和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

近所田舎。

2009-01-28 | 安房
川本三郎著「火の見櫓の上の海 東京から房総へ」(NTT出版)の「あとがき」にこんな箇所がありました。

「房総半島は語られることの少ない土地だ。・・・存在感が薄い。温泉がないために観光地としてぱっとしない。高い山もないし、観光名所も少ない。春の花と夏の海くらいしか売りものがない。・・内田百は旅行随筆『房総鼻眼鏡』(昭和29年)のなかで千葉を旅したが、さっぱり面白くなかったと書いている。・・・
『近所田舎』という言葉がある。辞書には載っていないが、東京の人間が房総のことをよくそういった。『すぐ近所の田舎』といった意味である。海があり、畑があり、水田があり、山がある。夏、東京からやって来た人間は、海辺の小さな町で、しばし『田舎暮し』の楽しさを味わうことが出来る。この本は、そういう東京人の房総への旅を主題にしている。『近所田舎』としての房総である。」


この本にも、青木繁への言及があります。
「『海の幸』を描き上げたという。この絵のなかの漁師たちは、全裸である。それがここでは普通だった。房総の裸の漁師といえば、木村伊兵衛の写真集『昭和時代』第一巻(昭和59年、筑摩書房)には、裸のたくましい漁師たちが浜辺で船を出そうとしている姿を撮った写真がある。昭和10年代の房総である。それを見て解説の色川大吉は、『たとえば少年のころ、毎夏、私は銚子や九十九里浜に泊りがけで行った。銚子では漁師たちが市内でもふんどしもつけずに歩いているのに眩しいような思いをした。彼らはチンポの先だけを細かい稲藁で、つつましくお飾りのようにしばっているだけで、他は文字通り一糸もまとわない全裸であった』と書いている。房総の海に来たものは、誰もが、漁師たちの自然のままのおおらかな姿に圧倒されてしまうようだ。青木繁の布良滞在は約二カ月にも及んだ。『海の幸』と並ぶ、もうひとつの代表作『わだつみのいろこの宮』の構想もここで得た。海のなかの様子を知るために、『避水眼鏡(あまめがね)』で海底にそよぐ藻類や魚を観察したという。房総の海がよほど気に入ったのだろう、次の年の五月には、恋人の福田たねと内房の保田(ほた)を訪れている。青木繁の絵には、房総の海が大きな役割を果たしたことになる。」(p200)

この本も、ちょいと、古本屋でも手に入りにくくなりました。
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