「こだわり」の哲学と実践

ものごとに「こだわる」から楽しい!

趙州洗鉢

2014-05-20 01:23:07 | Weblog
禅の公案(修行者が取り組む問答)に「趙州洗鉢(じょうしゅうせんぱつ)」という有名な話があります。ある僧侶が趙州(唐代の名僧)に対して、「私をどうかお導きください」と教えを請います。すると趙州は、なぜか「キミ、朝ご飯食べたの?」と問います。僧は「はあ、食べ終わりましたが・・・」と応える。すると趙州は「では、その鉢を洗いなさい」と言い放ちます。その瞬間、この僧は仏法とは何かを知りました。というお話。つまり、趙州洗鉢は、端的に仏道を説いています。同時に、理想的な心の在り様を示しています。人は後悔し、自分の怒りに自分自身が翻弄され、不安に苛まれているようなとき、仏教は「今、為すべきことを為せ。それ以外のものは捨象せよ」と説くわけです。実は、人は自分でどんどん糸をもつれさせ、後悔や怒りや不安を増幅させています。だから、「シンプルな行為を実践する」ことで、心の不具合の増幅を方向転換させるわけです。『聖書』ではイエスが「明日のことを思い煩うな。明日のことは、明日自身が思い煩うであろう。一日の苦労はその日一日だけで十分である」(「マタイによる福音書」6:34)と語っています。「明日のことは、思い煩うな!」なんとイイ言葉だろう。ぶっちゃけ、「明日は、明日の風が吹く」。「明日のことをクヨクヨ考えてもしょうがない。なるようにしか、ならない」とか。そんなことより「今、この瞬間に全力で取り組まなければならないこと。これに集中しよう!」これで、イイんじゃないの?「今、為すべきこと。が明日につながる」んだよ。きっと。
おしまい