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和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

解説文の傑作。

2014-03-17 | 本棚並べ
山村修著「遅読のすすめ」(新潮社)に

「速く読んでいては気づかない一節も、
ゆっくり読むことで目をとめることができる。
はっとおどろくこともできる。
たとえば岩波文庫の柳田國男『木綿以前の事』は、
国文学者・益田勝実が「解説」を書いているが、
これは解説文のなかの傑作である。」(p120 )

以前に、この傑作の解説文を読んだのですが、
どこがよいのやら、ピンときませんでした。

今回はすこし分かるような気がします(笑)。

うん。柳田國男を読もうと思っているから、
なのかも。

関東大震災と戦中戦後と、柳田國男の立居振舞を
読んでみたい。今年こそは(笑)。
この解説文の傑作の、傑作たるゆえんを、
柳田國男の文に沿って読むぞ(笑)。
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書評読み。

2014-03-16 | 地域
書評読みの、小説嫌い(笑)。
なんでだろう。
書評を読んでいる時は、たのしい。
まだ、読まない本のことを、
あれこれと思い描くたのしみ。
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読み手の呼吸。

2014-03-15 | 本棚並べ
2006年11月23日の当ブログを、
読んでいる方がいて、私も再読する(笑)。

それでもって、
山村修著「遅読のすすめ」(新潮社)を
あらためて本棚からとりだしてくる。
ちなみに、ちくま文庫からは
「増補 遅読のすすめ」が出てました。

パラパラとめくると、
今回は、第3章「暮しの時間」に感銘。
そのはじまりだけでも引用。

「速く読もうとすると、
ちんぷんかんぷんで手も足も出ず、
どうしてもゆっくり読まざるをえない文章があるもので、
私にとって吉田健一の文章などはその最たるものの一つである。
それを読むのに、なにか格別な知識とか
教養とか感受性などが要求されるということではないと思う。
文章のなかに、いわばゆったり息づいているものがあって、
必要なのは、読み手のほうの呼吸をそれに合せて調えることである。
それは少なくとも私にとっては比喩ではなく、
吉田健一の本を開いたとき、じっさいに呼吸を意識的に
調えている。そうしないと読めない。
面倒だ。しかしそのかわり、呼吸がうまく合ってくると、
ものを読むことのうれしさがわいてくることがある。」



う~ん。
この章は、ここから楽しめるのですが、ここまで。
ちなみに、ここ数日で、
吉田健一の本の読み方を
教わった気になりました(笑)。
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素振りの時間。

2014-03-14 | 短文紹介
このブログの書き始めは、2006年8月。

このGooブログには「このブログの人気記事」という
のがあり、いったい、自分のブログで、どんな記事に興味をもたれているのか、知ることができ、ありがたい(笑)。すると、
2006年10月6日のブログを読んだ方がいて、
へ~。どんな内容だったのだろうと読み返してみることに。そこでは、
雑誌「考える人」2006年夏号からの引用をしておりました。
もちろん、私自身はすっかり忘れております(笑)。
さいわい、その古雑誌は段ボール箱にさがせました。

「考える人」2006年夏号
「戦後日本の『考える人』100人100冊」という特集。
そこの対談が、今回気になった(笑)。

坪内祐三・井上章一対談
「『考える』ための《素振り》」(p70~76)

では、対談からすこし引用。

坪内】 ・・『考える人』の本を読んでも、考えるきっかけにはならない。書誌学的な本を読んだほうが、自分が考えるきっかけにはなりますね。
井上】 それは言えますね。
坪内】 『考える人』の著作の場合、読者は、その人より小さなレベルでしか考えられない。そのミニチュアができちゃうだけで。
井上】 とにかく、その人の思考につきあわされるわけですからね。いやなのは、そこですよね。だいたいは『俺についてこい』というパターンになるわけだから。一方、書誌学は『私を踏み台にして、あなた伸びていって』って、ささえてくれる感じですもんね。

そのすこしあとに、『素振り』が出てきます。

坪内】 ・・・それに、調べものをしている時って、能率よく処理していくために、自分独自のシステムを開発していくでしょう。それもつまり、考えてるということだと言えませんか。
井上】 なるほど。調べている時間が、《素振り》になってるんですよね。


