鬱 のち 躁 …

(元)旦那の病気(双極性Ⅱ型障害)について

ご注意!

当ブログをお読み頂きありがとうございます。 このブログは(元)旦那の病気(双極性障害)を中心に 家族の日常を記載しております。 ただし、ブログ主である私の“毒”も多分に含まれ 心の病気の方などに不愉快な記載がある場合もあります。 どうか、充分ご注意いただけますようお願い致します。

電話

2013年10月23日 | 日記
土曜日、外泊!と言い張る彼を無理やり外出止りにし
その代わり彼の言い分通りあっちこっち動き回ったため
完全ストライキだった日曜日…。

ストライキっても、ご飯は作るし、娘の宿題も見たけどぉ。

昼食を片付けた後、

「昼寝する!」と宣言し2階に篭城。

すると、娘もその後を追うように2階に。

なぜか、ゴムボールを持って…。

1学期終わり、学業の方は出来がいいが、運動の方が…。

これも本人の性質と、親が面倒くさがって幼少の頃ほとんど
外遊びをしなかったせいか…と多々反省すべき点があると思い

「今度ボール投げしようねぇ~。」と言ったため。

って、外は雨だって…ってことでスルーしようかと思ったら
寝室に持ってきて、

「ここでやる!」って…。

そんなこんながやっと終わり、ちょっとゴロゴロしていると
下でお義父さんの話し声。

お義母さんと話しているかと思ったら、彼だった。

しばらく話していると、お義父さんが階段を上がる音。

ドアがあき

「○○(彼)がお菓子食べたいんだって…。」と言って携帯を渡される。

「どうしたの?」と私が出ると、

「やっぱり、外泊したかったよ…。」と泣きそうな彼の声。

結局、そういうことですよね~と思ったが、だからと言って私にどうしろと???

「お菓子食べたいんだって?」と言うと

「うん…。」って。

きっとお菓子が食べたいとかじゃなくて、自由になりたいっていうか…
外にでたいっていうか、かまってほしいっていうか、ストレスをなんとか
してほしいっていうか…どれにしても面倒くさい。

「じゃ~、お菓子持って来いってこと?」と聞くと

彼が答える前に、隣にいた娘が

「ダメ、行っちゃやだ!。」と答える。

すると、それが聞いた彼が

「わかったよ、もういいよ…。」と自棄気味に答えた。

私は、もうそれでいいと思った。

彼の要求の本髄はお菓子ではないのだろうから。

すると、その場で聞いていたお義父さんが

「わかったよ、お父さんが行ってあげるから…。」って。

私は黙って、携帯を返した。

だから…、こんな雨の中、お菓子が食べたいって40歳過ぎの息子に言われて
お菓子買って持っていく親って…だから、こんな我侭バカ息子になるんさって…。

結局、その日はお義父さんがお菓子持って面会に行った。

そして、今朝まで何の連絡も無し。

今朝は今朝で、

「ねぇ、愛しているって言って…」とか言ってるし。


電話があれば、あったで面倒くさいし、電話がなければないで
どうしているのか心配だし。

ほんと、面倒くさい。


外泊

2013年10月21日 | 日記
土曜日、外出したいという彼を迎えに行く。

すると、閉鎖病棟の鍵を開けてくれた看護師さんが

「今日は、外泊ですね~。」と言う。

「えっ、そうなんですか???」って。


私が聞いていたのは、外出。

彼が許可を得たのは、外泊。


いやいやいや…。

担当?の若いお兄ちゃん看護師さんが書類を持ってくる。

やっぱり、外泊に○がついてる。

「あの…、本人からは外出って聞いてるんですけど…。」と言うと

「えっ、そうなんですか…?」とちょっと微妙な顔をした。

主治医の先生は、簡単に外泊許可を出したらしいが、前日部屋を
変えてくれと大泣きしたらしく、看護師さんたちは不安定だと
思っていたらしい。

「では、部屋でご本人とお話いただいて…」と変わった新しい

個人部屋に案内してくれた。

彼はもうすっかり準備できていて、自分が不在の間部屋に鍵をかけて
くれるように指示していた。

「あのさ…、ちょっと座って…。」と私も部屋にあった椅子に座った。

ちなみにこの日は生理痛が酷く、貧血気味で、精神的にも疲れ切って
いた。

が、お義父さんの手前、朝ごはんもちゃんと作り、洗濯をして、
彼が指定した9時には病院につくようにフル稼働だった。

私に促され、怪訝な様子でベットに座る彼。

「私さ、今日外出って聞いてるんだけど、外泊する気なの?」

と言うと、

「うん、だって先生の許可取れたんだから、いいでしょ。」って。

「何の問題があるの?

