世界文化社のグラフィック版「日本の古典」に
「枕草子 蜻蛉日記」(1976年)がありました。
枕草子の現代語訳は田辺聖子さん。
最後の方には、村井康彦氏と田辺聖子さんの対談
『後宮サロンと女房文学』があって、楽しめます。
そこから引用することに、
田辺】・・・定子(ていし)皇后のことは枕草子の
至るところでほめてありますが、女が女をほめるときは、
人生の好みとか嗜好とか趣味とかが一致していることのほかに、
美しくないとほめないんですね。女の人というのは。
村井】やっぱり女性と対談しているとわからぬことが多いね(笑)。
田辺】 ほめるだけでなくて、何か憧れの君みたいな感じで
書いているわけでしょう。だから、若いお嬢さんが
宝塚のスターに憧れるみたいに・・・・。
村井】なるほどね、私もいまその宝塚を連想していたんですけれど(笑)。
・・・・・・・
村井】やっぱりああいう女主人とそれに仕える女房たち
とでつくられる世界、これを後宮サロンというふうに言うなら、
道長時代にもより多くのそういうものがつくられたはずですけれども、
しかし、典型的な後宮サロンというんはやっぱり定子、清少納言を
中心としてとり結ばれた中関白家の、あの正暦年間のサロンだろうと
思いますね。彰子(しょうし)ではだめなんで、あの定子の存在と
いうのはやっぱりたいへんなものだと思いますよ。これは
大げさに言や、日本文学史の中でもね。
田辺】やっぱり定子がいてつくり上げた女房文学ということに
なるかもしれませんね。
・・・・・・
村井】そうですね、花だし、典型だと思います。
枕草子も理解は、いろいろあるでしょうけれども、
日付をもって書かれているようなのは女房日記ともいうべきもの
でしょうけれど、類聚(るいじゅう)的文章というんですか、
『ものはづけ』というんですか、ああいうふうなものにしても
どうなんでしょう、みんなが集まって話をする中で、
『すさまじきものは』というふうな一種のテーマを出す。
そうすると『いや、これは・・』『あれはこう・・』だとか
というふうな話で出された話題ではないか。つまり、
まさにサロン的な話題であり、それを文章にしたものがあの
『ものはづけ』じゃないかなというふうに思うんですけれどね。
ですから、随筆であるとかいうふうな言い方もされますけれども、
もとはといえば、そういう雰囲気の中で、場で、お互いに
しゃべられた話題じゃなかったんでしょうかね。
田辺】なるほど、そうするとやっぱりたくさんの英知を結集した
という部分もあるかもしれませんね。彼女だけじゃなくて。
いいお話伺って、よかったわ。だって、あんまり連想が激し過ぎてね。
これは一人の人が考えたんだったら天才だと思ったんですよ、
それは先生の話でよくわかりました。たぶんそうですよ(笑)。
もの書きの嫉妬です、やっぱりあんなに書けたらたいへんですよ。
『ありがたいきもの』に、『ものをよく抜くる毛抜』というのが
ありますでしょう。それからすぐパッと飛んで、
『舅によく思わるる婿の君』というのがありますね、たしか。
その飛躍というのがちょっと考えられない。
『むつかしげなるもの』のところに『ぬひ物の裏』『猫の耳』
というのは、これもまあ女から見てわかりそうですけれど、
『猫の耳』に飛躍するのは大変なことなんですよ。
私、いつもそういうふうな『ものはづけ』を読んだときに
劣等感を感じるの(笑)、これはうれしいなあ。
はい。こんな風にして対談はすすむのでした。
うん。読めてよかった。
って、枕草子は読んでいない癖してね。
でもね。枕草子とかけて、宝塚というのは、
これも、対話の妙でしょうか。