カタバミでしょうか
雑草の中でとてもいい色で大きく咲いているのです
こんなに思う存分に存在を主張出来る花いいですね
母は亡くなる数日前に前にボソッと言ったのです
”倉敷に行ってみましょう“
母は倉敷で何を観たいとおもったのでしょう
倉敷の街の何処に行きたかったのかしら
だから母を亡くした後で主人と私は母の遺影を抱いて倉敷の町を歩きました
でも想ったのです
母にとって”倉敷”と表現したけれどあの時本当は何処でもよかったのかも
生を終えるという予告だったのかも
一生を終えていずこかに旅立つ
母はそんな気がしていたのかも
あの時は街を歩きながら私涙が止まらなくて
雑草の中でとてもいい色で大きく咲いているのです
こんなに思う存分に存在を主張出来る花いいですね
母は亡くなる数日前に前にボソッと言ったのです
”倉敷に行ってみましょう“
母は倉敷で何を観たいとおもったのでしょう
倉敷の街の何処に行きたかったのかしら
だから母を亡くした後で主人と私は母の遺影を抱いて倉敷の町を歩きました
でも想ったのです
母にとって”倉敷”と表現したけれどあの時本当は何処でもよかったのかも
生を終えるという予告だったのかも
一生を終えていずこかに旅立つ
母はそんな気がしていたのかも
あの時は街を歩きながら私涙が止まらなくて
その瞼には美しく映像として映っていたかも知れません✨
父の葬儀の後でお坊様が「人はこの世に旅に来ている。
だから亡くなるということは、その旅を終えて元いた所に帰って行くこと」
とお話して下さいました。
人生は旅、と思うと父を亡くした悲しみが和らぎました。
fuyouさんのお母様もたくさんの旅をされたことでしょうね。
思い出の倉敷を、fuyouさんの胸に抱かれて満足されたことと思います。
そう”人生は旅”とお坊様がいわれたのですね
それで越後美人さまの悲しみが和らいで
残されたものは悲しいものだから
母も人生の旅の終わりを自分なりに告げたかったのだとおもったものです
それが倉敷に行きましょう”という表現に
倉敷に行ったのだから
あれでよかったのかしら