 だって、先生がいいって言っているんだよ。

 今日あちこち行くのを楽しみにしてたんだ。
 
 こんなことしていないで、早く行かないと時間がもったいない。」

って。


いやいやいやいや…あちゃちゃちゃ~~~~↓↓↓である。

今日の予定は、皮膚科ともう1件病院にいくこと、あとは娘の習字が
入選したのでその展示会を見に行くことだった。

しかし、実際他の病院を受診するには担当医の事前の了承がいるらしい。

展示会は車で1時間くらいの場所なので、日帰りも結構キツイ。

だって、運転するの私だもの…。

それをこの体調の悪い中、なんとかこなしてやろうじゃないかと
気合入れてくれば、これだ…。

「聞いてないから、外泊は無理だよ。」と言うと

「なんで?」攻撃の始まりだ。

「なんで、医者がいいって言ってんのに、家族がダメっていうの?

 意味わかんない。」って。

「ここの状況がどんなにひどいかわかる?

 隣がうるさいし、臭いからやっと部屋変わってもらったの。

 寝ることもできないし、食べ物もまずい。

 どんなに今日を楽しみにしていたかわからないの?

 なんで、俺のことわかってくれないの???」って。

反撃する前に、ひと言今日は体調悪いからと断っておいた。

私のこの手の体調の悪さはそのまま切れやすいからねという宣言だった。

「外泊したいなら、なんで、そう言わないの?

 そう言えば、私に反対されるってわかってたんでしょ。

 だから、ギリまで言わないで押し切ろうって腹でしょ。

 そもそもそういう考えが嫌だ。

 今回の入院は、何も○○(彼)のためだけじゃない。

 ○○の病気と我侭に振り回されて、私も○○(娘)も疲れてるの。

 傷ついているの。それもわかるよね?

 この病院の生活が大変なのはわかる。でもさ、たいへんな思い
 
 しているのは自分だけじゃないよね?

 外泊してまたへんなことしたら、うちらもう耐えられないよ。」

と言うと、

「もう、へんなことはしないよ。」って言う。

「そう言いながら、今までだって散々やってきたじゃん。
 
 先生じゃなくて、家族責任持って外に出すなら、家族が納得して

 いない状態で外泊なんてできないから。」

…って、こんなやり取りが1時間以上続いた。

この間、彼はあちこち蹴りたおし、足の親指から内出血したり
窓を叩いてみたり、まぁ、いつものあばれっぷりだった。

あんまり暴れるものだから、途中看護師さんが部屋にやってきて。

入室前に断ったんだけど。

1回家に電話して、お義父さんと娘に彼の外泊を聞いてみたら

お義父さんは

「わからない…。」って言うし、

娘は

「嫌だ。」って言うし。

そう彼に伝えたら、今度は娘と直接話しさせろって言うし。

でも、そんな負担娘にかけるわけにいなかいし。

断ると、自分の娘に電話する権利もないのかって言うし。


終いには、俺のことをここまで理解してくれないなら、もう無理だから
離婚しようって言うし。

あ~ぁ~、また離婚って言っちゃったよって。


段々疲れてきた私はとうとう、

「こんなんなってるのは、全部お前のせいだろっ!」って暴言まで吐いた。

さらに、

「あ~、そうですか。

 わかりました。

 じゃ、今までお世話になりました。」

ってお別れの挨拶までしちゃった。

で、疲れがピークを超えたらとうとう泣き出しちゃって。

「どんな思いで今日ここに来たかわかったんの…。」って。

「俺のこと理解していないって、そんなんで、5年も6年も一緒にいると

 思ってんの?かわってても、できないことはあるでしょ。
 
 なんで自分のことは理解しろって押し付けるくせに、家族の気持ちを

 無視するの?私たちはもう充分に傷ついているし、疲れているの。

 もう、嫌だ…疲れた。勝手にしろ…。」と言うと、

なぜだか、

「ごめん、わかったよ。

 俺が守るって約束したんだから、俺が守るよ。」だって。

俺が守るもなにも、お前が元凶なんだよって言いたかったけど。

で、

「ごめん、離婚って言ったのは病気が言わせたことだから。

 本心じゃないから。ごめんなさい。」だって。

随分都合のいい言い分だな~って言いたかったけど。

面倒くさかったから、黙ってた。


結局、本日は外出ってことで。

持ち出す薬を1日分にしてもらい、やっと病院の外に出た。

その場にへたり込んで、しばらく動けなかった。

だから、今日は具合悪いんだって…言ってんだろう!って。


そのあと、一旦家に戻り、彼を医者に送り、買い物をして、彼を医者に
迎えに行って、家に送った後、自分も整体に行き、帰ってからご飯を
食べにみんなで出かけ、その後、娘の習字を見に往復2時間運転し、
帰ってから休まず、夕飯を作り、やっと座れたと思ったら、彼が病院に
帰るというので送っていってやっと1日が終わった。

もうね…疲労困憊っていうこうことかと…。

これで外泊されて2日間振り回されてたら…と思うと、ぞっとした。




風邪

2013年10月16日 | 日記
精神病院の閉鎖病棟に入院している彼。

すでに、10日以上経っている。

昨日、3時ごろに携帯に電話があった。

I-Phoneは入院時にブチ切れて、投げつけた結果ご臨終。

DoCoMoスマホを現在、病院に預けつつ使っている。

「風邪引いちゃったよ~。」って。

なんでも、内科医が居ず薬がもらえないらしい。

へぇ…内科医居ないんだぁ…と思いつつ、話を聞いてると

「で、何?私にどうしてほしいわけ???」って。

「どうしたらいいかな~?」って。

だから、私が聞いてるんだよ!って思ったけど、しょうがないから
明日にでもお義父さんに市販の薬持ってってもらおうか…って
ことにした。

原因はたぶん、病院内の乾燥のせいだろうと思われ。

タオルぬらしてかけておけば~って言っておいただけど。

あとは、隣室の人が夜騒いで寝れないらしい。

自分の内的要素に加え、外的要素もあり、睡眠不足はいなめない。

それについては、一緒に耳栓でも持っていってもらおうってかって。


が、そんなやり取りの後、就業間際お義父さんから電話。

「風邪引いて、頭が痛くてしょうがないって電話が来たんだけど。」

ってかなり切羽詰った様子。

「いや、昼にも電話着たけど、明日…って話したんで…。」と言うと

「それは知らないけど、今痛くてしょうがないんだって。
 それを○○さん(私)に伝えてくれって電話があったんだ。」と言う。

なんだかよくわからないが、非常にビビってる?感じ。

彼の温度がどんなかはわからないが、少なくてもお義父さんの温度は
かなり高い。

ちょっと、イラついた。

病院入っている息子にちょっと言われたくらいで、おたおたすんなさっ!

…って。

小間使いじゃあるまいし、いちいち言われたものをすぐに持っていかなくても
いいよって。

ほんと、親子して気がちっちゃいんだから…って。

まったく、娘を思って再度同居してもらっているくせに私って極悪…っとも
思いながら…。

彼から電話があった時点で、近所の薬局に風邪薬と耳栓とコーラを買って
おいたので、家にある携帯のコンセントを持って(最初に持って行ったのが
調子が悪いらしい)行くしかないってことか…と半場諦めながら家に着いた。

すると、娘が泣き出した。

私が、帰るやいなや、

「病院に行ってくる!」と言ったので。

娘はその日、鼻血を出して大変だったらしく洋服にも少し血痕が残っていた。

その話もしたかったろうし、前日までキャンプで離れ離れだったから
私に甘えたかったのかもしれない。

「行かないで!」と言って号泣。

さらに、椅子をたおす。

おぉ、積み木崩し風?とか思ったけど…。

要は、彼のところに行かずに私に一緒にいてほしいってことだろうけど。

しょうがないので、泣くのを宥めながら、

「すいません、お義父さん~変わりに行って貰っていいですか~?」と

言うと、超嫌そう。

まぁ、夜遅くに(っても夕方6時くらい)出るのが嫌ってより、完全に彼に
ビビって居ると見た。

私も怒ってるしね。

だって、彼がネットで買ったらしいビジネス本が4~5冊届いているんだもん。

中古で買っているらしいが、これって携帯でしかもクレジットで買ってるって
ことでしょうよ~~~~って。

そんな文句を言いながら、用意しているから尚のことお義父さん怖いのかも。

きっと、彼に私がそういう話をしても文句は言わないけど、お義父さんが言うと
文句を言われるって思っているんだろう。

でも、文句言われたからってどうなの?

非はあきらかに向こうにあるでしょ?

なんで、父親なのに自分の息子がダメなことしてんのに、それを怒ることに
ビビる必要があるの?

って段々イライラしてくる。

この間娘はずーっと泣きながら、私の腕を掴み

「行かないでよ~、行かないでよ~~。」と泣いている。

終いには、

「パパは、○○(娘)が風邪引いても、ママが風邪引いても何も
 してくれないでしょ~。だのに、なんでパパが風邪引いたからって
 お薬持っていかないとなの~~~。」だって。

思わず、そうですよね~~~って同意しそうになったわ。

しかも、ソファにおいてあった彼の買った本を叩き落し

「こんなの無駄遣いだよ!」とか言うし。

それも大正解~~~って。

なんとか、宥めながら必死に言い聞かせ、コンセントを探して2階に
行こうとすると、お義父さんが

「なんか、おじいちゃんしかれれて、こんなに一生懸命やってるのに。
 そんなにするんならおじいちゃん帰るよ!。」って娘に言った。

階段の途中でそれを聞いて、完全にブチ切れそうになった。

一生懸命にやってもらっているのは、わかる。

経済的にも充分支援しただいている。

が、私にならともかく、娘にそんな言い方があるか?

誰のせいで、娘がここまで傷ついてると思っている?

私が一生懸命してほしいのは、家の修繕やらなにやらではく、
父親として彼に対峙してほしいんだけど!って。

が、

「そうおっしゃるなら、帰っていただいて結構です!」ってわけに行かない。

それじゃ~、あんまりだよな…って寸前で思いとどまる。

それじゃ~、お義父さんの立場ないよな…って。

だから、変わりに

「もういいです。私行きますから。
 ○○も一緒に行こう!一緒においで。」と言ってみた。

昨日、彼のところにいった折に娘は病院には連れてこないって約束した。

4歳当時と違い、きっと色濃く記憶が残るだろうし、彼も見られたくないだろうから。

が、もうこうなったら勢いだ!と思ったら、娘が2階に走って逃げ部屋に篭城した。

まったく…どいつも、こいつもめんどうくせぇな…ってどっかで思いながら
ため息をつくと、さすがにお義父さんも折れ

「いいよ、お父さんが行くよ。」と言う。

「すいません、お願いします。」と荷物を渡し、2階に行く。

篭城と言っても、鍵がかからない部屋なのでノックをして

「入ってもいいですか?」と聞くと真っ暗部屋のベットで体育座り。

定番だな~と思いつつ、隣に座る。

無理な体勢で、抱っこしながら話し続ける。

「おじいちゃんに行って貰ったから、一緒にいるよ。」と言うと

やっと体重をかけてきた。

ふっつきながら、涙をふいてやる。

「○○(娘)ね、ママを取られちゃうと思ったんだ。」って。

「パパ、○○(娘)の何でも取っちゃうんだもん…。」って。

確かに、娘はアイスやお菓子を取られて怒っていることも多かったし
何より、携帯ばかりいじっていた彼に何もかまってもらえず寂しい
思いもたくさんしてきた。

さらに口ではすぐにいいように言うが、実際はその約束が守らない
ことがたくさんあった。

だから、私にばっかりべったりになるし、彼とは疎遠になる。

「こんな親で、ごめんね…。」と言うと、

「ママはちっとも悪くないよ…。
 だから、ママはごめんって言わないで。」って言う。

そんなこんで、2人でふっついて話していると家の電話が鳴った。

出てみると、彼からだった。

「○○(娘)が、泣いているんだって~?」と比較的普通の声。

(お前のせいでな~~~)といいたいところだが、ひとまず

「風邪どうなん?」と聞くと、頭痛薬貰ったらちょっと収まったらしい。

やっぱり…明日でもよかったんじゃねぇって。

お義父さんビビリすぎなんじゃねぇって。

ひとまず、本をこれ以上買うのは辞めて欲しいことと、そうそうパシリに
連絡するなと釘を刺す。

「○○(娘)に週末帰るよって言っておいて。」って。

いやいや、それ言ってもなんの慰めにもならんから…とは言わなかったが。

さてさて、随分と父娘関係がこじれてしまっているような
気がするなぁ…。

そして、まったくそれに気付いていない父親…。

まったく、面倒くせぇな…と母親。



連休

2013年10月15日 | 日記
世の中は3連休。

もちろん、お仕事の方も多数おられただろうが…。

我が家にもあまり、関係なかった。

1つは、彼が入院中だから。

もう1つは、娘が2泊3日キャンプに行ったから。

お義父さんも自分の家に帰られて、実質我が家に一人きりだったから。


初日、娘を集合場所まで送っていった。

山のような荷物をでかいリュックに入れて。

そして、誕生100日のときの娘と私が写った写真をアルバムから
1枚抜き取って。

夜寝るときに見るんだって…。

私には絶対にできない発想だ…とすこぶる感心。

が、前日からばっちり用意していたはずなのに、朝ごはんダラダラ
食べていたせいか、予定時刻なっても用意できず私のイライラが
爆発する…。

笑って送り出さないと…って思っているのに…。

なんで、余裕ぶっこいているくせに出かける間際になっても
用意できないんだろう…世の中のお母さんの多くが抱く疑問だとは
思うけど…。

集合場所に付いたころには、落ち着いて笑顔で見送れたけど。

さすがに、3度目の経験なので娘も笑顔で出発。

一旦、家に帰って気持ちを切り替えて、今度は彼の入院先へ。

お菓子やらコーラやらアイスやら…彼の好きそうなものを買って。

正面玄関はしまっているので、休日・夜間受付から病棟へ上がる。

本人よりも先に、と思い看護師さんに様子を聞く。

すると、落ちてよく泣いてはいるが、落ち着いている様子。

「上がって迷惑をおかけしていませんか?」と質問すると

「いえいえ、そんなことはないですよ。」って。

一安心。

そのあと面会室で待っていると、しばらくして彼がやってきた。

「おはよう。」って言ったら

「うん、おはよう。」ってうっすら笑顔。

入院してから実に10日ぶりぐらいに会った。

最初はそれを不満に思っていたのか、文句を言われたけど
でも久しぶりに話をするのに、言い合いになるネタが嫌かなのか
彼が早々に矛を納めた。

睡眠はあまり取れていないこと、食事はごはんは多いが、おかずが
食べるものがない…こと、何もすることがないので本を読んでいること
など…入院生活がどんな感じか話してくれた。

お風呂はこの間に1回しか入っていないとか。

まっ、そんなものだろうなぁ~と。

娘の話や、私の仕事の話とか、取り留めない話をしながら1時間半くらい。

お昼だと看護師さんが呼びに着てくれたので、帰ることにした。

いや…本当はイケないことなんだろうと思ったけど、説教染みたことも
言ってしまった。

「今の病棟、もしくはこの病院に入院している人で帰る場所のない人だって
 きっとたくさんいる。

 自分の家があって、そこで家族が待っるってことがどれだけ恵まれている
 ことか考えて欲しい。

 余計なものを削ぎ落とした今の入院生活で、本当に自分の必要で大事に
 したいものを考えて欲しい。

 そして、それを本当にそれを大事にできるようになったら帰っておいで。
 ○○(娘)と一緒に、ちゃんと待ってるから。」

って伝えた。

彼にとって、必要で大事なものが私たち家族でない場合だってあるかも
しれないけど、それでもいいと思った。

私はこの入院が彼の人生において、リセットになればいいと思っている。

過去のことは変えられない。

変えることができるのは、未来だけだ。

彼が今までしでかしてきたこと、私たちを傷つけてきたこと、それは消えない。

でも、それを遠い記憶にすることができるかは彼のこれからに掛かっている。


彼のリセットは、私たち家族のリセットだと思っている。


夜、一人でテレビを見ながら、ビール飲んで、ソファでゴロゴロしながら
そんなことを考えていた。


日記

2013年10月11日 | 日記
只今、精神病院の閉鎖病棟に入院中の彼。

そんな彼には以前、開放病棟に入院していた時期がある。

今から4年前…ちょうど、今ぐらいの時期。

当時、まだ会社に席が在った彼は、出社することさえ
稀だったが、どうしても行かなければならない時に
近くのコンビニでビールを飲んでから出かけた。

景気づけっていうか、逃げだよね…。

お酒強かったから、顔に全然でないくて。

でも、きっと仕事にはならなかったんだろう。

帰ってきて、車から空き缶見つけて、私がクリニックにひっぱっていって
その場で、クリニックの先生から入院を勧められた。

当時は、娘もまだ4歳。

わけもわからなかっただろうし、保育園時代だったから義父母に頼る
ことなく、手続きも面会も全部一人でこなしていた。

入院が決まって、落ち着くまで…どれくらいかかったか覚えていないが
ずーっと泣き通しだった。

夜も寝れなかったし、朝も早くから一人リビングでボーっとしていて
新聞配達の音で我に帰るみたいな…。

入院からちょっとして、義父母がお見舞いに来るってことになって
彼も楽しみにしていたのに、義兄家族が来るから延期したいって
電話が来て、ブチ切れたりしてた。

あと、解雇するって連絡が来て、彼の会社の専務や社長とも
戦ってた。

事実上解雇なのに、社長に

「○○くんのためには、任意退社にしたほうがいいでしょう。」と

言われ、ここでもブチ切れてた。


でも、何より彼の病気に対して、必死だった。

必死に、家族を、彼を守ろうとしていた。


…って、なんでこんなに覚えているかと言うと(もちろん忘れてないけど)
日記があるから。

私はこのブログは取り合えずにしても、日記などつける習慣はない。

が、この入院期間に交換日記をしようとノートを2冊買って、家に1冊
彼に1冊持たせたのだ。

お見舞いに行くたびに交換しようって。

実際彼が書いたのは1ページに、1行くらいの文章が3つ、4つくらい。

でも、私はびっちし書いてある。

読むとかさぶたをはがして、鮮血が飛び散るように鮮明な記憶がよみがえる。

自分で言うのもなんだが、自分がかわいそう…って思うくらい痛い。

思わず、開いた傷口を覆い隠してあげたくなるくらい。

しかし、それ以上に娘の書いた文字が…。

「ぱぱはやくげんきになってください。」って。

「ぱぱ、だいすき。」って。

4歳の子が書いた字だから、一部鏡文字(左右逆)になっているし、
右から左に書いているし、判別しにくいのだが。

写真も貼っているし、娘が書いた絵もあるしで、もう開いてすぐ涙が
止まらない。

本当に、必死だったんだなって。

でも、こんな必死な思いだったのに、報われなかったんだなって。

また、私と娘は同じ思いをしなければならないんだなって。


実際、このノートは大事にとってはあるが、彼はほとんど見ない。

「辛すぎて…。」って。

でも、今回の入院に際し、再度手渡した。

懐かしそうに、眺めていたが、辛いことには当時も今もかわらないだろう。


入院するとき、たくさんの本と一緒に、そのノートを鞄につめていた。

当時の気持ちと、現在の気持ち。

彼にちゃんと受け止めきれるのだろうか。