わだつみの華

あなたの心という大海原を
心地よい風が渡っていきますように

(記事はリンクフリー)

行為の光明化(16)

2020-09-18 06:38:14 | 癒し

      (前日からの続き)
宗教といいますと、ことさらに祈りを何を
しなければならないとか、ねばならないという
規制が沢山あった様に思います。
けれども、これ程複雑な世の中になって
まいりますと、ねばならぬということが非常に
窮屈になってきておりまして、あるいは
実際の生活上できないということになって
きておりますし、実際、本体をたずねて
みますと、あるいは本来の神様の姿という
ものをたずねてみますと、そんなものでは
ないのであります。
神様というものは、人間が今何を悩み
どう苦しみ、だから何が必要であるのか
ということを何もかもご存知で、その上で
私に世界平和の祈りというものを与えて、
この世界をあるいは私たち一人一人の人間を
光明化していく、手助けとするように
ということで、私は任命されたのであります。

でありますから、何にも考えることはいらない。
とにかく最初に申し上げました様に、
いろいろな想いが出ても迷いが出ても、あ、
これは消えてゆく姿なんだ、腹が立っても
かまいません。
腹が立ったら腹立ちのそのままを私に
下さればいいわけであります。
皆さんぶつぶつ言うとか、皆さんが必要以上に
嘆き悲しむとかいう時は、それは私に対する
預け方が足りないのでありまして、そんな
ことまで五井先生に言っちゃったら
申し分けないとか、こんなことまで
と言っても、こちらから見ておりますと皆
見えておりますし、皆聞こえてまいりますし、
見ようと思えばこちら全部見える訳であります
から、隠しようがない訳であります。
で、そういう状態であるということは、
一人一人残らずこちら見えておりますし、
こちら知っておりますから、それならば
いちおう全部預けて任せてですね、そうして
いただき直しの生命をまた新しく貰うという
ことの方が出発がしやすいのであります。
あるいはこちらもさせやすいのであります。
ですから、どんな時であっても、神様という
ものは人間を愛さないということはない。
たとえ不幸のどん底にある様にみえている
その時でも、あ、これで過去世のそういう苦労が
一つ消えたなあ、こちらの方では計算ができて
おります。

なかなか人間の方はそうはまいりません
けれども、泣きながらでも、祈りをして下さると
こちらでは光を送りやすい。
あるいは祈りが出来なくっても、それはその時は、
こちらの方で何とでも致しますから、とにかく
愚痴であっても何であっても、神様の方へ顔を
向けながら愚痴を言う。
あるいは文句を言う。
神様を忘れて文句を言いますと、それが業になって
どうどう巡りを致しまして、どうにもならなく
なってまいります。
それでがんじ搦めになって、そういうのを魂の
入らない仏に近いというのであります。
        (翌日に続く)