雑読してると、何がどこに書いてあったのか、思い浮んだ言葉を、もとの本までたどれないことがあります。たどれない本なら、しょせんそれまでの縁だったと、思えばよいのですが、それがなかなか吹っ切れなかったりします。
それとは、別なのですが、雑読で、不思議な結びつきを感じることもあります。
最近、大阪の杉山平一について(読んだなどとはいえないのですが)エッセイを読んでおります。それが四季派を内側から教えてくれているのでした。思いもしなかった、「四季」同人の姿を、親しげに語っておられるのでした。
それとこのブログで2008年2月14日「昭和十年代。」と題して書いたのですが、
それとが、結びつく交差点みたいな新書があったのです。
鹿島茂編「あの頃、あの詩を」(文春新書)。
それは、ただ教科書に載った詩のアンソロジーなのですが、
興味深いのは「まえがき」でした。
そこで鹿島さんはこう書いております。
「とにかく、団塊の世代が中学校の教科書で読み、感動し、そして暗唱し、記憶にとどめ、いまでも口に出して朗唱することのできる詩を聞いていると、多少なりとも、近代詩に通じている者としては、『あれっ?』という感じを受けたのです。なぜなら、それらは、世間一般に名詩とされて、アンソロジーに載っている作品とは、少し位相が違ったところに位置する詩のように思えたからです。それは文学史的に見ると、丸山薫、田中冬二、大木実などの『四季』派を中心とする昭和10年前後の自然鑑賞的叙情詩であり、千家元麿、百田宗治、八木重吉といった宗教的詩人の家族詩であり、大関松三郎や竹内てるよなど民衆詩人の労働・生活詩であり、フライシュレンやロングフェローの倫理詩であったりするのですが、いずれにしても、近代詩の保守本流とは別のラインにある詩であることは明らかです。・・・」
さて、このあとの鹿島茂さんの解釈が読みどころなのです。
「それは、おそらく明治の末から大正ヒトケタにかけて生まれて戦争をくぐり抜けてきた世代の編者たち(つまりわれわれの親の世代)が、自分たちが思春期(大正から昭和10年前後にかけての時期)に感銘を受けた詩を、まだ未来が輝いているように思えた昭和30年代に、自分たちの感情や思想を伝える言葉として子供の世代に託そうと思い、一生懸命に選別し、編纂し、教科書に載せたものであったということです。・・・」
「いわば、それは私たち親の世代と、私たち団塊の世代とが、昭和30年代の中学・高校の教科書という一回きりの出会いの場において、編者と読者という特別な役割分担で演じた奇跡の『コラボレーション』であり、両者で紡ぎ出した唯一の『共同幻想』ということになるのです。」
こうして16㌻からの具体的な詩の指摘が生きております。
私は団塊の世代よりも、あとの世代なのですが、団塊の世代を解く鍵をもらったような、気分にもなるのでした。
ところで、「まえがき」以外は、単なる詩のアンソロジー(教科書に載った)なのですから、詩の引用だけで、つまらないといえば、つまらない新書にも思えるのですが、この「まえがき」が貴重なのです。ある一時期の教科書の詩という、言葉の森へのガイドブックをもらったような気分で「まえがき」を読みこむと楽しめます。水先案内というのは、こういうことか。と思い知らされる「まえがき」なのでした。
それとは、別なのですが、雑読で、不思議な結びつきを感じることもあります。
最近、大阪の杉山平一について(読んだなどとはいえないのですが)エッセイを読んでおります。それが四季派を内側から教えてくれているのでした。思いもしなかった、「四季」同人の姿を、親しげに語っておられるのでした。
それとこのブログで2008年2月14日「昭和十年代。」と題して書いたのですが、
それとが、結びつく交差点みたいな新書があったのです。
鹿島茂編「あの頃、あの詩を」(文春新書)。
それは、ただ教科書に載った詩のアンソロジーなのですが、
興味深いのは「まえがき」でした。
そこで鹿島さんはこう書いております。
「とにかく、団塊の世代が中学校の教科書で読み、感動し、そして暗唱し、記憶にとどめ、いまでも口に出して朗唱することのできる詩を聞いていると、多少なりとも、近代詩に通じている者としては、『あれっ?』という感じを受けたのです。なぜなら、それらは、世間一般に名詩とされて、アンソロジーに載っている作品とは、少し位相が違ったところに位置する詩のように思えたからです。それは文学史的に見ると、丸山薫、田中冬二、大木実などの『四季』派を中心とする昭和10年前後の自然鑑賞的叙情詩であり、千家元麿、百田宗治、八木重吉といった宗教的詩人の家族詩であり、大関松三郎や竹内てるよなど民衆詩人の労働・生活詩であり、フライシュレンやロングフェローの倫理詩であったりするのですが、いずれにしても、近代詩の保守本流とは別のラインにある詩であることは明らかです。・・・」
さて、このあとの鹿島茂さんの解釈が読みどころなのです。
「それは、おそらく明治の末から大正ヒトケタにかけて生まれて戦争をくぐり抜けてきた世代の編者たち(つまりわれわれの親の世代)が、自分たちが思春期(大正から昭和10年前後にかけての時期)に感銘を受けた詩を、まだ未来が輝いているように思えた昭和30年代に、自分たちの感情や思想を伝える言葉として子供の世代に託そうと思い、一生懸命に選別し、編纂し、教科書に載せたものであったということです。・・・」
「いわば、それは私たち親の世代と、私たち団塊の世代とが、昭和30年代の中学・高校の教科書という一回きりの出会いの場において、編者と読者という特別な役割分担で演じた奇跡の『コラボレーション』であり、両者で紡ぎ出した唯一の『共同幻想』ということになるのです。」
こうして16㌻からの具体的な詩の指摘が生きております。
私は団塊の世代よりも、あとの世代なのですが、団塊の世代を解く鍵をもらったような、気分にもなるのでした。
ところで、「まえがき」以外は、単なる詩のアンソロジー(教科書に載った)なのですから、詩の引用だけで、つまらないといえば、つまらない新書にも思えるのですが、この「まえがき」が貴重なのです。ある一時期の教科書の詩という、言葉の森へのガイドブックをもらったような気分で「まえがき」を読みこむと楽しめます。水先案内というのは、こういうことか。と思い知らされる「まえがき」なのでした。
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