それにしても、
「このブログの人気記事」は、毎日更新されて
その日その日のベストテンが題名で載ってました。
見過ごしていたのですが、これ私にはありがたい(笑)。

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大阪名物の古本屋。

2014-03-13 | 本棚並べ
ときに
古本屋のことに言及されていると、
つい、パラパラ読みでも興味をもって見るのでした。
たとえば、
谷沢永一著「本はこうして選ぶ買う」(東洋経済新報社)の
最後の九章は「古本屋と昵墾になる法」とあり、
カズオ書店・天地書店・尾上蒐文洞・浪速書林・黒木書店と
目次に書店名が並びます(笑)。
そういえば、
向井敏著「傑作の条件」(文藝春秋)にもありました。
題して「古本屋一代」(p163~165)。
はじまりは
「大阪育ちで書物にいくらかでも
興味をもつほどの人なら、天牛書店と聞くと、
きまって昔をなつかしむ顔つきになる。
天牛はテンギュウと読み、大阪名物の古本屋である。」

なかごろにはこうあります。

「私なども学生のころ、しばしば
道頓堀や千日前の店に通ったが、
いつもささいな売り買いばかりなのに
腰をかがめて応対されて、かえって
こちらが恐縮したものだった。
のちに、東京に出て神田の古書店を
経めぐったとき、ひどく敷居の高い感じがして
長くなじめなかったのも、天牛書店での
売り買いの記憶と重ね合せていたせいかもしれない。
大阪出の読書人が天牛書店と聞いてなつかしげな
顔をするのも、たぶん同じ理由からではあるまいか。」

う~ん。そういえば、
私が読む本のブログは、関西出身の方が多いような(笑)。
古本もネットで購入していると、近頃は、気のせいか、
関西の古本屋さんが多くなってきているような(笑)。
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旧カナの息遣い。

2014-03-12 | 短文紹介
吉田暁子著「父 吉田暁子」(河出書房新社)を読む。

はじまりは、こうでした。

「 小説を書こうとしてうまく行かず。
『まっすぐな線が一本でも引ければ』と
思って批評をやってみることにしたと、
父がどこかで書いていた。
いい言葉だと思った。 」


また、こんな箇所もあります。

「父の迫力は何かが外に広がろうとする迫力ではなく、
そこに或る確固としたもの、不動のものが、
ただ在るという迫力である。」(p44)


暁子さんによる、ゆっくりと織り上げられた父親像。
読む方が、かってに作りあげた吉田健一像を、
ていねいに、消し去ってくれるような深い味わい。
この消し去った地点から、もう一度、
吉田健一を読んでごらんなさいと、
まるで、いざなわれているかのようです。


そういえば、
篠田一士著「吉田健一論」(筑摩書房)に

「写していて気がつくのは、
やはり、吉田健一の文章は旧カナ遣いで読まなくては、
サマにならないというか、読めるものも
読めないのではないかということである。
もちろん、吉田氏が書いた原文は旧カナ遣いだった
はずだが、雑誌の方針だとか、読者のためだとか、
もっともらしい御題目を口実に、
編集者が新カナ遣いに直してしまうのである。
心ない仕業にちがいないが、
吉田氏自身も、この点、おどろくほどの鷹揚さで、
旧カナ遣いで書いた文章を滅多矢鱈と直されても、
『ああ、いいですよ、ああ、いいですよ』の一点張りで、
最後に『どうせ、ちゃんとしたものは著作集に出しますから』
といった捨て台詞をつけるのが口癖だった。
それはともかく、旧カナ遣いで書かれたものは、
旧カナ遣いで読むのが本筋であることはいうまでもない。
・・・・・     
原文では『つ』になっているはずのものを、
促音記号の『っ』にしてあるのを読まされるのは、
なんとなくせきたてられるようで、
折角の文章の流れに、目ざわりな棒杭を立てた感じである。」(p11~12)


私など、新仮名に惑わされていたのだと、
改めて、思い知らされた気がします。
旧カナの息遣いを、吉田健一で味わう。
そんな、楽しみがあるのだなあ(笑)。
うん。今度読むときは、
ここを、押さえることにします。

まっすぐな線を引く、旧カナの息遣いを
どうか、私も味わえますように(笑)。
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「声」欄について。

2014-03-11 | 朝日新聞
本棚整理をしていたら、
どうしても、向井敏著「傑作の条件」が出てこない。
この機会に、古本を購入する事に、
その古本が今日届く。

葦書房(福岡市中央区六本松)
400円+送料340円=740円
帯こそないけど、新品同様(笑)。

さっそくパラパラひらくと、

「常識を語る勇気」(p116~119)が目にとまる。
竹山道雄氏について書かれたもの。
そこでは、
「毎日新聞」土曜夕刊の文化欄「変化球」という匿名コラムの
昭和60年7月13日夕刊の「ビルマの竪琴論争」をとりあげて

