古本で300円だった、大岡信著
「古典のこころ」(ゆまにて選書・1983年)を買う。
清涼飲料水を買うような感覚(笑)。
「はしがき」より引用。
「・・だから、本を読むということは、
人間のよくよく不思議な事業なのである。
あわただしく便所の中で読んだ本の1ページが、
じっくり坐った机の前で読んだ本一冊よりも
ずっと有益だったというようなことは、いくらでもある。
何が『古典』で何が『駄本』か、などという区別も、
本来ありはしないのである。
はっきりしていることの一つは、私にとって『古典』は、
私がかつて読んだものの中にしかないということ。
・・・・・
根本は常に『こちらの都合』にあるのだ。
そういう具合の付き合い方をした本でないと、
古典であろうがなかろうが、本というもの、ほんとうのところ、
身にしみて大切なものではなくなってしまうだろう。
・・・・・
自分の都合が大切だ、といった。そのことは、言いかえれば、
自分にとって今何が必要なのかを明確に知っていなければ
ならないということである。これは大変なことで・・・・・
人からああせい、こうせいと言われるがままに動くのよりは、
遥かに難かしい。
・・・・・
私は余裕をもって読書を楽しむよりは、たとえ大急ぎの
斜め読みでも、自分にとって必要なことだけはがっちり
我がものにしてしまうぞ、という心がまえで本と付合ってきた
人間なので、今さらきれいごとを言うわけにもいかにのである。
そんなやり方でも、ずいぶん多くの楽しみや余暇や喜びを、
本の世界は私に与えてくれた。こちらに『余暇』がない時の、
せっぱつまった読書でも、本の方から真の『余暇』を与え
返してくれることが沢山あった。それこそ、実をいえば、
本を読むということが私たちに与えてくれる最大の驚異なのである。
・・・・」
はい。「はしがき」読みで、本文は読まないかもしれない。
とりあえず、そのまま本棚へ。
はい。今日のブログの値段は300円。
これが高いのか、安いのか。チラリ読みでも、
『最大の驚異』が、あとからやってきますように。
明日がよい日でありますように。