
東京国立近代美術館へ草間彌生展を見に行った。最初にお断りをしておくと,私はこれまで現代美術はあまり見たことがない。そのため,以下に書いたものも多分に私情と偏見に満ちたものであることをご了承頂きたい。
結論からいうと,クサマ・ワールドを堪能できて,木村伊兵衛展も見られて,その上,常設展にある岸田劉生の名作『道路と土手と塀』や安井曽太郎の『金蓉』等の数々の作品を楽しめて,これで800円(公式HP に割引券があります。)とは安すぎる!しがたって,大いにおススメできる展覧会である。
現代芸術の基本は,サプライズであるとともに,現代という時空を共有する作家と鑑賞者とが気分や雰囲気を「共有」すること,インタラクティブであることにあるのではないか,と私は勝手に思っている。
クサマさんの場合,表現の出発点には,強迫観念からの逃避があり(このことは,『無限の網―草間弥生自伝』でも触れられているようである。),死や恐怖からの解放があると思う。鑑賞者(又は聴衆)との間で表現物を同時共有することによって,これらの感覚から解き放たれ,愛へと結実するところに,クサマ芸術の根本があるのではなかろうか。非常に平たく言えば,お客が,見て,オヤッと思って,ニヤッとして,そして生きていて良かったーと思い,クサマさんも,幸せな気分になる,そんな感じだろうか。
で,今回の展覧会,入口を入り目線を上げると,突如,カボチャ!しかも美味そうないい色をしている!!これはいいね。
と,次の間から,いきなり「ゴッツーン」と壁に何かを打ちつける音。どうやらお客さんが,壁に頭を打ちつけたらしい。そこには,『Infinity Mirrored Room━信濃の灯』。鏡と電飾によるサイケな空間。60年代っぽいが,2002年の作品。70歳になっても元気だねー,とニヤリ。
次の部屋は,コラージュ中心。戦争や恐怖をテーマにしたものが多く,結構重い。が,ここに彼女の原点があるのだと思うと,心象風景にドップリ浸ってしまった。
と感傷から抜けきれないうちに,登場するのは,ポップな『水玉強迫』。これは突き抜けている。ニヤニヤ。
巨大なミラー・ボール『宇宙の心』もそうだが,90年代以後の作品は,強迫観念や恐怖から突き抜け,「宇宙」の中にただ自然に存在しているということの嬉しさを感じさせるものが多い気がした。
そして,赤,オレンジ,青の小さな光が無限に反復する鏡の間の中に一人で立って,「鑑賞」する『水上の蛍』では,「鑑賞する者」自身が,「鑑賞されて」いる。電飾の施された無限の輝きとほの暗い水に囲まれた空間の中で,自分自身に対峙して,自分の外観だけでなく心の中までクサマさんに見透かされているような気がして恥ずかしさすら感じた。実はクサマさんが天上からニヤニヤと「鑑賞者」の様子を伺っていたりして,なんて考えると,ホント恥ずかしくなってそそくさと出てきてしまった。自分ってちっぽけな存在なんだよねー。でも,そのことが感じられただけでも20分待った甲斐があったかな。
鏡モノでは,『天国への梯子』も面白い。上を見上げると「天国」,下を見下ろすと「地獄」へと無限に梯子が延びていく雰囲気。やっぱり,「天国」の方をじーっと見上げてしまった。そこには,ただいつもと同じ自分の姿が映っているだけだったが…
そして,圧巻は,「鎮魂のための芸術を作る時期に,私は来ている」と宣言した1975年以後の作品を集めた最後の部屋。パンフレットにも使われている「天上よりの啓示」や「黄樹」といった絵画作品が凄い生命力に満ちている。赤や黄色の無数の触手が,「鎮魂」の前提として必要な強靱な精神力すら感じさせる。凄い!
