和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

柳田国男の俳諧精神。

2006-10-28 | Weblog
谷沢永一著「いつ、何を読むか」では、年齢別にお薦め本52冊が並びます。
その本では、柳田国男著「木綿以前の事」から始まっているのでした。
15歳の年齢に薦めるこの本で、谷沢氏はこう書いて語りかけております。
「柳田国男は、学問とは何か、と根本から問いかけ、人は何の為に勉強するのか、と考えこんでいる。この広い世の中に暮らす多数者を助ける気持ちで、本を読み努めるのでなければ、我が国の次の代、またその次の代は、今より幸福にはならぬのである、と記した」(p15)

そして70歳に薦める本には、安東次男著「定本風狂始末芭蕉連句評釈」を取り上げた中に、こういう言葉がひろえます。
「残念ながら、俳諧表現の陰影を解き明かすのに成功した注釈は少ない。私は教職にある時数年かけて七部集を講じ、近世期以来の夥しい注解を比較対照したが、そのほとんどは些事に拘わる近世学問に共通する通弊のため、題材に選ばれた事象の故事来歴と出典の考証に傾き、句から句への移りに込められた連想の感得力に乏しいのが常である。」
そして紹介本をとりあげたあとに
「俳諧の評釈として読むに足るのは、柳田国男『俳諧評釈』(昭和22年、のち全集17)中村幸彦『宗因独吟 俳諧百韻評釈』(平成元年)『此ほとり 一夜四歌仙評釈』(昭和55年、のち著述集9)ぐらいであろう。」としておりました。


ところで、柳田国男について、長谷川四郎の解説(1978年)があります。
それは「新編柳田國男集第八巻」(筑摩書房)の解説としてかかれ、
のちに長谷川四郎著「山猫の遺言」(晶文社)に入りました。
その解説の中で、仮に「俳諧復興の悲願」ということを語りたいと示して、
長谷川四郎さんは解説を展開しております。
「終戦後2年の昭和22年(1947年)春のこの『俳諧評釈』の序文には『つまり私は俳諧の連歌の、なほ斯邦に活きて行くだろうことを信じて居るのである。』と書かれてある。ここには敗戦後とは書いてないけれど、文脈からして、そう書いてあってもいいように私は思う。孤独な創作の仕事としての短詩形の現代詩俳句ではなくして、衆が集まって言葉の面白さを共に楽しむ芸術としての俳諧だが、これを願う心は終生、柳田国男から失なわれることはなかったろうと私は思う。」

そして終りの方に、長谷川氏はこう書くのでした。

「私はこの第八巻の解説を書くことを利用して、これが特に文芸を論じた巻なので、思い切って凡庸を提唱したいのだ。柳田国男の書いたもの、そこではいかに離れた局面と見えようとも有機的につながっている。『山の人生』も『秋風帖』も『雪国の春』も『明治大正史』も、それらをつなぐ一本の赤い糸として俳諧精神とでも仮りに名づけたものを私は見ようと試みた・・・」

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4 コメント

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連歌的連想の輪 (北祭)
2006-10-28 23:39:15
いつも和田浦さんのお話には連想のつながりがあって楽しませてもらっています。

谷沢さんはむかしから柳田国男著「木綿以前の事」のことを高く評価していましたね。この本と、今どきの15歳が出会うのはちょっとありえないような気もしますが、そんなことはどうでも良い。時代の潮流に流されず、ただ良いものを良いと、何度でもいい続けるのが谷沢流です。必ず読めというのではなく、ポンと脇に置いてみせるんですね。読むかどうかは、読者にまかされます。

今日、『みそひと文字の抒情詩』小松英雄著が本屋さんの本棚からぬっと顔を出していたのに目がとまり、購入してきました。著者の自信みなぎる面白そうな書き出しです。谷沢さんがすすめる本に一貫してみられるのは、その文章に気がある、著者の精神に覇気がある点ではないでしょうか。



そういえば、話は変わりますが、ほんねこさんのサイトから文章が消えていました。どうなさったのでしょうか?
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ほんねこさんは (和田浦海岸)
2006-10-29 09:23:40
北祭さん、メッセージありがとうございます。

「みそひと文字の抒情詩」を買われたんですね。

レビュー期待しております。私はそのレビューが出てから購入判断をしたいと思います(笑)。ほんねこさんは、お引っ越しが終っております。

あたらしく「書迷博客」という看板を掲げて、ブログに書き込んでおられます。毎日サクサクと本が並んでゆくのは、見ているだけで壮観な眺めです。

http://blog.livedoor.jp/hnnk0/
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Unknown (曲月斎)
2007-02-07 02:15:55
和田浦海岸どのは、安東次男の「風狂始末」は読まれましたか。
芭蕉の俳句の読みが変わるくらいの面白い本です。

というのは俳句は一般的に五七五と思っていますが、芭蕉は五七五の下に七七を付ける連句の形で句を詠んでいましたから、その前後関係や一座に揃った連衆のことも読みには入って居なければなりません。そんな当たり前のことを、きちんと教えてくれたのが安東次男の本でした。ただ、風狂始末という題名の前は同じ内容で別題の上下2巻本になっていましたから、買われるときはご注意を。
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まだです。 (和田浦海岸)
2007-02-07 11:20:36
これは読まなきゃ。
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