京都の安土桃山ルネッサンスでの「花鳥風月」を
思っていたら、絵には、言葉がつきもの。という
そんな連想から思い浮かんだのが、
きこ書房(2009年)の斎藤亜加里著
「親から子へ代々語り継がれてきた教訓歌」。
ご自身のプロフィールには年齢が書かれていない(笑)。
亜加里さんは、いまは何歳ぐらいの方なのでしょう?
まずは、これから
明日ありと 思う心の あざ桜
夜半(よわ)に嵐の 吹かぬものかは
うん。思い浮かぶのは井伏鱒二『厄除け詩集』の
干武陵の詩を訳した一行でした。
『花発多風雨』これを井伏さんは
「ハナニアラシノタトヘモアルゾ」と訳しました。
もうひとつ思い浮かぶのは、西城八十の『旅の夜風』
その歌詞の一行目は『花も嵐も踏み越えて』とはじまり、
『月の比叡を独り行く』『加茂の河原に秋長けて』などと
歌詞はつづきます。
もどって、教訓歌には頓阿法師の歌
(鎌倉時代から室町時代前期の僧で歌人)。
「20歳ごろ出家して、比叡山や高野山で修行したあと、
京都の金蓮寺に入門する。その後、信州を行脚したり、
西行の跡を廻って東山双林寺や仁和寺に住んだりする。」
(教訓歌のp117)
世の中は かくこそありけり 花盛り
山風吹いて 春雨ぞ降る
はい。花鳥という順で、つぎは鳥。
ほととぎす 自由自在に 聞く里は
酒屋へ三里 豆腐屋へ二里
うん。ここは、斎藤亜加里さんの解説が魅力なので
そこから引用してゆきます。
蜀山人(しょくさんじん)の愛弟子・頭光の狂歌。
とあります。亜加里さんは
「この歌はもとは狂歌だが、大変な傑作だと感じる。」(p169)
と指摘されて、いろいろ『ほととぎす』の引用をしておられます。
「おなじみの『夏は来ぬ』という童謡にも
『ほととぎす早も来鳴きて』と謡っている。・・・
夏の到来という季節を感じさせるものである。」
「『甲子夜話(かっしやわ)』には、
『鳴かぬなら殺してしまえ』の織田信長、
『鳴かせてみよう』の豊臣秀吉、
『鳴くまで待とう』の徳川家康と、
各人の性格がほととぎすを通してたとえられている。」
え~と。このくらいにしますか。
もうひとつ引用しておきます。
二宮尊徳の教訓歌で有名なのだそうです。
この秋は 雨か嵐か 知ねども
今日の勤めに 田草取るなり
ちなみに、この本は定価1300円+税とあります。
ネットの古本では、送料共で258円でした。
斎藤亜加里さんの「はじめに」がいいので、
そこからも引用したくなります。
「教訓歌は、少なくとも昭和30年、40年代までの日本では、
親から子へ、また教育の現場でも盛んに語られたものである。
したがって、ある程度の世代の人たちは、これらの歌を
何らかのかたちで見聞きしてきたのではないかと思われる。
私も幼い頃から・・・教えられて育った。教えられた、といっても、
・・・生活のなかで、何かにつけて『昔の人はね』『先祖の教えではね』
と言って歌が出てくるのである。・・・・・
・・・・あるときは、
父が『まったく厳しい世の中だねぇ』とタメ息をつく、
すると母が、『世の中は何のヘチマと思えども』と笑う。
すると姉妹で『ブラリとしては暮されもせずー』と
大合唱して大笑いする、という感じであった。
母の十八番(おはこ)がいくつかあった。そのひとつが、
『孝行を したい頃には 親はなし
孝のしどきは 今とこそ知れ』であった。
『うるさいなあ』と口応えすると、決まってこの言葉が出る。
すると、私たち姉妹は『出ましたっ!』とあきれると、
母は悲しそうな顔をするのが常だった。
そんな両親も、今はこの世にはいない。・・・・・」(p2~3)
はい。斎藤亜加里さんの本の紹介になりました。
それにしても、亜加里さんは何年生まれなのかなあ。
プロフィールによれば
大学卒業後 出版社勤務を経て
執筆活動30年~と書かれてありますので
50代半ば~ なのではと推定されます。
う~ん。あらてめて、
この「教訓歌」(きこ書房)の
著者紹介を読み直すと
こんな箇所がありました。
「代々続く旧い家に生まれ、
小さい頃から生活のなかで
明治生まれの両親に教訓歌を
多く教えられて育った。」
う~ん。
両親ともに明治生まれ。
というヒントが隠れてました。