今回の展覧会は,クサマさんの回顧展ではなく,「時には劇的な変容を見せながらも,つねにかわらない草間彌生のメッセージ。草間ワールドの『永遠の現在』をお愉しみください」とのことであったが,小学生のころから現在に至るまでの相も変わらぬパワーを感じさせるものとなっており,かなりの部分成功していると思う。
ただ,ディスプレイの順序やパーティションの入れ方にも相当の工夫を感じたものの,上に書いた「サプライズとインタラクティブ」という観点からは,若干の物足りなさを感じた。
ラブ&ピースの時代のアメリカで,ハプニングとボディ・ペインティングで時代の寵児となったクサマさんの存在を美術館という箱モノに押し込んだ途端,その活き活きした魅力が少し失われてしまったのかもしれない。
この展覧会は,来年1月から10月まで,京都,広島,熊本,松本と4か所を巡回するそうである。他の展覧会場でどのように展示されるのか,それによって,作品の感じ方が相当変わると思われるだけに,非常に興味深い。
因みに,インスタレーションを含む少なからぬ数の作品(例えば,『水玉強迫』)が,「作家蔵」となっていた。クサマさんちって広いのかなー,倉庫に置かれているとしたらどういう風に置かれているのかなーと余計なことを考えてしまった。誰か知っていたら教えてください。
★★★12月19日(日)まで。11日(土)もそれほど混雑していなかったので,最終日も比較的作品を楽しめるかも…★★★
追記:常設展の4階にある休憩室は,皇居のお堀を臨んだ特等席ですよ~夕暮時の眺めは最高でした。ジュース販売機もありますし。
結論からいうと,クサマ・ワールドを堪能できて,木村伊兵衛展も見られて,その上,常設展にある岸田劉生の名作『道路と土手と塀』や安井曽太郎の『金蓉』等の数々の作品を楽しめて,これで800円(公式HP に割引券があります。)とは安すぎる!しがたって,大いにおススメできる展覧会である。
現代芸術の基本は,サプライズであるとともに,現代という時空を共有する作家と鑑賞者とが気分や雰囲気を「共有」すること,インタラクティブであることにあるのではないか,と私は勝手に思っている。
クサマさんの場合,表現の出発点には,強迫観念からの逃避があり(このことは,『無限の網―草間弥生自伝』でも触れられているようである。),死や恐怖からの解放があると思う。鑑賞者(又は聴衆)との間で表現物を同時共有することによって,これらの感覚から解き放たれ,愛へと結実するところに,クサマ芸術の根本があるのではなかろうか。非常に平たく言えば,お客が,見て,オヤッと思って,ニヤッとして,そして生きていて良かったーと思い,クサマさんも,幸せな気分になる,そんな感じだろうか。
で,今回の展覧会,入口を入り目線を上げると,突如,カボチャ!しかも美味そうないい色をしている!!これはいいね。
と,次の間から,いきなり「ゴッツーン」と壁に何かを打ちつける音。どうやらお客さんが,壁に頭を打ちつけたらしい。そこには,『Infinity Mirrored Room━信濃の灯』。鏡と電飾によるサイケな空間。60年代っぽいが,2002年の作品。70歳になっても元気だねー,とニヤリ。
次の部屋は,コラージュ中心。戦争や恐怖をテーマにしたものが多く,結構重い。が,ここに彼女の原点があるのだと思うと,心象風景にドップリ浸ってしまった。

巨大なミラー・ボール『宇宙の心』もそうだが,90年代以後の作品は,強迫観念や恐怖から突き抜け,「宇宙」の中にただ自然に存在しているということの嬉しさを感じさせるものが多い気がした。
そして,赤,オレンジ,青の小さな光が無限に反復する鏡の間の中に一人で立って,「鑑賞」する『水上の蛍』では,「鑑賞する者」自身が,「鑑賞されて」いる。電飾の施された無限の輝きとほの暗い水に囲まれた空間の中で,自分自身に対峙して,自分の外観だけでなく心の中までクサマさんに見透かされているような気がして恥ずかしさすら感じた。実はクサマさんが天上からニヤニヤと「鑑賞者」の様子を伺っていたりして,なんて考えると,ホント恥ずかしくなってそそくさと出てきてしまった。自分ってちっぽけな存在なんだよねー。でも,そのことが感じられただけでも20分待った甲斐があったかな。
鏡モノでは,『天国への梯子』も面白い。上を見上げると「天国」,下を見下ろすと「地獄」へと無限に梯子が延びていく雰囲気。やっぱり,「天国」の方をじーっと見上げてしまった。そこには,ただいつもと同じ自分の姿が映っているだけだったが…
そして,圧巻は,「鎮魂のための芸術を作る時期に,私は来ている」と宣言した1975年以後の作品を集めた最後の部屋。パンフレットにも使われている「天上よりの啓示」や「黄樹」といった絵画作品が凄い生命力に満ちている。赤や黄色の無数の触手が,「鎮魂」の前提として必要な強靱な精神力すら感じさせる。凄い!
