和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

まわりを清め、席を清雅にする。

2006-10-27 | 婚礼
謡曲を読みたいと思っているのですが、
とりあえず、その目印になるような
私に思い浮かんだ文章。

「司馬遼太郎が考えたこと 11」新潮社(新潮文庫もあり)
その「六三郎の婚礼」という文に、
「六三郎の時代の人々のように謡や仕舞でもって席を清雅にするということもなく・・」その文の最後は徒然草から引用して終っておりました。
ここに「席を清雅にする」とあります。

司馬遼太郎著「この国のかたち 五」文芸春秋(文春文庫あり)
そのはじまりは「93 神道(一)」でした。
「神道に、教祖も教養もない。たとえばこの島々にいた古代人たちは、地面に顔を出した岩の露頭ひとつにも底つ磐根(いわね)の大きさをおもい、奇異を感じた。
畏れを覚えればすぐ、そのまわりを清め、みだりに足を踏み入れてけがさぬようにした。それが、神道だった。・・・
三輪の神は、山である。大和盆地の奥にある円錐形の丘陵そのものが、古代以来、神でありつづけている。」

ここに「そのまわりを清め・・」とあります。

「もうひとつの『風塵抄」 司馬遼太郎・福島靖夫往復手紙」(中央公論新社)
のなかに風塵抄の「44 日本的感性」を取り上げてやりとりした手紙の箇所があります。日本的感性が世界の文化に貢献しているとして列挙したあとに司馬さんは
「ただ、すべてにおいてダイナミズムに欠けます。これは【欠ける】という短所を長所にしてしまったほうがいいと思うのです。東山魁夷さんの杉の山の絵を、装飾的、平面的、非人間的ながら、これこそ絵画だという美学的創見が必要なのです。そういう評論家がいないというのが問題ですが。」

ここは「三輪の神は、山である」と「東山魁夷さんの杉の山の絵」とつながると
私は思うわけです。絵といえば、

「秋野不矩インド」(京都書院)のまえがきを司馬遼太郎さんが書いております。


「世界の絵画のなかで、清らかさを追求してきたのは、日本の明治以後の日本画しかないと私はおもっている。いきものがもつよごれを、心の目のフィルターで漉しに漉し、ようやく得られたひと雫が美的に展開される。それが、日本画である。その不易の旗手が、秋野不矩画伯であるに相違ない。
秋野絵画は、上村松園の血脈をひいていると私はおもっている。詩的緊張が清澄を生むという稀有の系譜である。」

ここに「詩的緊張が清澄を生む」とあります。そのままに
「そのまわりを清め、みだりに足を踏み入れてけがさぬようにした」と結びつけたい私がおります。

さて「謡や仕舞でもって席を清雅にする」という日本的感性を、どのように磨けばよいのでしょうか?

ここから、謡曲を読み始めたいと思う私にむすびつけてゆきたいのでした。
ここから、「いやはや聞きしに勝るからッぺたですな」という身近さまで。

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