和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

素振りの時間。

2014-03-14 | 短文紹介
このブログの書き始めは、2006年8月。

このGooブログには「このブログの人気記事」という
のがあり、いったい、自分のブログで、どんな記事に興味をもたれているのか、知ることができ、ありがたい(笑)。すると、
2006年10月6日のブログを読んだ方がいて、
へ~。どんな内容だったのだろうと読み返してみることに。そこでは、
雑誌「考える人」2006年夏号からの引用をしておりました。
もちろん、私自身はすっかり忘れております(笑)。
さいわい、その古雑誌は段ボール箱にさがせました。

「考える人」2006年夏号
「戦後日本の『考える人』100人100冊」という特集。
そこの対談が、今回気になった(笑)。

坪内祐三・井上章一対談
「『考える』ための《素振り》」(p70~76)

では、対談からすこし引用。

坪内】 ・・『考える人』の本を読んでも、考えるきっかけにはならない。書誌学的な本を読んだほうが、自分が考えるきっかけにはなりますね。
井上】 それは言えますね。
坪内】 『考える人』の著作の場合、読者は、その人より小さなレベルでしか考えられない。そのミニチュアができちゃうだけで。
井上】 とにかく、その人の思考につきあわされるわけですからね。いやなのは、そこですよね。だいたいは『俺についてこい』というパターンになるわけだから。一方、書誌学は『私を踏み台にして、あなた伸びていって』って、ささえてくれる感じですもんね。

そのすこしあとに、『素振り』が出てきます。

坪内】 ・・・それに、調べものをしている時って、能率よく処理していくために、自分独自のシステムを開発していくでしょう。それもつまり、考えてるということだと言えませんか。
井上】 なるほど。調べている時間が、《素振り》になってるんですよね。


それにしても、
「このブログの人気記事」は、毎日更新されて
その日その日のベストテンが題名で載ってました。
見過ごしていたのですが、これ私にはありがたい(笑)。

コメント
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