和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

庭をつくる人。

2020-09-10 | 本棚並べ
家に庭はなく、勝手口から、コンクリートの通路を通って裏に出るスペースが
あるばかり。一般的に、どうみても、庭というのを知らずに育ったわけです。

妻の実家のご両親が亡くなり、そちらの家が
普段は閉めっぱなしとなりました。
ときどき、窓を明けに行きます。そちらには、庭があり、
道路に面しては木々がある。昨日も草刈りに出かけました。
しらずしらず、はじめて庭を意識したきっかけとなります。
何のことはない65歳を過ぎて庭と出会ったようなものです。

では、庭とどう向き合えばよいのか?
はい。雑草刈りしながら思います(笑)。

だいぶ前に買った古本に
「くらしの伝統」(主婦の友社・昭和47年)があった。
「非売品」とある。編者は井上靖・臼井吉見。
くらしに関するあれこれの文を寄せ集めた一冊でした。
目次を開けばそこに、室生犀星の「庭をつくる人」というのが
はいっております。室生さんの文のはじまりはこうでした。

「純日本的な美しさの最も高いものは庭である。
庭にはその知恵をうずめ、教養をかくして上に土を置いて
だれにもわからぬようにしている。遠州や夢窓国師なぞは
庭の学者であった。そうでない名もない庭作りの市井人が
刻苦して作ったような庭に、かくされた教養がある。

庭を作るような人は、陶器とか織り物とか絵画とか
彫刻とかはもちろん、料理や木地やお茶や香道の
あらゆるつながりが、実にその抜けみちに待ちかまえて
いることに、注意せずにいられない。結局、
精神的にもそうだが、あらゆる人間の感覚するところの
高さ、品のよさ、においの深さにまで達しる心の用意が
いることになる。・・・・・・」

なんか、こうしてはじまるのですが、そこから、
いろいろな方面に文章は進んでゆくので、引用は
ここでカット。

そういえば、心理療法には「箱庭療法」というのがあるそうです。
雑草を刈りこんだり、抜いたりして疲れるのですが、
それなりに、心は静まった状態に保てるのかもしれません。

昨日は、雑草取りをおえて、まあ、このくらいでいいかと
思いながら帰ってきたのですが、夕飯の一杯を楽しく飲んで、
ゴロリと横になりながら、その日午前中の出会いや、午後の
庭掃除のことやなにかを思いながら、そのまま眠りました。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする