「司馬遼太郎が語る日本 未公開講演録愛蔵版Ⅱ」に
第1回菜の花忌シンポジウムの鼎談が掲載されていて、
そのはじまりの井上ひさしさんの言葉が、印象深い。
そこで、1976年に井上さんがオーストラリアの国立大学の客員教授に呼ばれ出かけた時のことが語られております。「1ヵ月で日本が恋しくなりました」と語ったあとに、司馬さんがオーストラリアに取材にこられたことに触れておられます。
司馬さんから宿題を出されて、それに答えることなどが語られたあとでした。
「こうして二日間があっというまに終わりまして、
司馬さんのご一行をキャンベラ空港へお送りしました。
司馬さんの乗った飛行機が機首をぐっと上げたとき、
思わず私はこう言ってしまいました。
『ああ日本が行っちゃう』と。
司馬さん自体が日本、それもとても良質な日本という感じがあり、
二日の間で私のなかでは、なにか司馬さんが日本そのものになってしまった。
その人が飛行機に乗って遠くへずっと行くときに、
日本そのものがどこかへ去っていく、
そんな非常に寂しい気持ちになったのを覚えています。
去年のきょう、やはり同じ気持がしました。
日本がどこかへ行ってしまうと。
日本のいちばん大事な良質な部分が、
もう帰ってこないという無力感、絶望感がありました。
もっとも・・・・・
作品を読みに読むならば、そこに司馬さんがいて、
日本があるというところへ、
やっとこのごろ落ち着きました。」(p289~290)
うん。このシンポジウムでの
井上ひさし氏の最初の言葉と、
そしてシンポジウムの〆の言葉と、
どちらもが、印象に残ります。
第1回菜の花忌シンポジウムの鼎談が掲載されていて、
そのはじまりの井上ひさしさんの言葉が、印象深い。
そこで、1976年に井上さんがオーストラリアの国立大学の客員教授に呼ばれ出かけた時のことが語られております。「1ヵ月で日本が恋しくなりました」と語ったあとに、司馬さんがオーストラリアに取材にこられたことに触れておられます。
司馬さんから宿題を出されて、それに答えることなどが語られたあとでした。
「こうして二日間があっというまに終わりまして、
司馬さんのご一行をキャンベラ空港へお送りしました。
司馬さんの乗った飛行機が機首をぐっと上げたとき、
思わず私はこう言ってしまいました。
『ああ日本が行っちゃう』と。
司馬さん自体が日本、それもとても良質な日本という感じがあり、
二日の間で私のなかでは、なにか司馬さんが日本そのものになってしまった。
その人が飛行機に乗って遠くへずっと行くときに、
日本そのものがどこかへ去っていく、
そんな非常に寂しい気持ちになったのを覚えています。
去年のきょう、やはり同じ気持がしました。
日本がどこかへ行ってしまうと。
日本のいちばん大事な良質な部分が、
もう帰ってこないという無力感、絶望感がありました。
もっとも・・・・・
作品を読みに読むならば、そこに司馬さんがいて、
日本があるというところへ、
やっとこのごろ落ち着きました。」(p289~290)
うん。このシンポジウムでの
井上ひさし氏の最初の言葉と、
そしてシンポジウムの〆の言葉と、
どちらもが、印象に残ります。