和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

余生の一期一会。

2020-09-08 | 京都
山崎正和氏が亡くなり、その新聞の評伝で、氏の代表的な本として
山崎正和著「柔らかい個人主義の誕生」(中央公論社・昭和59年)が
あがっておりました。

はい。読んだことがないと、古本で注文。
江戸川草古堂から届く。1円+送料350円=351円。
目次をめくっていると、本文の最後に
「『一期一会』の消費」とある。
はい。そこをまずひらく。
本文の最後を途中から引用。

「・・・・またしても可能性としてではあるが、
この『無常』の状況が逆にひとびとを動かし、
ひとつひとつのものに深く執着して、
それをたんねんに味はふことへと導くことも考えられる。

さういえば、かつての日本において、
他人とともにものを味わうことに精神的な意味を見いだし、
『一期一会』といふ金言を生んだ時代は乱世であり、
言葉の本来の意味において『無常』の時代であった。
俗に『末期の眼』はものを美しく見せるといふが、
それは必ずしも現実の死にのぞむまでもなく、
ものとの触れあひが慌しく過ぎて行くときにもなりたつものであろう。

いはんや、現代は高齢化の時代であり、
現実に老後の時間が延びるとともに、
ひとびとが『余生』の時間を深く味はひ、
それをいつくしむ時間も延びることになった。

運命の偶然と環境の流動を痛切に感じる時間のなかで、
ひとびとは孤独な自己の姿を見つめなほす機会を増やし、
それと同時に、他人とともに満足を味はふ、
幸福な自己の姿を確認する機会をも求めるはずなのである。」

うん。本が届いたのだけれど、
私は、この最後しか読まないかもしれないなあ。
う~ん。
「『一期一会』といふ金言を生んだ時代は乱世であり、
言葉の本来の意味において『無常』の時代であった。」

はい。その時代の京都を、また読んでいきたいので、
山崎正和著「室町記」を、あらためてひらくことに。
コメント
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