今日に続く、朝日新聞の声欄のカラクリを
昭和43年の出来事から、掘り起こしております。
うん。朝日新聞の「声」欄の系譜をたどる
最適の例となっております。

ということで、
「声」欄の系譜をたどる三冊。
として、
平川祐弘著「竹山道雄と昭和の時代」(藤原書店)の
p321~324

徳岡孝夫著「『戦争屋』の見た平和日本」(文藝春秋)の
「『ビルマの竪琴』と朝日新聞の戦争観」
p313~325

そして、向井敏著「傑作の条件」(文藝春秋)の
「常識を語る勇気」p116~119


うん。朝日新聞の「声」欄は、
まず、ここらからたどると、個人でも、
焦点が定まり、腰がすわります。

さてっと、
向井敏氏は、この文の最後に、
竹山道雄を語っておりました。

「逸文とはいえ、この「『声』欄について」の文章にうかがえるように、
見かけこそおだやかだが性根のすわったこの人のものの見方をよく伝える力作が多く、戦後日本の論壇を蔽った左翼イデオロギーの猛威のなかで、イデオロギーによる問答無用の裁断の非を鳴らし、人間の常識の回復をねばりづよく説きつづけた一人の人物の毅然たる像が読後に歴々と浮びあがってくる。」

うん。その前の箇所も引用しておきます。

「エッセイ集『失われた青春』、童話風の小説『ビルマの竪琴』、長篇評論『昭和の精神史』などよく知られたものをはじめ、竹山道雄の主な作品は先年『竹山道雄著作集』(全八巻。昭和58年、福武書店)に集成されたが、この『著作集』から洩れたエッセイや単行本未収録のコラムなどがまだかなりあって、講談社学術文庫でそれらの逸文のシリーズ化が試みられ、すでに『歴史的意識について』、『主役としての近代』、『尼僧の手紙』が刊行されている。そういえば、「『声』欄について」も、『国民協会新聞』昭和43年6月1日に寄稿されたきり、今までほとんど人に知られずにきたエッセイである。」
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下痢。

2014-03-10 | Weblog
昨日は、午後から寒気がして、
夕方に、水のような下痢。

今日も、そんな状態。
水分だけをとって、寝ております。

昼間おきだすと、
注文してあった、新刊と古本が届いている。

いま、包装をひらいたところ(笑)。
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うたを うたうとき

2014-03-09 | 詩歌
まど・みちお追悼文が
朝日新聞3月4日に載っておりました。
ねじめ正一さん。題して「日常脱ぎ捨てた深い言葉」。
そこにこんな箇所。

「20年前までは、まどさんの詩は私から遠かった。
ずっとまどさんのことを子供向けのぞうさん詩人だと
思っていた。ところが、
『うたを うたうとき』という詩を読んだとき、
私は私の詩の読み方の浅さを恥じた。

 うたを うたう とき
 わたしは からだを ぬぎすてます

この初めの2行を読んだとき、
まどさんの詩は平易なひらがなの詩なのに、
現代詩を超えていると思った。
現代詩のように人間の内面や普遍的な
真理は抽象的観念的な言葉でしか
表現できないと思っていたが、
まどさんの詩は平易なひらがなの詩なのに、
きちんと人の心に届いている。
つまり、からだという日常を脱ぎ捨てなければ
詩は書けないのだ。
世の中のしがらみや野心を脱ぎ捨てなければ、
人の心を打つ詩の言葉は出てこないということを、
まどさんの詩から教えてもらった。」

うん。
さっそく「まど・みちお全詩集」を
とりだしてくる。もっとも、私は
新改訂版は持っていなくて、
最初に出された1992年9月の本。

その「1970~1979」にありました。
せっかくなので、引用しましょう(笑)。

  うたを うたうとき

 うたを うたう とき
 わたしは からだを ぬぎます
 
 からだを ぬいで
 こころ ひとつに なります

 こころ ひとつに なって
 かるがる とんでいくのです

 うたが いきたい ところへ
 うたよりも はやく
 
 そして
 あとから たどりつく うたを
 やさしく むかえてあげるのです


この詩を引用していたら、私に、
丸山薫の詩が思い浮かびました。
「学校遠望」と「唱歌」の二篇。
うん。ここでは一篇を引用します。

  唱歌

 先生がオルガンを
 おひきになると
 オルガンのキイから
 紅(あか)い
 青い
 金色の
 ちがった形の鳥が
 はばたいて出て
 くるくる
 ぼくたちの頭の上を
 まわりはじめた

