谷沢永一著「モノの道理」(講談社インターナショナル)に
「・・・会田雄次の述懐を思い出したことです。
かつて会田先生と対談をしたとき、余談の戯れに、
もし人生をやり直せるとしたら何歳のころに戻して
欲しいと思いますかと尋ねたことがあります。
すると間髪を入れずに、
『六十歳やろな。あのころがいちばん張りがあったさかいナ』
という答えが返ってきたのです。
六十歳になったとき、私はそれを思い出した。
この機を逃してはならない。・・・」(p226)
うん。
谷沢永一氏の著作を本棚にならべて、
数冊を手にとるのでした(笑)。
谷沢永一著「達人観」(五月書房)に
「リラックスして本と付き合う」という箇所があります。
「いわゆる『積ん読』も結構です。
阪神大震災に遭って書庫を整理する前は、
私の蔵書は12~13万冊はありました。
個人では、おそらく関西一だたでしょう。
しかし、実際に読んだ本は、その中のほんのわずか。
『いつか必要になるだろう』と思った本は、
とりあえず買っておき、
どういう本があるかだけ気に留めておきます。
何かあったとき、いつでも読めるように、
手元にあることが大事なんです。」(p15)
谷沢永一著「執筆論」(東洋経済新報社)には、
「世に愛書家伝説は数多いけれど、
本来は、それが誰によってどのような方向で
有効に利用されたかを論評するべきであろう。
活用されない蒐書は
書画骨董の保持に駆けまわる天狗鼻にすぎない。
坂田三吉は、銀が泣いている、
と活用されない駒の嘆きを痛烈に代弁した。
我が家の書庫でもまた、
今になってもまだ仕事に用いられない
多くの本が泣いている。
他人のことをとやかく言う資格が私にはない。」(p218)
うん。谷沢永一氏の本は、
忘れていた今年の再読目標(笑)。
「・・・会田雄次の述懐を思い出したことです。
かつて会田先生と対談をしたとき、余談の戯れに、
もし人生をやり直せるとしたら何歳のころに戻して
欲しいと思いますかと尋ねたことがあります。
すると間髪を入れずに、
『六十歳やろな。あのころがいちばん張りがあったさかいナ』
という答えが返ってきたのです。
六十歳になったとき、私はそれを思い出した。
この機を逃してはならない。・・・」(p226)
うん。
谷沢永一氏の著作を本棚にならべて、
数冊を手にとるのでした(笑)。
谷沢永一著「達人観」(五月書房)に
「リラックスして本と付き合う」という箇所があります。
「いわゆる『積ん読』も結構です。
阪神大震災に遭って書庫を整理する前は、
私の蔵書は12~13万冊はありました。
個人では、おそらく関西一だたでしょう。
しかし、実際に読んだ本は、その中のほんのわずか。
『いつか必要になるだろう』と思った本は、
とりあえず買っておき、
どういう本があるかだけ気に留めておきます。
何かあったとき、いつでも読めるように、
手元にあることが大事なんです。」(p15)
谷沢永一著「執筆論」(東洋経済新報社)には、
「世に愛書家伝説は数多いけれど、
本来は、それが誰によってどのような方向で
有効に利用されたかを論評するべきであろう。
活用されない蒐書は
書画骨董の保持に駆けまわる天狗鼻にすぎない。
坂田三吉は、銀が泣いている、
と活用されない駒の嘆きを痛烈に代弁した。
我が家の書庫でもまた、
今になってもまだ仕事に用いられない
多くの本が泣いている。
他人のことをとやかく言う資格が私にはない。」(p218)
うん。谷沢永一氏の本は、
忘れていた今年の再読目標(笑)。