わだつみの華

あなたの心という大海原を
心地よい風が渡っていきますように

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行為の光明化(6)

2020-09-08 06:46:02 | 癒し
     (前日からの続き)
一人一人が神の宮なんであるという
あのイエスの言葉というのは、本当に
ここのところにおいて真実な訳です。
あるいは釈迦が汝ら精進せよと言ったように、
自分が死んだ後もずっと努力していきなさいと、
祈りの生活を続けていきなさいと言ったのは、
この調和の世界が自分の中にあるんだという
ことを絶えず確認する努力をしていかなければ、
肉体身というものは弱いから、自分の中にそんな
調和の世界があるなんてことはなかなか分から
ない。
あるいはまたもっと話を別の方にすると、
法然にしろ親鸞にしろ日蓮にしても、南無阿弥
陀仏、南無妙法蓮華経というあの六語なり七語
なりの中に生命をこめた言葉があるという発見を
したのは、あれは非常に素晴らしいことで
ありまして、あの中に本当にさながらの光明が
生き生きと生きづいている訳でありますけれども、
しかし、南無阿弥陀仏と言ってしまってサッと
悟れるかというと、なかなか肉体人間そういう訳
にいかない。
ただ南無阿弥陀仏にしても何にしても、その中に
光があって、光のエレベーターに乗って、それが
サーッと高い所まで自分を連れていって
くれるんだ、自分の心の奥底にある調和の世界に
自分がそのまま合体して合致して生きていけるんだ、
生き通しの生命なんだというところまでの自覚を、
あの南無阿弥陀仏にしろ南無妙法蓮華経にしろ、
あの真理そのままの言葉の中に人間は合体した時に
光になってゆけるという、この大きな真理を
発見したというのは、これは大変なことなんで
あります。
それはちゃんと、日蓮なり親鸞なり法然なりの
後ろに大きな大きな深い働きをする守護霊さんが
いて、そういういわゆる末世といわれた時代に、
本当に人間が救われなければならない、その魂の
要求にみ合った道は何であるかということを、
あの人たちに示した訳であります。
             (翌日に続く)