の平均格差は43倍)。

(*2)大手200企業CEOアンケート、出所:NYタイムス4月9日
(*3)出所:アメリカ労働総同盟・産業別労働組合会議2010年度資料、1ドル80円計算)

このような日本企業の社長たちによる謙虚な姿勢は、特に経営状態が悪い時に更に顕著になります。倒産の危機にあっても自分の報酬は維持やアップを要求する欧米の社長とは対照的に、日本の多くの社長は、トップ自ら先陣を切って減俸、場合によっては部下よりも低い額までカットです。例えば、パイロットの半分の年収で知られたJAL元社長の西松氏、半年無給で自社の再建にあたった伊藤忠商事元社長の丹羽氏などのエピソードは記憶に新しいところですが、こうした行動の原点には、伝統的に、組織の一体感・調和・秩序・人間関係を優先し家族的な運命共同体意識を大切にする日本的経営、さらには日本人社会そのものの価値観があるのでしょう。

日本は小格差社会だ!

 こう言うと、皆様から異論や反論があると思います。確かに、統計的には、所得格差が比較的大きい高齢者や単身世帯の比率の高まりもあり、ジニ係数(*4)は、80年代から上昇傾向にあります。また、90年代後半以降、非正規雇用の拡大に伴い、フリーター、ニート、ワーキングプア等の新語が続々登場、一方で、ヒルズ族に代表されるIT系起業家を含むセレブなど、新興富裕層の豪奢な生活ぶりが注目されるなど、昔に比べれば総じて冨の格差は拡大傾向にあると言えるでしょう。

 しかし、日本は、まだまだ他国と比べれば、高度に標準化された、格差の小さい国なのです。まずジニ係数では、日本は136ヵ国中76位と中位です(欧州各国やインド・韓国などよりは高いが、米国、中国、ロシア、ブラジルや多くの東南アジア・南米・アフリカ諸国よりは低い:米国CIAワールド・ファクト・ブック2010年度版)。また、富の格差(所得、資産等)に加え、別の領域での格差も考える必要があるでしょう。

 例えば、健康の格差(疾病の発生頻度、医療へのアクセス、医療の質)、教育の格差(教育の内容と質、教育機関へのアクセス)、インフラの格差(福祉施設、交通機関、エネルギー供給サービスなどの質とアクセス)、レジャーの格差(余暇時間の過ごし方の質やアクセス)等です。これらの分野は、専門家による研究も進んでいないため統計データも少なく、客観的な判断は難しいですが、北欧諸国を除く多くの世界の国・地域に比べ、日本での社会格差は概して小さいというのが、断片的な各種情報の組み合わせや、一部の国ではありますが実際に訪れて肌で感じる実感です。

(*4)所得格差を測るために世界で一般的に使われる指標で、高いほど格差が大きい

ヒエラルキーは一見強いが、
心の格差は小さい日本社会

 日本は、一見強い階層(ヒエラルキー)社会です。例えば、企業では、相談役・会長・社長・専務・常務・執行役員・部長・次長・課長・課長代理…、町内会でも、名誉会長・会長・副会長…と幾重もの肩書があります。また、上下関係の中で、お辞儀の仕方から言葉遣いに始まり、様々なルールがあります。

 一方でこうした肩書きとは裏腹に、個人と個人の間にある「心の格差」は小さいのです。ここでいう心の格差とは、社会階層や文化価値観の違いからくる、心理的な距離、隔たり、違和感、優劣感です。

 これが大きい社会では、異なる階層にいる人達が、交わることなく、それぞれ別世界で暮らすような状態です。逆にこれが低ければ、国民の多くが、同じような価値観を共有し共同体的に暮らす状態です。心理的な平等感があるとも言えます。

「社長も以前は、僕ら平社員と同じように額に汗して客に頭を下げ、工場で油にまみれ、上司に怒鳴られ、高架下の焼鳥屋で愚痴をこぼしていた」「議員も社長も、僕らと同じように500円弁当、450円の社食ランチ、400円の駅蕎麦を食べる」「あの大スターも、僕ら普通のサラリーマンも、ユニクロのヒートテックを着て、エルメスのネクタイを1本は持つ」「社長も新入社員も、なでしこジャパンの優勝に歓喜する」……これらは、心の格差が低いフラット社会ならではの現象なのです。


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