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僕の感性

詩、映画、古書、薀蓄などを感性の赴くまま紹介します。

岡本孝子 夢をあきらめないで

2009-05-04 19:37:35 | Weblog


岡本孝子の「夢をあきらめないで」です。
爽やかな彼女の歌声にずいぶん勇気付けられたものです。


夢をあきらめないで♪

乾いた空に続く坂道  後姿が小さくなる
優しい言葉、探せないまま  冷えたその手を、振り続けた
  いつかは、皆、旅立つ  それぞれの道を歩いていく
    あなたの夢を、あきらめないで  熱く生きる瞳が好きだわ
    負けないように、悔やまぬように  あなたらしく、輝いてね

苦しいことに、つまづく時も  きっと、上手に、越えて行ける
心配なんて、ずっと、しないで  似てる誰かを愛せるから
  切なく残る痛みは  繰り返すたびに、薄れていく
    あなたの夢を、あきらめないで  熱く生きる瞳が好きだわ
    あなたが選ぶ全てのものを  遠くにいて信じている

    あなたの夢を、あきらめないで  遠くにいて信じている


親子の絆についての断想  水上勉

2009-05-04 07:47:23 | 感動
水上勉氏の文章を載せます。


 貧乏なことはそれ自体悪徳だ、といった人がいる。ドストエフスキーも貧乏を憎んだし、河上肇も貧乏の追放を叫んで生涯を閉じた。だが、大正八年三月ごろは私の家と同じような小作百姓の家が日本にはゴマンとあり、三食喰えない親子はザラで、貧乏なために、しなくてもいい夫婦喧嘩や、親子喧嘩をやっていた。喧嘩ばかりしている父母がいると、その喧嘩は子どもにもうつって、兄と私はよく喧嘩した。うちの喧嘩は村でも有名で、私は泣きだすと、村じゅうを走りまわって、夕方まで帰らなかった。家に帰っても、父母がいるわけではない。父は遠出の仕事だし、母はよその田へ出ているから、暗くならぬと帰らない。電燈もない。まっ暗の家へ帰るよりはどこか村の堂とか、友だちの家にいる方がいいのだった。友だちの母親は、私に風呂へ入ってゆけといい、時には友達と一緒にめしも喰わせてくれた。そういう家には、電燈があったので、私はまぶしかった。よその家はゆたかだと思った。だが、そう思っても、そこは、他人の家だからいつまでもおるわけにゆかない。自分には、イヤな家だと思えても生まれた家ならそこへ帰らねばならない。よその家の電燈の下で読んだ本のことや、喰った飯や、煮付けの味が、うちのと少しちがっていたことを腹の中で反芻しながら、にくたらしい兄と、しかめつらした父と、泥田を這い回ってきたため、腹をへらしていらだたしげに台所に立っている母の待つ家へのろのろ歩くのであった。