 教室の 高いところ
 窓ガラスが一枚 こわれていて
 やがて 小鳥たちは
 そこから
 遠い空へ逃げていった
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●●

2014-03-08 | 朝日新聞

鶴見俊輔著「大切にしたいものは何?」(晶文社)に
「8月15日まで使っていた学校の教科書を
『まちがっていました』ということで墨をぬった。」(p118)

という箇所がありました。
へ~。そうだったんだ。
墨じゃなくて、●●ならば、
今、現在も、見かけます(笑)。
たとえば、
産経新聞3月8日の
「花田紀凱の週刊誌ウォッチング」は
こうはじまっておりました。

「●●でつぶした週刊誌の新聞広告を
久しぶりに見た。3月6日付の朝日新聞朝刊に
掲載された『週刊文春』(3月13日号)の
全5段広告。左柱のタイトルが
「『慰安婦問題』A級戦犯●●新聞を断罪する。
『文春』を開いてみるまでもなく●●が朝日を
指すことは誰でもわかる。」

こうして続くのですが、
ちょうど、●●の古新聞を貰ってきたので
その箇所を、あらためて確認してみました。

こういうのは、指摘されないと、
つい見過ごしてしまいます。
この広告の左柱タイトル脇には、小さく
「《火付け役》記者の韓国人義母は
詐欺罪で起訴されていた!」とあります。

ところで、
鶴見俊輔の本の、引用ページの題は
「大切なものが変わるとき」とあります。

この
●●新聞が変わるのかどうか。
そんなんで、変わるような
●●新聞じゃないのかどうか。
この●●新聞に載った
週刊文春の広告を切り抜いておきます。

あるいは、これから、
●●新聞の講読者数崩壊の
大きな兆しとなるのかどうか。
切り抜きには日付をいれておきます。
そして、
「みんなで考えよう1
大切にしたいものは何?
鶴見俊輔と中学生たち」(晶文社)
の本のページにはさんでおくことに。
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学問と経験とのある人が。

2014-03-07 | 本棚並べ
向井敏著「本のなかの本」(毎日新聞社)に
中野重治著「本とつきあう法」を紹介した
「読書遍歴の醍醐味を披露」(p142~143)があります。

そこで、向井さんはこう指摘しております。

「『本とつきあう法』は昨今しきりに刊行される
読書論のはしりともなった本だが、集中の圧巻
『旧刊案内』のなかに、芳賀矢一、杉谷代水の共著になる
『作文講話及文範』、『書簡文講話及文範』に触れた章がある。
文章と手紙の書き方を説いたこの古い二冊の本のために、
中野重治はその美質を簡潔的確に評したうえ、
書評史上まれに見るすばらしい言葉を捧げた。
その頌辞に親しく接するだけのためにも、
この本はひもとくに値する。いわく、

 ああ、学問と経験とのある人が、
材料を豊富にあつめ、手間をかけて、
実用ということで心から親切に書いてくれた
通俗の本というものは何といいものだろう。」


うん。おかげで私は、
「作文講話及文範」「書簡文講話及文範」を
知る事ができました。

さてっと、
谷沢永一著「読書通」(学研新書)を
何げなくパラパラとひらくと、
市川本太郎氏をとりあげた箇所で
こんな箇所がありました。

「むかし中野重治は、ああ、学問と経験とのある人が、
材料を豊富にあつめ、手間をかけて、実用ということで
心から親切に書いてくれた通俗の本というものは
何といいものだろう(「旧刊案内」昭和28年)と記した。
『日本儒教史』は、通俗の本、ではないけれど、
親切、に書かれたという点では、
他の書を引き離して遥かに際立っている。
この述作は、利用する側にとって役に立つようにと、
専らそれのみを念じて懇篤(こんとく)に書かれた。
自家の見識を世に誇って人を感心させるためではなく、
ひたすら、実用、を志す一念によって仕上げられている。
日本儒学史の分野で、読者が知りたいと願う
細部の事実が網羅されていると私は思う。
・ ・・・・・・       
『日本儒教史』は上古篇に始まりすべて五冊に達するが、
その精髄は四巻五巻二冊にわたる近世篇である。」(p145~147)


