写真はヤズド。
ヤズドには写真のように建物に垂れ幕がしてある事が多い。
なんて書かれているんだろうか・・・。
砂煙がまい立つ日差しの強いヤズドで、体に布を巻き付け地を這うような姿の老人を多く見かけた。
ヤズドの閉鎖的な土地柄に一種独特の感情を覚える人が多いという。
私はヤズドの人々にトルコ人の言動を重ね合わせていた。
ペルシャ語を知らない私が見たイラン 1
【旅行中のテヘランの変化】
9月11日。
エマームホメニー空港からタクシーでHotelに向う。
いつもと同じ光景。
テヘラン名物のタクシーの渋滞は見られたものの、静かだ。
つい先日、この町で抗議行動があったとは感じられないほどの穏やかな景色。
だが、タクシーがHotelに近づくにつれ、その考えは間違いであった事に気づく。
どこかしこで、人は数人から10人くらい集まったグループを度々見かける。
見ていると、どうも抗議や暴動のためではなさそうだ。
集まった人々は真面目な顔で、口々に話し合い、時にはひそひそ話をしているようすが感じ取れる。
テヘラン中の見かけるPolice(警察官、車、白バイ)や銃を持った若い兵隊の人数の多さに驚く事となる。
数メートル毎、信号毎、大きな建物毎に仁王立ちするPoliceや兵隊。
私はこの光景に、いささか重々しい感覚を覚えた。
見ていると、集まったイラン人達の行動を監視し,無言で抑圧しているように見受けられる。
外国人である私たちには監視の目は薄い事も特徴。
テヘランには初めの3日間を過ごしたが、町中 至る所で驚くばかりのPoliceを見た。
わたしが利用したHotelは某大使館近くの割合にしっかりしたところ。
明らかにそのHotelの利用客ではないイラン人達が5、6人以上集まり、Hotelの前を陣取り、Hotelの入り口階段に座り込んで話している。
中年の男性ばかりでなく、おばさんや若い女性が加わった日もあった。
日によって,時間によって、それらの人々の組み合わせは変化。
Hotel前の短い横断歩道には、それらの人たちを監視するPoliceが絶えず目を光らせていた。
ホテルの近くにもPoliceの車や白バイは巡回。
そんな状態の中、グループは夜遅くまで集まり、大声や小声で何かを話していた。
平和な日本になれているわたしは、一種独特の不思議な感覚の波を感じ取った。
わたしたちは4日目にはケルマンシャーに向った。
ケルマンシャーは穏やか。
去年や一昨年と何ら変わりはないように感じられた。
テヘランとはずいぶんようすが違う。
ケルマンシャーの4日ばかりの行程を終えてテヘランに戻った時には、ホテル前のグループの姿は見られなかった。
テヘランの町を観察すると、町中に認められたPolice(警察官、車、白バイ)や銃を持った若い兵隊の人数葉ずいぶんと減っていた。
おそらく私が思うには、去年の2、3倍程度のPoliceの数にまで現象。
この一週間における変化は何だったのか、わたしにはわからない。
この折、テヘラン1日。
次にテヘランに着いたのは,一週間後。
3度目のテヘランは3日間滞在したが、Policeの数は2度目よりも減っていた。
これが私の見た9月11日から本の2、3週間のテヘランの動き。
私にとってはイランの方の言葉葉音楽であり、町に掲げられた看板や垂れ幕の字も美しいデザイン。
ペルシャ語を全く知らないわたしが感じた先月のテヘランです。
次回は
ペルシャ語の知らない私が見たイラン 1
【私が見て感じた三年間の“イランの変化” および “日本との関係の変化”】(題名未定) の予定です。
見て下されば嬉しいです。