わだつみの華

あなたの心という大海原を
心地よい風が渡っていきますように

(記事はリンクフリー)

行為の光明化(14)

2020-09-16 09:46:35 | 癒し

      (前日からの続き)
ところが人間というものは、やはり矛盾を
する様でありますけれども、ある程度のしるし
なり形なり何かの成果なりというものを目の前に
しておかないと、やはりこれは非常に不安になる
ものでして、そのある程度のしるしなり形なり、
例えば、本部から講師の先生を呼んで話を聴く、
皆の中にいる自分というものを自覚をして
はじめて、じゃあこの言葉について深く考えて
みようかとか、いろいろなことを自分は考えられる。
そういう場が与えられてはじめて人間という
ものはそういう気持ちになってゆける。
そういう部分があるのでありまして、それを
私は何も、それではだめだということでは
ないんであります。

それは大いに利用したらよろしいけれども、
しかし、それを一つまちがうと、何回講師の
先生を呼んだとか、何回柏手を打ったとか、
お浄めをしたとか、いうふうな回数を数える
様なことになっていく訳でありまして。
ところが魂の修行というものはそんなものでは
なくて、回数ではないんであります。
あるいは成績主義ではないんであります。
魂がどの程度目覚めるかということは、我々の
世界というものが、我々の心の中の本心という
ものが、どの程度開いていくかということ、
どの程度自分の中のものを捨て去って無になって
ゆけるかということでありまして、そのために
祈りがある。
          (翌日に続く)