う~ん。
これぞというときに
「ああ、学問と経験とのある人が・・・」
を引用したのだろうなあ。


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凍ってしまうのです。

2014-03-06 | 本棚並べ
谷沢永一著「モノの道理」(講談社インターナショナル)に

「解放同盟が跳梁跋扈していたころのことです。
私は直接糾弾を受け、彼らに対応しました。
ふつうのインテリだ、知識人だ、といわれる人間は
同じ言葉を繰り返すことを嫌います。
謝罪の場でも、つい教養のあるところを見せたくなって、
ある言葉を別の言葉の表現で言い換えようとします。
ところが言い換えると揚げ足を取られることになるのです。
それを知っているから私は五時間、いや六時間近く、
最初から最後まで同じ言葉で通しました。
一言半句も言い換えはしなかった。
壊れたレコードのような答弁をつづけました。
『私はそんなことは思っていません』
『いや、そんなことは考えてもおりません』
『まったくそんな考えはもっておりません』。
もうそればっかりで、延々六時間。
それが私の作戦でした。
相手は私を吊し上げにかかっているわけです。
こちらが何をどう言おうと聞く耳などもっていない。
ということは、私には相手を説得する必要がないのです。
したがってこちらも同じ言葉ばかり繰り返すことにしたのです。
・ ・・・・・・
壊れたレコードのように同じ言葉を繰り返すのは
知識階層にとってはいちばん辛いことです。
それを六時間もつづけるのですから、
われながらイヤになってきました。
しかし私は頑張り通した。
『そんなことは考えてもおりません』
『まったくそんな考えはもっておりません』と、
馬鹿のひとつ覚えのように繰り返した。
そんな私を傍から見たら、なんと語彙の乏しい
国文科教授よと、哀れに思えたことでしょう。
しかし魔法のようなレトリックを弄して、
手を替え品を替え弁明につとめたら、
絶対に言葉尻を捉えられたはずです。
だからあれはアレでよかったのです。
・ ・・・・・・    
かつて
『あの戦争で、日本には侵略の意図はなかった』とか
『日韓併合は韓国側にも責任がある』などという
発言で何人かの政治家が大臣の椅子から引きずり
下ろされましたけれども、
真実を口にすると世の中は凍ってしまうのです。
それゆえに、政治家の言葉が貧しいのは
政治家の勉強不足のせいだけではなく、
世間のほうも悪いのだと心得るべきではないでしょうか。」
(p111~113)


ちなみに、この本は平成二十年に発売されておりました。
本のあとがきに

「本書の志すところは、
現代の報道媒体が定型の建前に偏向している実態を衝き、
健全な常識に基づく判断の側へ論旨を導きながら、
読者の不審をできるだけ解明しようと努める主旨である。
読者と共に出発点から検討し直そうと私は願う。
平常心を堅持する視座の試みを諒とされたい。」(p229)

うん。ありがたいなあ。
そう思いながら読み直しておりました。
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藤本進治先生。

2014-03-05 | 地域
谷沢永一著「疲れない生き方」(2007年・PHP研究所)に

「どの年齢にも、その年になってみなければ
わからない呼吸という勘所が必ずあります。
・・・・・     
三十歳になれば三十代という時期の新人である。
それは四十代であろうと、五十代、六十代、
七十代であろうと同じです。・・・」(p20~21)

ちなみに、この本のあとがきで
谷沢永一さんは
「現在七十八歳に達するまでの・・」
とご自身の年齢を書いておりました。

あとがきには、
こんな箇所。


「開高健と藤本進治、以後半世紀に及ぶ
私の人生にとって、絶対に欠くべからざる
友と師を得た私は、最上の幸福に恵まれました。」(p187)


また本文にも、渡部昇一氏が登場する箇所で

「渡部と私とで呆れるほどキャリアが似ていると思うのは、
彼にとっての佐藤順太先生とそっくりの人物が
私にもいたことです。それは藤本進治という人です。」(p165~)

うん。このp165以下に、藤本進治氏の
ちょっと詳しいプロフィールが書かれておりました。
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近所にいた。

2014-03-04 | 他生の縁
谷沢永一著の
「人間の見分け方」(H&I)
「運を引き寄せる十の心得」(ベスト新書)
にこんな箇所。

「戦争中に爆撃でやられて疎開したあと、
大阪へ戻って阿倍野区に住んだ。
そこから開高健の家まで歩いて十五分ぐらいだった。
ちなみに、詩人の小野十三郎の家まで歩いて十分ぐらい、
河野多恵子の家は二分ぐらいと、
後に私の運命と関係を持つ人が近所にいた。
この手の運は選べるものではない。」
  (「人間の見分け方」p46)