今回の展覧会は,クサマさんの回顧展ではなく,「時には劇的な変容を見せながらも,つねにかわらない草間彌生のメッセージ。草間ワールドの『永遠の現在』をお愉しみください」とのことであったが,小学生のころから現在に至るまでの相も変わらぬパワーを感じさせるものとなっており,かなりの部分成功していると思う。
ただ,ディスプレイの順序やパーティションの入れ方にも相当の工夫を感じたものの,上に書いた「サプライズとインタラクティブ」という観点からは,若干の物足りなさを感じた。
ラブ&ピースの時代のアメリカで,ハプニングとボディ・ペインティングで時代の寵児となったクサマさんの存在を美術館という箱モノに押し込んだ途端,その活き活きした魅力が少し失われてしまったのかもしれない。
この展覧会は,来年1月から10月まで,京都,広島,熊本,松本と4か所を巡回するそうである。他の展覧会場でどのように展示されるのか,それによって,作品の感じ方が相当変わると思われるだけに,非常に興味深い。
因みに,インスタレーションを含む少なからぬ数の作品(例えば,『水玉強迫』)が,「作家蔵」となっていた。クサマさんちって広いのかなー,倉庫に置かれているとしたらどういう風に置かれているのかなーと余計なことを考えてしまった。誰か知っていたら教えてください。
★★★12月19日(日)まで。11日(土)もそれほど混雑していなかったので,最終日も比較的作品を楽しめるかも…★★★
追記:常設展の4階にある休憩室は,皇居のお堀を臨んだ特等席ですよ~夕暮時の眺めは最高でした。ジュース販売機もありますし。
「水玉強迫」は写真見ただけで行きたくなりますね。
まだ1週間あるようなので行ってみたいと思いました。
先日金沢市にオープンした「金沢21世紀美術館」は作品を買うのではなく、美術館自らがアーティストを選んで新作を作ってもらう…というのを知りました。
難しいというイメージの現代美術も見せ方次第なのかもしれませんね。
造詣は全くありませんが、楽しんでみたいです。
特に,『水上の蛍』は数十分待つと思いますが,その価値はあると思いますよ。二人連れの場合には,二人一緒に入れるようでしたし。
今度の週末がラストチャンスですよ~
金沢21世紀美術館のことは,先日の日曜美術館でも紹介していましたね。ここもいつかは訪れてみたい美術館ですね。
楽しみは尽きません
私も行くまではちょっとどうかな~と
思っていたのですが、行って観てすっかり感動。
単純な作品に見えて実際に観てみると
実に綿密に配色など考えられている作品が
多くてひたすら感心してきました。
これから巡回する地域の方、必見です。
それと、「水玉強迫」は見る人が通る所に
獣道のように黒く跡がついていてそれもまた
なんとも面白かったです。
草間さんの展覧会へ行かれましたか。
楽しく読まさせていただきました。
>ラブ&ピースの時代のアメリカで,ハプニングとボディ・ペインティングで時代の寵児となったクサマさんの存在を美術館という箱モノに押し込んだ途端,その活き活きした魅力が少し失われてしまったのかもしれない。
そうですね。これは確かにそうかもしれません。
「水玉強迫」とかは、何だか随分窮屈な場所にありましたし、
最後に出てきたいくつかの作品も、
高校や大学の文化祭の展示ような、ちょっとルーズな感じの展示だったと思います。
もしかしたら、それもまた草間さんの魅力なのかもしれませんが、
私も「美術館へ押し込んだ。」という感じを受けました。
どうなのでしょうか。
確かに,足跡ついていましたね。それだけ多くの人がクサマワールドを辿ったという軌跡。獣道のようなものを感じましたね。
>はろるどさん どうもです。
>私も「美術館へ押し込んだ。」という感じを受けました。
というのは,私も感じました。
もっと広い空間で,大空を感じられるような場所で,しかも多少ハメをハズしても良いようなところで(すなわち皇居の近くではないところということ...),もっとフリーなセッションを見られればなぁ,そう思ったのは私だけではないはず,と思いました。
コメントありがとうございました。
「強迫」というタイトルにピッタリだな、と思いました。
天井も水玉で覆ってくれたらもっと迫力があったはずなのに、残念です。
もっと大きなインスタレーションを置いて,人が一人通るのも大変なぐらいのせまーい空間にして,照明も薄暗くしたら,更に味が出たかも知れませんね。
暗いよー狭いよー怖いよーの世界ですかね