和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

なにがすごいと言って。

2012-04-01 | 詩歌
ちょっと、気になっていた短歌がありました。
毎日新聞3月25日の毎日歌壇。
その伊藤一彦選のはじまりの一首です。

 定食屋湯呑みにかかれた人生訓
こらえてたえてぐっと飲み干す
 東大阪市 大原美幸

【評】元気な時なら何でもなく読み過す言葉が心にしみることがある。定食屋の湯呑みという小道具が読者を泣かせる。

うん。この人生訓というのは、いったい、どんな言葉が書かれていたのだろう。そんなことを、つい思い描く私がおります。
さてっと、以前、段ボール箱の整理をした際に、在りかをたしかめておいた都築響一著「夜露死苦現代詩」(新潮社)を、おもむろに取り出す機会がきました(笑)。うん。段ボールで本を寝かせて、ちょうど読み頃となっておりました(はじめてパラパラめくったときには、この本の下ネタに、ついつい引張りこまれてしまったのでした。このたびは、玉石混交の玉を拾い分けることができました)。

「夜露死苦現代詩」の
第14章「人生に必要なことは、みんな湯呑みから教わった。あるいは詠み人知らずの説教詩」という箇所があります。その最初は「ぼけたらあかん長生きしなはれ」という詩が引用されておりました。
まずは、その詩の作者について
「『ぼけたらあかん』を書いたのは、大阪府藤井寺市の天牛将富さんという方である。その名字から有名な古書店である天牛書店の創設者・天牛新一郎氏としばしば間違われているようだが、天牛将富さんは出版業界とは関係のない一般人で、1987年77歳で亡くなっている。今回お話を聞けた長男の敏之さんによると、将富さんは病弱で、6回も手術を受けるなど『まさに七転び八起きの人生で、仕事という仕事はしていませんでしたが、詩は好きで、ほかにもたくさん書いていました』。『轍』と題した自分史を自費出版したこともあるそうだ。」(p225)

では、大坂では、ポピュラーかもしれませんが「ぼけたらあかん長生きしなはれ」を引用します。


  年をとったらでしゃばらず
  憎まれ口に泣きごとに
  人のかげぐち愚痴いわず
  他人のことは誉めなはれ
  知ってることも知らんふり
  いつでもアホでいるこっちゃ

  勝ったらあかん負けなはれ
  いずれお世話になる身なら
  若いもんには花もたせ
  一歩さがってゆずりなさい
  いつも感謝を忘れずに
  どんな時でもおおきにと

  なんぼゼニカネあってでも
  死んだら持っていけまへん
  あの人ほんまにええ人や
  そないに人から言われるよう
  生きてるうちにバラまいて
  山ほど徳を積みなはれ
  
  そやけどそれは表向き
  死ぬまでゼニを離さずに
  人にケチやと言われても
  お金があるから大事にし
  みんなベンチャラいうてくれる
  内証やけどほんまだっせ

  わが子に孫に世間さま
  どなたからでも慕われる
  ええ年寄になりなはれ
  頭の洗濯生きがいに
  何かひとつの趣味もって
  せいぜい長生きしなはれや
  ぼけたらあかん ぼけたらあかん 長生きしなはれや


 さてさて、この章では、あとにこんな指摘をしておりました。

「すごい。なにがすごいと言って、詩自体の出来もさることながら、それを気に入った人が自分で紙に書き写し、壁に張り出し、それを気に入った人がコピーを持ち帰り、また壁に張る。そうやって書籍でもなく、ネットですらなく、完全に手から手へと受け渡され、広がっていく詩があることが、なによりすごい。・・・その作者を知らないままに。21世紀の現代日本でそういう伝播のスタイルが存在している事実に、僕はちょっと感動する。『ぼけたらあかん』は湯呑みに手拭い、CDに色紙とあらゆるメディアに乗って、日本中に広がりつづけている。その存在を知らないのは現代詩業界と文学評論家ぐらいだろう・・・」(p226)

うん。私もこうしてブログに引用しているのでした。
そうしてこのテーマは、最後の「あとがきにかえて 相田みつを美術館訪問記」へとすんなりとつながってゆきます。

この本で、今回、私が魅せられたのは

 第2章「点取占い」
 第6章「玉置宏の話芸」

今回。本を寝かせておく醍醐味がありました(笑)。

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