和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

土の祈り。中庭の祈り。

2020-09-20 | 本棚並べ
インドといえば、秋野不矩の絵が思い浮かびます。
本棚から取り出してきたのは、1985年の図録
「秋野不矩自選展」(監修:京都国立近代美術館内山武夫)。

この図録は、見開きの右ページに絵が、左ページは白紙で
白紙の下に絵の題名と作品解説。秋野不矩ご自身が解説を
書いておりました。
そこから2つの解説を引用してみることに
まずは、絵『土の祈り』(1983年・昭和58年)の解説。

「マドバニ村落の家に描かれた絵は、ふとモダンな
ミロの絵でも思いおこさせる様な楽しいものである。
古くからこの村に伝えられた風習であろう。
凡て女達の手によって描かれる。祭り(プージャ)の時に
お正月(デワリ)に又結婚の祝いのために新しく描かれた
ものが剥落しながらいつも壁に残っている。
彼らの祈りのあかしのように。
これこそほんとうの絵である。」

つぎの絵は『中庭の祈り』(1984年・昭和59年)

「中庭は掃き浄められて、更に
牛糞を溶かした水がまかれると神の依り代としての聖地となる。
娘たちはラクシュミ女神を念じながら、
中庭の中央から女神のシンボルの模様を、白い米の粉で描き展げる。

次にそのまわりに彼女らの願い事がしるされてゆく。
どうぞ幸せになりますように。それは美しいサリーであり、
首飾りであり、又よき連れ合いをねがい、父母兄弟の息災を祈る。

蓮の花びらが入口から屋内に誘うのはラクシュミの足跡であろう。
この床絵のアブストラクトの様な感覚とうづくまる黒牛の対照を
面白く感じた。やはり信仰の絵というものには不思議な美しさがある。」


はい。ここまで引用してきたら、
この図録のはじめにある秋野不矩の挨拶文から
すこし引用しておわります。


「・・・・インドの計り知れない大地、信仰、これを享受する
人々の複雑な深い生の悲しみはいつも私を強く打ちました。

それはえぐる様な悲痛の底に見る美しさであり、
常にみたされぬ中の人間の、動物たちの生きる
したたかさであり又やさしさでありました。

インドの世界に誇る文化遺産もさることながら、
私はこの裸のインドにふれて示唆されたさまざまな意味をこめて
表現したいと思いました。然しそれらはまだまだ深く
私の手には及ばないのですが・・・・・」







コメント (2)
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