「もう一つ、
これは非常に重要なことだが、
女性の悪口は気をつけなければいけない。
恨みの度合いが男と違う。
私は河野多恵子から
『女流作家の悪口だけは書いてはいけない。
末代までたたるから』と言われたことがある。
そのおかげというわけではないが、
私はついにいっぺんも書いたことがない。
野坂昭如が私の『紙つぶて』を読んで見つけたことは、
女流の悪口が一言もないことだった。」(同p177~178)

「それから、近くに藤本進治という、
無名で亡くなった哲学者ですが、
これが大変な物知りで、出身は関大の経済学部ですが、
哲学者のくせに、近代日本文学についても、
じつに詳しい人です。ところが、
世渡りの非常に下手な人でしたから、本は買えない。
コクヨの四百字詰めの原稿用紙に、
自分で勝手に発表のあてもなく論文を書いて、
今度はそれをまた裏返して、今度は半分に切って、
裏は真っ白ですね、そこへ読んだ本の抜き書きをするんですよ。
その抜き書きがたくさんありました。
ほんとに博学多識といいますか、
そういう先生と知り合うことができました。
全部ほんとに近所にいた。」
(「運を引き寄せる十の心得」p72)

このすぐあとに、
小野十三郎氏の家へ出かけて、
ごく自然に、コラムを書き始めるという、
顛末が出て来て読ませます。

藤田進治氏については、
他の本でも、登場していたはずなのですが、
さて、どこだったか(笑)。
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以外にないのです。

2014-03-03 | 本棚並べ
藤原智美著「文は一行目から書かなくていい」(プレジデント社)。

本棚の整理をしていたら、この本が出てくる。
もう一度読もうと思ってそのままだった本。

何箇所かに、付箋(ふせん)が貼ってある。

そういえば、この本には「付箋」について

「私は資料として使う本は、最初に読んで貼った
付箋の部分だけを二度読みします。
そこで必要ないというもはどんどんはずしていく。
そうすると、重要な部分だけになり、後が使いやすい。
・ ・・・・・
もし付箋の多さで自分を安心させ、中身を理解した
気になっていると手痛い失敗をしそうです。」(p178~179)

うん。うん。
それならばと、この本に残した付箋の箇所を
はずしながら、3つに減らす(笑)。
以下に、残った3つを紹介。

一つ目は、「文章術の王道」という箇所。

「書くということは、心の動きに
引っかかったピースを、すくいあげて
言葉にする行為だといってもいいでしょう。
・ ・・・・
『伝わる』文章を書くことの秘訣を
一つにまとめるとすると、それは
日々の心の動きをないがしろにせず、
自分の内面に目をとめて、
それを言葉として残しておくこと以外にないのです。
まわりくどい方法のようですが、
これが文章術の王道です。
案外、簡単なことではありませんか?」(p185)

二つ目は、
ここかなあ。

「ネット上では文全体を省いて
タイトルだけが流通し、
読む人がそれですべてを判断する
といったことがありがちです。
言葉がデジタル化されたことで、
この種の勘違いは増えている印象があります。
・ ・・・・
文脈を読まない、あるいは読めない人が
増えてきたであろうことも見逃せません。」(p150~151)

最後に付箋を残したのは
というと、

「デジタルな世界では、
むしろ選択肢が広がるほど自由度がなくなっていく。
私はそんな印象を抱いています。
実際は、無意識のうちにランキング頼りになって、
多くの人がいいという無難なものを選らばされている。
・ ・・・・・
ランキングに頼ることは、
自分の物差しを磨くのをおろそかにするということです。
・ ・・・ 
実は書き手としては、みんながランキングに依存しているときこそ、
直観力を発揮するチャンスです。
ほかの人たちが一つの方向を向いているときに、
自分の嗅覚を信じて、『このブーム、何かおかしい』
ということがいえるかどうか。
そこが腕の見せどころといってもいい。」(p144)


うん。付箋が減り、すっきりしました(笑)。
すっきりはしましたが、
こうしてブログに書き写すと、
3つでも、多い印象をあたえるかなあ(笑)。
それはそうと、私には
気になる本なので、また再読する際には、
べつの箇所が浮上することを願って。

うん。そんなに欲張ってはいけないね(笑)。


 本棚に 一期一会を 再読し  和田浦海岸
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